2017-3-17 12:09
久々に閃いたので掌編をば。
タイトルの『VENUS』は鬼束ちひろさんの楽曲から取りました。
実はあれ、作者の中ではフィロメーナのイメージソングなんですが、先日ぽつりとそれを漏らしたところ「分かる」と反響を頂いて嬉しかったので(笑)
掌編書けない長谷川にしては大変珍しい、1300字程度のイクフィロです。
ジャンカルロを探す旅の途中、フィロが突然街道にしゃがみ込んだことがあった。
「どうした?」
腹痛でも催したのかと思い、尋ねてみる。すると彼女はこちらを見上げて、宝物でも見つけたみたいにぱっと笑った。
「イーク、見て。この花、綺麗ね」
彼女が指差したのは一輪の花。敢えて意識を向けなければ、脳内でただの雑草として処理され、視界にも映らないような野辺の花。
彼女はわざわざそれに目を留めて、足を止めた。彼女が「綺麗」と言った花は真っ白な花びらを控えめに広げた、ひどく小さな花だった。
「……わざわざしゃがみ込んで眺めるようなものか? どこにでもある普通の花だろ」
「あら、そうかしら。少なくとも私は初めて見たわ」
「まあ、確かにお嬢様≠ェこんな野っ原を歩くことなんて滅多にないだろうからな」
「何だか引っかかる言い方ね。だけど、それじゃああなたはこの花の名前を知ってる?」
――そんなの俺が知るわけないだろ。とっさにそう答えそうになったのをぐっと堪えた。
俺は元々花なんて興味ない。興味の対象として見たこともない。唯一知っている花の名前と言えば、故郷の森で息を潜め、近づく生き物をばっくりと飲み込む恐ろしの
人喰い花くらい……。
なのにどういうわけか、「知らない」と答えることが躊躇われた。
期待に胸膨らませて俺を見上げているフィロを見たら、彼女の望む答えを持ち合わせていないことが罪に思えた。
――こいつの目は、どうしていつもこんなに輝いているのだろうか。
目に映るものすべてが眩しいと言わんばかりの、子供のように澄んだ瞳。
時折ひどく悲しげな顔をするくせに、それでもこの世界への愛で溢れている、瞳。
「……あんたなら、そんな花よりもっと豪華で綺麗な花を知ってるだろ」
俺はその瞳が落胆で曇るところを見たくなくて、つい話を逸した。
するとフィロは「うーん」と小さく唸りながら、再び花へ目を落とす。
「そうね。黄都で暮らしていた頃は、毎日色んな花に囲まれて暮らしていたけれど……けれど今は、花瓶に無理矢理押し込められたたくさんの花なんかより、この花の方が美しいって思うの。本来の生から離れ、飾られて枯れてゆくだけの花々より――小さくても精一杯生きようとしているこの花が、とても愛おしいの」
風が吹いた。
ざわざわと草木を鳴らしながら、それはフィロの髪をも撫ぜていく。
彼女はその髪を耳にかけて微笑んだ。
風に揺られ、嬉しそうにはしゃぐ小さな花を、愛し子のように見つめながら。
「……似てるな」
「え?」
「その花、あんたに少し似てる」
何となく思ったことが、自然と唇から零れていた。俺がそれに気づいたときには、目の前でフィロが驚いている。
――しまった。何を言ってるんだ、俺は。
我に返って、慌てて前言を撤回しようとしたけれど、
「ありがとう」
そう言って嬉しそうに笑った彼女の顔が、あんまり眩しかったから。
そのとき、俺は気づいたんだ。
ああ、きっとこいつには、世界がこんな風に見えているんだなって。
ニワゼキショウ (Blue-eyed grass)
花言葉は「きらめき」。黄都の貴族社会しか知らずに育ったフィロメーナにとって、世界はあまりに広く、美しかったのです。
ジャンはそれを教えてくれた人。イークはその手を引いてくれた人。
(写真提供)野に咲く花の写真館
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