どうしてこんなことになったのか、イークは考えていた。
目の前にはこちらに向かって両手をつき、平謝りしている初老の男。
その後ろにはひどく怯えた、それでいて何か期待するようにこちらを見ている数人の男女。
一方イークはと言えば、現在縄で体をぐるぐる巻きにされていて、半眼のままそんな男たちを眺めている。
――さて、どうしたもんかな。
ため息混じりにそう自問したところで、向こうの雌牛がモーッと鳴いた。
そう、ここはとある村の牛舎である。
「――本当に! 本当に申し訳ございませんっ! うちの村の者が! あの太陽の村の戦士さまに向かって! とんだ真似をっ!」
「ああ、うん……それはもう分かったから、とりあえずそろそろこの縄を解いてくれないか――」
「それもこれもっ! すべて村長であるこのカワードの不徳の致すところでありましてっ! わたくしめが村長として至らぬばかりに! こんな事態をっ! 招いてしまった次第でございます! ああっ、本当に! わたくしが! あまりに頼りないばっかりに! この責任はわたくしがっ! わたくしがお取り致しますのでっ! どうぞ煮るなり焼くなり! お好きなようになさって下さ――」
「――分かった。分かったからさっさとこの縄を解けって言ってんだカワードとやら。そしたら希望どおりあんたを煮たり焼いたり刻んだりしてやる」
「ひいぃっ……! やっぱりっ! やっぱりそうなりますよねっ!? 本当に申し訳ございませんっ! 申し訳ございませんっ!」
イークの苛立ちはそろそろピークに達しようとしていた。先程からこのカワードと名乗る男はこうして捲し立てるばっかりで、一向にこちらの話を聞こうとしない。
いや、本人は有り余る罪の意識から全力で謝罪しているのだろうが、だったら早くこの縄を解けと言いたい。声を大にして言いたい。というか既に何度も言っているのだが話が通じない。なんだこれは。どうしてこうなった。
――思えばこんな小さな村で、迂闊に太陽の村の出身だ、なんて口走ってしまったのがいけなかった。
クィンヌムの儀のため、故郷である
太陽の村を旅立ってから早数ヶ月。イークは現在、トラモント黄皇国パウラ地方のルシェッロという村にいる。
ルシェッロはこれと言って特筆すべきことが何もない、ごくごく平凡な村だった。昨日宿で聞いた話では、住民は約二百人ほど。見てのとおり農業と酪農で
生計を立てているのどかな村で、平野部に突如隆起した一塊の山々の麓にある。
イークがこの村に立ち寄ることを決めたのは、何のことはない、この国の都ソルレカランテを目指す途中にたまたま村の存在を知ったからだった。
村は北東へと伸びる街道からいくらか外れたところにあって、立ち寄ると街道に戻るまで四刻(四時間)を要するが、しかしここを過ぎると次の町までは二日ほど歩かなくてはならない。
イークが『西、およそ四十幹:ルシェッロ村』と書かれた標識を街道の端に発見したのは、昨日の午後のことだった。
空を見上げると太陽はちょうど昼と夕方の境界にあって、四十
幹(二十キロ)くらいならば日が沈む頃には着ける、それなら今夜はこの村に宿を取ろうかと思ったのがすべての始まりだ。
そうして辿り着いたルシェッロ村で、イークは集落内に一軒しかないという鄙びた宿に部屋を取り、その宿を切り盛りする夫婦から温かな歓待を受けた。
うちは祖父の代からこうして宿を営んでいるんですがね、ここは見てのとおり何もない村ですから、こうしてお客様がみえること自体が珍しいんです、ようこそおいで下さいました、ときにお客様はどちらからおいでになったので? なんて会話が弾んで、そのときぽろりと「南の太陽の村から」と答えたら、夫婦の顔色がサッと変わった。
まあ、そこまではまだ想定の範囲内だ。何せイークの故郷であるルミジャフタ郷――この国では太陽の村≠ニ呼ばれている――は、この国では伝説の村として聖地のごとく崇められている。
かつてルミジャフタには太陽神シェメッシュの御魂が眠っており、トラモント黄皇国の祖である竜騎士フラヴィオがかの地へ赴き、シェメッシュの神託を受けたのがこの国の始まりだ、と言われているからだ。
だからトラモント人の前で自分は太陽の村出身だ、なんて自己紹介をすると、誰もがこちらを神の使いか何かのように見る。崇められる。
イークもそのことは郷を出てからの道中で嫌になるほど知っていたから、必要に迫られない限り出身地を明かすことは避けていた。
それが夫婦の我が子でも迎えるようなもてなしにちょっと気が緩み、うっかりバラしてしまったのだ。
だから夫婦がイークの出身を知ってとっさに顔を見合わせたのも、こちらの答えに驚いたからだろうとそう思った。その油断が命取りだった。
かくしてイークは、その日の夕飯に一服盛られた。
……一生の不覚だ。イークは宿泊客が自分一人しかいない小さな宿の食堂で、婦人が出してくれたささやかな夕餉を毒入りとも知らず口に運び、そして昏倒した。
いや、毒と言っても今回は眠りの毒だったから良かったものの、これが死に至る毒であったならイークは今頃神鳥ネスの慈翼に抱かれていたところだ。夫婦に対してなんてことしてくれやがったこの野郎という思いがないわけではないが、それ以上に自分の不甲斐なさに腹が立つ。
――で、目が覚めてみたらこの有り様だ。
イークが意識を取り戻したと知るや否やこの村の村長は一世一代の平謝りを始めるし、何がどうなっているのかさっぱり分からない。
とりあえず牛舎の屋根と外壁の間にある明かり取りから、外が既に明るくなっていることだけは分かった。射し込んでくる日光の角度から察するに、まだ
午前といったところだろうか。
相も変わらず平身低頭で謝り倒している
村長の背後には、イークをこんな目に遭わせたあの夫婦の姿もある。が、イークが目だけで無言の抗議を送りつけると、二人は決まり悪そうに目を逸らした。
「――であるからしてっ! ここはどうかわたくしの首一つでっ! 首一つで収めていただければ……!」
「あーもううるせえ!」
イークの我慢はついに限界を迎えた。イークは元々そんなに気が長い方ではない。というかむしろ短い。今回はこれでもかなり持った方だ。
というわけでいよいよ堪忍袋の緒が切れたイークは、鋭く一喝――するだけに留まらず、同時に神術を炸裂させた。
右手の
雷刻。そこから雷光が迸り、村中に轟音が響き渡る。
牛舎に集まっていた村人たちが悲鳴を上げ、牛が暴れた。イークが右手から解き放った稲妻はあたりの干し草やら何やらを盛大にぶちまけて、薄煙を撒き散らす。
その煙の中で、イークはついにすっくと立ち上がった。体を拘束していた縄は神術で切った。
しかし長時間緊縛されていたことですっかり痕がついてしまった手首を摩り、それからゴキッと首を鳴らす。
「で? 何がどうしてこうなったのか、誰か説明してもらおうか」
イークが低く、威圧感たっぷりに放った怒りの声は、村人たちを恐怖させた。こちらはまだ二十歳になったばかりの若造だというのに、その怯えっぷりはまるで地の底から現れた邪神を前にしているかのようだ。
「あ、あ、あああああのっ……こっ、この度は本当に……!」
「それは分かったって、言ったよな? あと、俺の剣はどこだ」
「は、はいっ! 只今お持ちします!」
先の神術で完全に肝を潰された村人たちは従順だった。元々イークを傷つけるつもりはなかったのだろう、一人がカワードの目配せを受け、慌てて牛舎の外へ走り出していく。
「え、ええと、それで、今回村の者が粗相をした理由なのですが……」
「ああ。俺はそれが聞きたかった。というか何度も訊いた」
「も、も、申し訳ございませんっ! わ、わたくし、すっかり気が動転してしまいまして……!」
直接まで腰を抜かしていたカワードは一転、またしてもイークの前で平伏した。が、今度は彼もイークの話に耳を傾ける気になったらしく、土下座したまま訥々と事情を話し出す。
「じ、実は、話せば長くなるのですが……お恥ずかしい話、この村は現在、大変大きな問題を抱えております」
「問題?」
「はい。イーク様、とおっしゃいましたか。イーク様もご覧になったことでしょう、この村の西側に聳える山々を」
「ああ、昨日はそれを目印に歩いてきたからな。あと、その様≠チていうのはやめてくれ。むず痒い」
「では、イーク殿」
「……それもちょっと」
「な、ならば、イークさん。実を言うとその山に、先頃からタチの悪い山賊どもが居着いているのです」
「山賊が?」
カワードの口から飛び出した意外な言葉に、イークは目を丸くした。
それから、その話は本当か、というように他の村人たちへ目を配る。皆一様に怯えた様子の彼らは頷いて、その怯えが実はイークに対するものではないことを示した。
「だが俺が見た限り、この村に荒らされたような形跡はなかったぞ」
「ええ、ええ、それはそうでございましょう。何しろやつらは村を襲って奪うような真似は致しません。月に一度この村へ下りてきて、いわゆる貢ぎ物≠要求するのです」
「貢ぎ物?」
「はい。食糧とか、村の若い娘とか……それはもう多くのものを持っていかれました。やつらは総勢で五十人ほどらしいのですが、それが武器をチラつかせて我々を脅すのです。従わなければ村を焼き払い、滅ぼすと……」
――聞けばその山賊が西の山に居着いたのは、ちょうどイークが郷を出た頃。つまり冬が明けたばかりの春先から、この村はずっと山賊どもの奴隷となっているのだという。
凶悪な賊徒の来訪に怯えた村の者たちは当初、すぐに近くの町へ人をやって地方軍に助けを求めた。
ちょうどイークが当座の目的地としていた北東の町リーノがこのあたりを治める郷庁所在地になっていて、そこにいる郷守に事の顛末を説明し、賊討伐を願い出たらしい。
ところが、だ。
そうしていくら村人たちが助けを求めても、郷守は「分かった分かった」と気のない返事をするばかりで一向に腰を上げない。
近頃トラモント黄皇国では全国的に治安が悪化していて、それゆえ地方軍も忙しいとか何とか、適当な理由をつけてルシェッロ村の訴えを握り潰しているのだ。
村人たちはすぐに気づいた。
――もしやあの郷守は山賊どもとつながっているのではないか。それでやつらの悪行を見逃す代わりに、その
謝礼を受け取り互いに甘い蜜を吸っている。
カワードらがそんな思考に至ったのは何も単なる邪推ではない。最近トラモント黄皇国では地方役人どもの腐敗が進み、似たような事例が国のあちこちで頻発しているのだ。
その噂は辺境のこの村にも届いていた。だから皆も確信した。
このルシェッロもいよいよ国の腐蝕に冒され始めたのだ、と――。
「……なるほどな。それでその山賊を退治してくれる傭兵か何かを探してたってところか」
「はい。残念ながら我が村には、かつてお国の兵役に就いていた男たちはいるものの満足に武器がありません。おまけに最も頼りになる若人たちはその兵役の真っ只中。村人の半数は既に老齢ですし、そんな状態で自力の山賊討伐などできるわけもなく……」
「事情は分かった。だがだからってなんで人の食事に毒を盛るんだ。最初から話してくれてりゃ、俺だって逃げなかったさ」
「ま、誠に申し訳ございません。あの夫婦にはよくよく言い聞かせますので……」
カワードがぎゅっと眉を寄せながら謝罪すると、後ろで例の夫婦も頭を下げた。まあ、昨日話した限りではどちらも悪い人間ではなさそうだし、ようやく村に舞い込んだ幸運を逃がしたくないと彼らも必死だったのだろう。
――それにしても、五十人か。イークはちょっと顎に手を当てて考える。
相手の練度にもよるが、十人くらいならばイーク一人で引き受けることは可能だ。こちらは神術が使えるし、それだけの鍛練は子供の頃から積んでいる。
郷民皆兵のルミジャフタ産戦士の実力は伊達じゃない。だがそれでも五十人は多すぎる、とイークは冷静に判断した。
そもそも神術だって、使えるのはこちらだけとは限らない。その五十人の山賊の中に神術使いが紛れている可能性も考慮すべきだ。
それも
地刻の使い手などいようものならかなりまずい。イークが刻む雷刻は地刻との相性がすこぶる悪いのだ。
雷刻は攻撃特化型の
神刻で、地刻はその真逆。防御特化型の大地の盾は、こちらの放つ雷の矛を容易には通さない。
――さて、どうしたもんか。
イークは先程と同じ問いをもう一度自身へ投げかけた。
目の前で律儀に正座を決め込んでいるカワードという初老の男は、あとはイークの決断を待つとでも言うように唇を結んでいる。
さっきまではずっと頭を下げられていたのでよく分からなかったが、カワードは齢四十二、三くらいの、いかにも気弱そうな男だった。
イークのそれよりも淡い青の目は終始困ったように垂れ下がり、小振りな鼻の下にちょっとだけ蓄えられたチョビ髭が更にその頼りなさを演出している。
それでも村の代表らしく身なりはきちんとしているが、それも後ろに立つ村人たちよりいくらかマシというだけで、そこはかとなくみすぼらしかった。
恐らく例の山賊に食糧や金品を奪われ、かなり貧窮しているのだろう。昨夜宿で出された食事はそれなりにちゃんとしたものだったが、それだってイークの機嫌を取るためにかなり無理をしたに違いない。
「……。分かった。そういうことなら、あんたたちに手を貸さないこともない」
「……! ほ、本当ですか!?」
カワードたちの顔色がぱっと輝いた。その様子を見る限り、彼らもルミジャフタ出身の男児が皆優れた剣士として育てられることは知っているらしい。
「だが問題が二つある」
「と、おっしゃいますと?」
「まず一つは、山賊どもを攻めるにしても、その居場所が分からないとこっちも作戦の立てようがないということ。そしてもう一つは、こっちにも最低二十人程度の戦力がないと正直勝つのは厳しいってことだ」
「二十人、ですか……」
イークが腕組みをしながらきっぱりと告げた言葉に、カワードが唇を噛んでうなだれた。その目は忙しなく地面の上を行き交い、まるでどこかに書かれてある答えを必死で探しているかのようだ。
「山賊どもの居場所については、村の中にご案内できる者がわたくしを含め数人おります。春先にやつらが現れてからというもの、何度か交渉に赴いたことがありますので」
「そうか。なら、戦力の方は?」
「それなのですが……」
と、そこでカワードはちょっと言葉を濁した。その目は依然あらぬ方角を彷徨っており、何から話したものか、と考え込んでいる風に見える。
「実はイークさんの前に、十人の戦士が揃えば勝算がある、とおっしゃった方がいらっしゃいます」
「何だって?」
「その方は我々に傭兵を雇うだけの財力がないと知ると、それなら自分が
町へ行って腕の立つ者を雇ってくるから、それまで待っていてほしいと言って先日この村を発たれまして……」
――十人? たった十人で五倍もの敵を討ち払うだと?
イークは耳を疑った。相手の正確な戦力も分からないのに、それはいくらなんでもハッタリが過ぎるのではないか。
その十人が全員イークのような神術剣士ならまだしも、郷の外ではそもそも神術をまともに使える人間の方が稀だ。山賊どもとて一度は武装して村に現れたというからには、そこそこ武芸に秀でた者たちが集まっているのだろうし、これをたった十人で攻めるというのはどう考えても分が悪い――いや、はっきり言って自殺行為だろう。
「そいつは一体何者だ? たった十人で五十人の山賊を攻めるなんて、どう考えたって無謀だぞ」
「え、ええ……や、やっぱりそうですよね。わたくしたちも初めは耳を疑って、それはいくら何でも無茶じゃありませんかと申し上げたんです。ですがその方はやり方さえ工夫すればできないことはない≠ニおっしゃいまして……それで我々も、そこまでおっしゃるのならあの方に賭けてみようと……」
「あんたら、騙されたんじゃないのか? そいつはこの村の状況を知って、長居するのはまずいと思った。だから適当な理由をつけて村を離れ、そのままトンズラこいたとか」
「そ、そうなのでしょうか……?」
聞き返してきたカワードの声は絶望に震えていた。きっとイークが現れるまではその人物を唯一の希望と縋り、信じて帰りを待ち侘びていたのだろう。
聞けばその人物が村を離れて既に十日。リーノとこの村の距離は往復でも四日程度だから、傭兵を雇いに行ったと言うのならそろそろ戻ってきてもいい頃である。
それが一向に帰ってくる気配がない。村人たちには気の毒だが、やはり騙された可能性が高いだろう、とイークは踏んだ。
しかし山賊どもを駆逐するのに戦力が要ることは事実だ。この村にいる、かつて兵役に就いていたという男たちを動員してもいいが、そのためには武器が要る。
つまり傭兵を雇うにしろ武器を補充するにしろ、一度はリーノに足を運ばなければならないということだ。イークはしばし考えた末、そう結論づけて口を開いた。
「仕方がない。そういうことなら俺も一度リーノへ行く。傭兵か武器か、とにかく戦う手段を手に入れないことには話が進まないからな。そのついでに、あんたらに大法螺を吹いたっていうその男のことも探してきてやる。そいつの名前は聞いてるか?」
「え、ええ、もちろん聞いております――が、一つだけ訂正が」
「何?」
「その方は、男性ではありません。妙齢の女性でございます」
イークは再び耳を疑った。一日に二回も耳を疑うなんて、そうそうあることじゃない。
一方のカワードは、何故だろうか、問題の人物が女だと言及すると急に両の頬を染めて、もじもじともみあげのあたりをいじり始めた。
そうしてまるで自分の想い人の名前でも告白するかのように、ちょっとはにかんだ様子で、言う。
「その方の名は――フィロメーナ。フィロメーナ・オーロリー様、とおっしゃいました」
このとき、イークはまだ知らなかった。
かつてこの地にトラモント黄皇国を打ち立てた竜騎士フラヴィオ。
その数々の功績を支えた仲間の一人に、こう呼ばれた人物がいる。
『奇跡の軍師』。
その名は、エディアエル・オーロリー。