君だけを(4/5)

「え……っ」
驚いたように声を上げ、慌てて手を引っ込めようとする栄口を阻止するように、力を込めて。
「言うまで、離さねぇから」
そう言って、栄口の顔を見て。

息が止まるかと思った。

耳まで真っ赤にした栄口は、困ったような、今にも泣きそうな顔でオレを見ていた。
釣られるように、オレの顔まで熱くなる。
さっきはカッとしていたから意識していなかったんだけど、今になってオレは栄口に触れているんだということに気が付いて、心臓の鼓動が次第に大きく早くなってくる。
「……何で、こんなこと、するの」
栄口の震える唇から、掠れた声が漏れる。
その目元に、涙が溜まる。
「困るよ……」
「何が困るんだよ」
溢れた涙が頬を一筋伝い、それを隠すように栄口は俯いた。
ぽろぽろと涙が零れ、栄口の身体が小刻みに震える。
「言えよ」
動揺を隠して、語気を強めて言うと。
栄口は震える声で、こう言った。

「忘れようと、してるのに……忘れられなく、なる」

頭の中が真っ白になって、栄口が何を言っているのか一瞬よくわからなかった。
ショートしかけた脳みその回路を何とか繋げて、栄口の言葉を反芻する。
忘れられないって、それって、もしかして……?
「オレのことを?」
そう問いかけると、やや間があって、そして栄口はこくんと頷いた。

なぁ、それって、もしかして。
栄口も、オレと同じように想っていたってこと?

「そんなの、オレだって同じだし」
栄口の手首をぎゅっと握る、自分の指先に視線を落としながら、オレは呟くように言った。
「情けねぇくらい未練タラタラで、栄口のこと忘れようにも忘れられなくて、オレも同じ……どころか、オレの方がどうしようもねぇかも」
最後の方は、まるで自嘲するように。
そう言って顔を上げると、涙でぐしゃぐしゃになった顔で、驚いたように栄口がオレのことを見ていた。
「……引いた?」
それも仕方ないと覚悟を決めてそう尋ねると、栄口は首を横に振る。
そして、ぽろぽろと止め処なく零れ落ちる涙を拭おうともせず、まるで悲鳴を上げるようにこう言った。
「オレも、泉と、同じだから……っ!」

衝動のままに、栄口を抱きしめた。
腕の中で震え、嗚咽を上げる栄口をこれ以上ないほどに強く、強く抱きしめた。


この景色が……水平線の向こうに上る朝日が、あの頃と何一つ変わっていないように。
オレたちの想いは、変わってはいなかった。
変わってしまったと思い込んでいただけで……。


目を瞑った真っ暗な世界で、感じられるのは栄口の潜めた息遣いとその温もり。
その表情を確かめたくて、薄目を開けて栄口の顔を覗き込む。
……と、その視界の隅、遠くに黒い影が映ってオレは思わず栄口から身を離した。

ジョギングでもしているのだろうか、その人影はまだ遠くにあるし、あっちから見ると逆光になっているからオレたちのことはちゃんと見えてなかっただろう……と、思いたい。

突然のことに栄口は目をぱちくりとさせ、オレの視線の先を追うように後ろを振り向く。
そして栄口もその人影を見つけたのだろう、恥ずかしさからかその顔がさぁっと赤くなり、俯いた。

そう、色々ありすぎて完全に頭から吹っ飛んでいたけど、ここは普通に公共の場なんだ……。

ようやくそれに思い至り、なんだか気恥ずかしくなって栄口と同じように俯いた。
焦りすぎでカッコ悪スギだろ、オレ。
けど、栄口に聞きたいことも話したいことも、まだ沢山ある。
まだ、栄口と離れたくない。

どっか落ち着いて、話せるところがあれば……。

なんとなく気まずい沈黙が、オレたちの間に流れる。
何も変わらない波の音に乗って、規則正しいリズムで足音が近付きそしてまた、離れていく。

「あの、さ」
沈黙を破ったのは栄口のほうで、遠慮がちに声を掛けられてオレは漸く顔を上げた。
相変わらず赤い顔の栄口は、俯いたままちらちらと目だけでオレを見上げながら言葉を続けた。
「オレんち、こっから近いんだけど……良かったら……」
その声はだんだん小さくなって最後のほうは尻すぼみに、ぼそぼそと聞こえるか聞こえないかの声で付け加えられた「来る?」という問いかけに、オレは一も二もなく頷いていた。




栄口の折り畳み自転車を車に積んで着いた場所は、海から10分も行かないところにあるアパートだった。
住宅街の一角にあるそこは、新しくは無さそうだけれど小奇麗で好感の持てる……栄口が好きそうな建物だった。
先に行く栄口が一階の角部屋の前で足を止め、鍵を開ける様子をオレは後ろからぼんやりと眺める。
やがてドアが開き、「どうぞ」と促されるままオレはその部屋に足を踏み入れた。

狭い玄関で靴を脱ぎ、中に入る。
清潔感のある、1Kのアパート。
シンプルな部屋だけれど生活感が無いというわけでもなく……過不足ない、という言葉がぴったり来るような部屋だ。
調理器具の類は結構充実していて、さすが栄口だな、と思う。
部屋の真ん中にあるコタツの上には、教科書らしき分厚い本や採用試験の問題集が詰まれ、栄口の努力を窺い知ることが出来た。

……ここで、栄口が毎日生活してるんだ。
この、部屋で。

「適当に、座ってて。お茶でも……」
いつの間にか隣に来ていた栄口がそう言って、台所へ踵を返そうとする。
オレは咄嗟にその腕を掴んで、引き止めた。
「え……」
驚いたように、そして困ったようにオレを見上げる栄口をまっすぐに見ながら、オレは言った。
「大事なこと、聞いてねェ」
「え……?」
「栄口がオレのこと、どう思ってるのか……今の栄口の気持ちを聞いてねェよ」
そう、さっきはその場の勢いというか、流れでうやむやになってしまったけれど。
ちゃんと、栄口の口から聞きたかった。
はっきりと、栄口の気持ちを。
栄口ははっと息を呑み、うろたえたように二、三歩後ずさる。
逃がさないとばかりに掴んだ腕を強く引けば、バランスを崩してよろめいて、すぐ脇にあったベッドの上にぽすんと尻餅をついた。
オレを見上げる栄口の目を、じっと見下ろす。
心細そうに揺れる瞳が一度閉じられ、ゆっくりと開くと同時に栄口の唇から震える声が発せられる。
「泉は、どうなんだよ」
「……え?」
「泉だって、ちゃんと、言ってない」
予想外の切り返しに、オレは言葉を失い目を瞬かせる。

言われてみればそれも確かで、栄口の気持ちを確かめることばかり気にしていて、自分の態度を全然はっきりさせてなかった。

恥ずかしさの裏返しなのか、睨むようにオレを見上げる栄口。
その色素の薄い瞳を真っ直ぐ見つめ、オレは言った。

「好きだよ。ずっと、ずっと……栄口のことが、好きだ」

栄口は驚いたように目を見開いて。
くしゃりと、表情が歪む。今にも泣きそうに。
その涙の最初の一滴が零れ落ちる直前に、オレは栄口に抱きついた。
突然のことで、栄口はオレの体重を受け止めきれずにベッドの上に仰向けに倒れこむ。
思わずベッドに手をついて身体を離すと、栄口は涙でくしゃくしゃの顔で……でも、嬉しそうに笑って。

抑え付けていた想いが、溢れて、溢れて、溢れ出して、止まらない。

躊躇い無く栄口に口付けると、栄口の腕がオレの背中に回る。
久しぶりに感じる柔らかい感触に、頭の中が一気に沸騰する。
数回啄ばむと、自然に唇が開いてオレはその中に自分の舌を滑り込ませた。
差し出される舌に絡みつき、軽く吸い上げると組み敷いた栄口の身体がぴくんと跳ねた。

このまま全部、喰らいつくしてしまいたい。

自分の中で目を覚ました獣じみた欲求に気付き、オレは慌てて身を起こす。
朝陽の差し込む部屋の中、唇を互いの唾液で濡らし少し呼吸を乱す栄口は、今まで抑えつけられてきたオレにはあまりにも刺激的過ぎて。
……このままじゃ、止められそうに無くて。
オレはすぐさま目を逸らした。
「泉……」
栄口が、オレを呼ぶ。
「ねぇ、いずみ……」
甘えるような声で、オレを呼ぶ。

そんな声で呼ぶな。
どうなっちまうか、自分でもわかんねぇんだから……。

「もっと、して……?」
続けられた栄口の言葉に、全身がかっと熱くなった。
思わず栄口のほうに視線を向けると、栄口はとろんとした瞳でオレのことを見つめていて……まるで、先ほどの続きを期待しているかのようで。
「……ンなこと、言われると、止まんなくなりそーなんだけど」
ぼそぼそと、喉の奥から絞り出すようにオレがそう言ったら。
「……うん、いいよ……オレもね、泉のこと、好きだから……」
そう答えながらオレに向かって両手を差し伸べる栄口に、オレはもう我慢なんかできる筈がなかった。



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