ソラソドソラソ
ララソラソファミレミド


楽譜を順に追って見ているのが通常の現実で、夢見の世界は楽譜全体が見えたり違う旋律が浮かび上がったり被ったり、固定的ではない。

現実だろうが夢だろうが 、楽譜が生じるのは、音が鳴っているからこそであります。みえているものは音そのものではないのです。

科学的にも、脳意識では「今」というものを絶対に捉えられないことがわかっている。音を聞く→楽譜に現すという作業はしていても、脳が音そのものを鳴らしているわけではないのです。

「今」とは今にしかない。のに、脳意識は永遠にそこには居ない。

音の発生源は胴体の真ん中辺りで、鳴り響くのは身体に空間があるからであり、身体があるからである。
下肚は音なき音のふるさと、沈黙。

音が鳴っている世界と音が発生する世界と沈黙の世界は、当然身体の外にもある。音が鳴っていてもいなくても、沈黙はいつだってある。音で沈黙が聞こえにくくなっているだけである。

瞑想などを学ぶ場合は、音を消して沈黙することもしくは沈黙に気づくことから始めるのが初歩的なやり方だと思われますが、音があってもなくても沈黙といることが本当の瞑想である。というかそうしていれば「瞑想行」などやる必要は無い。瞑想をするということは非瞑想をしている時間があるということである。呼吸法や姿勢法を「やっている」ということは、結局やっていないということである。

「今」とは、時間を止めた状態のことではなく。
音譜(上丹田)と音(中丹田)と沈黙(下丹田)は重なって同時にある。沈黙か、さもなくば発音か、ではないのである。

楽曲や指揮を変えようというのがマインドトレーニングとかコーチング、ヒキヨセなどのやり方なのかわかりませんけど、瞑想とは単に音を聴くものである。音の鳴るほうへいくものである。音のしないところへもどるものである。音のしないところにいるものである。






ズン ズンズンズンドコキヨシ

チン チンチンチンポコチブル