「思考は現実化する」ことについて語られているのはサクセスピリチュアル の話であるが、「現実は思考化する」ことについて真体功の話をします。

私達は誰であれ身体の軸、氣、の有り様を通して世界が観えます。それがその人にとっての現実です。その現実から思考をします。マイナスだろうがプラスだろうがどっちでもいいことです。即ち思考していてもしていなくても現実は現実としてあり、現実に思考させられているわけですから、なんの矛盾もありません、当然、思考は現実化しているように「思える」のです。

今このとき、あまりチカラを出せない姿勢でいるとします。そこにある現実は、「あまりチカラを出せない自己」です。その姿勢を変えられないとします。そうすると、あまりチカラを出せない自己が、あまり出ないチカラで何かをやったりやらなかったりする。人生は大変だ、自分は大したことは出来ない、頑張れば何とかなる、努力は報われる、などなどの思考の基礎思考ができる。その基礎思考通りに事は運び、思考は強化され、ループ完成。閉ざされた自己においてだけは、何の矛盾もなし。矛盾がないもんだから、ある意味ラク。このループでやり過ごしていこう。現実の誕生。固い現実のな。固い姿勢でな。

肩凝り腰痛をやめられないのも、そんな現実にあるわけです。
んだけれども、現実を変えるチカラはワタシタチにも委ねられておるのであります。真実からどんな現実を張るか、決められる。自由。オーケー。上出来じゃないの。上出来にしようじゃないの。
本意中の本意にて。