クマシエル
【小説】そして今日環状線で(後編)
2017/01/31 06:51
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 その時大混乱にあった俺、平泉の話の続きのまた続き。


 さあ来い、降りてやる。
〈次は、サンダンジ、サンダンジ…〉
 三ノ宮だ。
ま、乗り換えれば!
 と腰を浮かせたところで、
「…じゃない、塩屋じゃない、塩屋じゃない」
 悲鳴のようなうめきを聞いた。
明らかにヤバい空気が漂う。
「あ、あああぁーーっ!」 目を凝らすと、大将が頭を抱え声を限りに叫んでいる。
ガン、ガン、ガンガンガン
車内の壁に手すりに迷い無く頭を打ちつけ始めた。
「大将!」
 平泉は咄嗟に駆け寄り、力の限りに大将の頭を引き寄せ何も考えずに万力のように体の奥に抱え込んだ。
 意外にも大将は更に暴れるでもなく、ぶつぶつと胸の中で呟いているようだ。
「…は誰ですか? 大将は誰ですか? 大将は誰ですか?…」
 この繰り返しだ。
「……大将ってのは、君の事だろ? みんなそう呼んでる」
 おかしな説明だが、同じ電車に乗り合わせるだけの関係で知っている事などその程度という話だ。
 すると顔を平泉の胸に伏せたまま、大将は言う。
「僕大将違います。大将は誰ですか?」
 漸く府に落ちてきた。
「そうだな。君は大将じゃない誰だ?」
「僕はトキトモです。名前には姓と名があります。あなたは誰ですか?」
大将もといトキトモ君?は意外にも交流に前向きだ。
「平泉だ」俺は言った。
「ヒラ、イズミダ…」
「違う。こう言えば分かるか、姓が平泉、名が翔吾」
「ヒライズミ、ショウゴ」
「そうだ。翔吾でも平泉でもいいぞ」
「ヒライズミショウゴ」と俺から離れるや指差した大将、いやトキトモはニヤニヤしている。
名前を知って嬉しい?のかもしれない。
〈次は、ホンジョウ、ホンジョウ〉
 気がつくと三ノ宮(仮)はとうに発車し、次の駅に着くところだった。
 ちら、とトキトモを見ると、至って平常運転でアナウンスをまくし立てながらニヤニヤしている。
(のんきなもんだ)と思いつつ平泉までどうも開き直ってきていた。
 どっかと座りユルく車内を見渡す。
 こんな異常事態なのに誰も焦って見える者も居ない。
 それに何故か乗客の顔ぶれが変わらない気がする。
あのおばさん、いや妙齢のご婦人とかな。
気のせいだろうが。
(また睨んでるし。急に大将を抱っこしたりやらかしたしな)
 さっきの行動が怪しい自覚はあるので諦めもつく。
 にしても、何だかなあ。今までの調子ならまた須磨から三ノ宮のキテレツ環状線ループだ。
(3周目だっけか、トホホだな)
 救いなのは別段急ぐ用は無い事だ。
 両親は亡くなり、背負う荷物分働かない男の元に留まる物好きな女も居ない、俺を背負いたがる偽善趣味の女にはご遠慮頂いている。
ペットもおばさん猫で餌があれば多少構わなくても平気だろう。
 気がつくと物思いの間に隣から温もりが伝わるようになっていた。
 トキトモじゃないか、驚いた。
目も合わせないくせに、この距離近過ぎだろ、おい。
 もしや暖をとってるのかと思ったが、冬のJR線の車内はガンガン暖房がきいて温かい。
 電車は順調に3周目を消化中だ。
 参考にならなそうだが、隣の温もりにまるで無駄な質問をする。
「また須磨の後は三ノ宮になるけどどうする?」
「須磨の次は塩屋です。塩屋に着いたら降りて16時20分、75番の市バスに乗ります」
 ほら同じ。
でもこんな時は揺らがない誰かの存在に助けられる気がしないか?
 平泉は宣言した。
「俺も塩屋だから、塩屋まで一緒に乗る事にするよ」
 あれ以上トキトモをパニクらせたくなかったら、もう方法はこれしかないと思った。
それに自分は別に忙しくもないのだから、時間だって惜しくない。
「ヒライズミショウゴは須磨の次で降りると言いました」
 真顔でトキトモが言う。
平泉は可笑しくなって言葉を足した。
「だからさ、トキトモと俺は塩屋の家に帰るから、トキトモが降りる時は俺も降りるんだ」
「僕もヒライズミショウゴも塩屋で降ります。ヒライズミショウゴは須磨の次で降りません」
「その通り」と平泉が言うのに合わせたように、その時不意に聞こえた「チッ!」という声。
 その舌打ちは俺ら以外の誰かだろう。
分からないが多分誰かのご希望に添えなかったようだ。
 だがそれはどうでもいい。
 気長に塩屋を待とうじゃないか!
 何だかいい気分であくびが出る…


 と、気がつくと1人電車に揺られていた。
陽はだいぶ傾いて、それなりにさっきより混んでいた。
もう夕方だ。
 (トキトモ…)
 若い相棒は影も形もなかった。
 そして須磨の次は素知らぬ振りで普通に塩屋となり、平泉は狐につままれた気分でいつもの駅へ降り立った。


 それから━━
 あんなに五月蝿がっていたトキトモを今は心待ちにする俺がいる。
幸運のお守りに思えるんだ。
 彼はいつも自分の世界にいるけど。
でも俺に気づいてる。
ちゃんと分かるんだよ!
ほんとさ。時々夢で逢うからね。
          了 
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