クマシエル
【アニメ再訪】『Fate/Apocrypha』と『刻刻』
2018/04/15 09:37
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クマシエルはどちらも紙媒体(原作とかコミカライズやノベライズ)は読んでなくてアニメ化を観ただけですが、どちらもテーマに似たところがあるように思えたので、これからしばし考察にお付き合い願えたらと思います

『刻刻』は漫画のアニメ化作品で、あらすじはというと、
[佑河樹里は、無職の父 貴文、ニートの兄 翼、隠居の祖父(じいさん)と母親、シングルマザーの姉 早苗、甥 真と共に、貧乏な暮らしながらも平凡に暮らしていた。
ある日甥と兄が誘拐され、身代金要求の電話がかかり、受け渡し期限まで30分しかなく、じいさんが佑河家に代々伝わる止界術を使い時間を止め、全てのものが動きを止めた止界を樹里とじいさんは2人の救出に向かった。]

という話で、その止界術の力を手に入れて自分の野望を果たそうとする止界術を崇める新興宗教の教祖との攻防が描かれます


一方、『Fate/Apocrypha』のあらすじはというと、
[『Fate/Zero』以降の世界でアインツベルンがアヴェンジャーでなくルーラーを召喚した結果の世界が『Fate/Apocrypha』の世界であり、それが外典(=Apocrypha)と呼ばれる由縁である。
第三次聖杯戦争の折に失われた大聖杯が発見された事から物語は始まる。大聖杯を奪い隠匿していたユグドミレニア家がその聖杯をシンボルに掲げ、魔術協会からの離反を宣言し、それを討伐すべく魔術協会から派遣された赤の陣営とユグドミレニアの黒の陣営にそれぞれ7騎ずつのサーバントが召喚され2つの陣営で対戦する事になり、その審判としてルーラー『ジャンヌ・ダルク』が召喚される。
そしてルーマニアを舞台として2つの陣営の『聖杯大戦』は開始された。]
という事で、
この話も赤の陣営を率いるシロウ・コトミネこと天草四郎の人類自体は望まないであろう方法の全人類救済の願いが聖杯によって叶えられるのを阻止する戦いに変わっていくのですが、

これら2つの作品に共通する真理は、ずばり1つ(或いは片一方)の願いしか叶えられない事と、1つの願いを叶える権利を勝ち取る為に他人や他の存在を亡ぼしてでもというやり方が当たり前になっている事かなと思ったのですが、それは宗教の考え方がそうさせているように感じたのですね
『刻刻』の新興宗教は信者達は時を止める石の力を崇め、その力をめぐって人を殺すのを教祖が何とも思っていないという、より良い人の在り方についてなんて何も考えていない思想の無いエセ宗教だし、
『Fate/Apocrypha』の根底にある価値観はキリスト教とは切っては切れないもので、キリスト教は愛を説くけれどキリスト教の名のもとに戦争や処刑は行われてきて、命を大切にする宗教とは言い難い側面があるしで、
どちらのアニメも正義や欲望を通す為なら殺人には何のためらいも持たないところが、どうしてもクマシエルには違和感でしたが、それが何故なのかなを考えた時に、日本にいるせいで意識しないで仏教的な感覚だからではないかと思い至りました!
日本人って自然に概ねどんな場合でも殺生で解決は良しとしない考え方をすると思うんですが、それってきっと永く根付いた仏教的思想に培われたものじゃないかと思うんです!
だから自分が信じる正義を脅かそうとしたからって、すぐ武器を向けて戦おうという発想にはすんなりならないので、こんな出来事に巻き込まれたら恐らくあっさり殺されちゃう雑魚キャラなんでしょうけど、ま、仕方がないかなあなんて思ってしまうんですよね
日本人が平和ボケしているという意見を外人の知り合いから聞く事もたまにあるんですが、いいじゃん、本当に平和に過ごせる環境に住んでるんだからと思うんだけど、それって甘ちょろい考えなんですかねえ?
平和に過ごす事を希求する、または当たり前に思う人が多い世界にこそ、平和は根付いていくと思うんですよねえ
日本には仏教が古きに伝来してから広く流布し思想に浸透してくれて良かったんだなあと思った次第です



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