映画「沈黙」を見てきました。

マーティン・スコセッシ監督。
日本人キャストとして窪塚洋介や浅野忠信が出ている。

題材は、江戸時代の隠れキリシタンへの弾圧、そして当時最後に来日した宣教師達について。

高校の日本史の授業では、当時の日本にとって、キリスト教(を利用した違法行為)は確かに危険だった、と習った。

だが今さらながら思ったのだが、だったら宣教師どころか、日本人の信者、しかも一般人を迫害するのはおかしいんじゃないのか!?

犯罪者をあぶりだすのに踏み絵とか、クリスチャングッズ持ち物検査とか…。そら信者しか見つからんだろ。何の役にも立たないよ。
主人公の宣教師が、(役人達は)キリスト教のことを理解していない、と言っていたが、当時の政府はキリスト教どころか、自国の問題すら理解していなかったようだ。

登場人物の外国人が、「日本は沼地だ。日本に異国の宗教は根付かない。彼らは教えを理解できない民族だ」というようなことを言っていたが、寒気がするほど鋭い指摘だ。

映画の出来事から約200年後、日本は明治維新期に入る。
日本に自国の文化や社会を紹介しに、多くの外国人が来日した。各藩に雇われる、お雇い外国人、と日本史用語で言われている外国人だ。

そのうちの1人で、ベルツっていう名前だったような医師が遺した手記の一文。高校の授業で見た気がする。
「日本は我々の文化や精神を、本質的に理解しようとしない。知ろうともしない。形式だけを真似したがる。そのくせ文明開化だとか言って、国中が有頂天になっている。その様子はあまりにも滑稽で呆れ返る」
という意味の内容。

全く一緒じゃないか。
しかも現代でも。

俺達が生まれたのは、なんで今なんだ?こんな腐った世の中で、どう生きればいい!?と、キチジローが言ってた。どうにもこの人物を憎みきれないのは、現代に生きている自分と重なるところが、あまりにも多いからだ。

そんな江戸時代でも現代でも、確かなのは 、隠れキリシタンたちの純粋な信仰心…。

現在も長崎に、隠れキリシタン
としてのクリスチャンがいるらしく、映画の公開に合わせてインタビューがあったり、試写会に招待されたりしていたらしい。

頑張って記事探そう…。