目の前が、真っ赤になった。

悲鳴、血の匂い、火の燃える音…

何が起こったのか判らなくて

必死にお母さんの手を握って

その手が解けて、墜ちていく。


「おかあさ――――」

 

 

目が覚めるとそこは冷たい石畳の床に寝そべっていた。
見たことのない景色、細長い建物は上までらせん階段で続いていて、ぽっかりとした空洞になっている。
上からは光が漏れていて、そういえばここに来る前に光を見た気がすることを思い出した。
「…ここは…」
あたりを見回して、すぐ隣に紫銀色の髪の少年が目に入った。
「あ、の…あの……」
「…う、しゅり…」
怪我をしているのか、その少年からは血の匂いがした。
何も覚えていないはずなのに、体ががくがくと震えだす。
嫌だ、この匂いは怖い…
震えている体をぎゅっと抱きしめると、目の前の少年が気が付いたのか、綺麗な菫色の瞳が自分を捕らえるのが見えた。
「…しゅり…しゅりは…?ここは……お前、震えてるのか?」
「怖い匂い、お母さんが、いなくなった時の匂いがする」
「怖い匂い…?もしかして、血の匂いが怖いのか…?」
何も言えないでいると、その少年は困ったように少し離れた。
「い、や…おいて、かないで…!おかあさん!」
突然しがみ付いてきたことに驚いたのか、鋭い爪が頬を掠めた。
熱くなった頬からジワリと赤い血があふれだし、じくじくと痛み出すが、そんな事よりも恐怖の方が勝っていた。
血の匂い、火の燃える音、誰かの悲鳴。
繋いでいた手が離れていく感触、それが怖くて、ただひたすらに目の前の少年にしがみ付いて泣きじゃくっていた。
「俺の名前は朱乃だ、お前の名前は?」
「…ひっく、れ、怜悧…」
「そうか、怜悧。大丈夫だ、怖くない。
俺が一緒に居てやるから、泣くな?」
よしよしと優しく頭を撫でられて、それがひたすらに嬉しくて、怜悧は初めてふにゃりと笑った。

 


「おや、久しぶりのお客様の様だぞ」
いつもの定位置となっているカウンターの一番奥の席に座っていた黒髪に銀の瞳を持つ少年の様な風貌の青年が顔をあげ、窓から見える灯台の光を目で追った。
彼らの住む「幽世亭」の真裏にある小さな丘にある灯台が灯ると、迷子の魂や人ならざる者が迷い込んできた証。
「そうか、じゃあ迎えに行ってやらないとな。
きっと目が覚めたら知らない場所で困惑していることだろうし」
後ろで食器を洗って居た桜色の髪の青年が微笑みかけると、黒髪の青年が立ち上がって手を差し伸べた。
「では、迷える子を迎えに行こうか」
「ああ、黒葉。君の思うままに」
黒葉、と呼ばれた黒髪の青年の手を握り、桜色の青年がやんわりと微笑む。
そのまま二人は手を繋いで幽世亭の裏にある灯台に向かった。
重圧な扉を軽々しく開けると、小さな子供が二人、身を寄せ合っていた。
「これはこれは、珍しいな。妖狐に鬼か…」
突然開いた扉と、聞こえた見知らぬ声に小さな妖狐はあからさまに恐怖を示し、その妖狐を守る様に抱きしめた子鬼は黒葉をにらみつけた。
「余程酷い仕打ちを受けたらしい、国永。その子鬼を手当てしてやれ。
ほら、そこは冷えるだろう?こちらへおいで。かえって温かい飲み物でも淹れてやろう」
警戒をむき出しにする子鬼に抱きしめられた妖狐に向かい、微笑みかけて手を広げる。
「怪我をしているところを見せてくれないか?
手当てしたいだけだ、何もしない」
国永、と呼ばれた桜色の髪の青年も優しく安心させるように微笑みかけ、武器の類は持っていないと治療用の道具を全て子鬼に見えるように並べた。
「いやぁ!しゅの、いかないで!どこにもいかないで!」
最初に見た人間を親だと思い込む雛鳥の様に、怜悧は朱乃から引きはがされるのを嫌がった。
「お前たちは兄弟か?引き離したりはしないから安心するといい。
俺も国永もお前達を保護しに来ただけだ。」
「…ほんと?いっしょにいてもいい?」
「ああ、良いぞ。
俺も国永とずっと一緒に居るからな。ああ、これは国永と言って俺の妻だ」
「…俺たちは、兄弟じゃない…目が覚めたらこいつが震えていて…放っておけなくて…
俺は双子の兄と一緒に御山に逃げる途中で…そうだ、朱璃…双子の兄を見なかったか?目が覚めたらどこにもいなくて…」
「いや、ここにたどり着いたのは君たちだけだ。
俺たちは君たちがここにきてすぐにこの場所に迎えに来たから、どこかに一人で行った可能性はないな。
もしかしたら、ここじゃないどこかに転移してしまったか…」
「とにかく話は後だ、まずは帰って温かいココアでも飲みながら話すとしよう。お前達の今後の身の振り方についてな」
黒葉が怜悧をひょいと抱き上げ、国永は治療の終わった朱乃を抱き上げて幽世亭まで運んでいく。
からんころんとドアベルが音を鳴らし、薄暗く演出された照明の中に綺麗に取り揃えられたカウンターといくつかのテーブル席。
そこのテーブル席に二人を座らせて、国永はどこかに行ってしまう。
向かい側に座った黒葉は優しく微笑んで二人の前に座った。
「ここはな、お前達の住んでいた現世と死後の世界であるあの世の狭間にある世界なんだ」
「俺たちは死んだのか?」
「いや、そうではない。
お前達の様に力を持った妖はまれに時空のはざまに落ちてここへ来たり、さまよえる魂がここに来るのに巻き込まれたりして来る事がほとんどでな。だが安心しろ、この世界に居るうちはお前達の身の安全は保障しよう。
丁度空き部屋もあることだし、この世界に慣れるまで自由に歩き回ってみて良いぞ。
怜悧は狐だろうから、後で狐が店主をしている店に連れて行ってやろうな。心配事があれば遠慮なく言ってかまわぬぞ」
「…帰る方法はあるのか?俺は兄を…現実世界に一人で残してきてしまった事になる…」
「そうさな、この世界に来たものはいずれ帰っていく。
時が来たらな。俺たちはそれをずっとここで見送ってきた」
「黒葉は君たちみたいな小さな子供が大好きでな。
良かったら父親みたいに頼ってやってくれ」
国永が温かい飲み物の入ったカップをお盆にいくつも載せて戻ってきた。
「はい、ホットココア。熱いから気を付けて飲むんだぞ?」
「…ほっとここあ?」
首を傾げた怜悧が興味深そうにマグカップを眺めて、それをおずおずと手に取ってみる。
カップはほかほか温かくて怜悧には大きなマグカップを両手でしっかり押さえてからカップを傾けてペロッと舐める。
「――――――――!!!」
思いのほか熱かったのか、怜悧はびっくりしてカップを落としそうになった。
「おっと、危ない!まだ熱かったかい?
結構覚ましてきたと思ったんだが…ココアはあったかいほうが美味しいからな」
そういって国永は怜悧のカップを取ってふーふーと息を吹きかけてココアを冷ます。
黒葉は差し出されたココアを美味しそうに飲んでいる。
朱乃はそれをじっと見てから自分のカップに手を付け、そっと口元に運んでこくりと喉を鳴らした。
「……あったかくて、あまい。
初めて飲んだ…」
「君たちの居た世界ではなかったのかい?
これはココアっていう飲み物でな、黒葉の好物なんだ。
あったかくして、ミルクやマシュマロを淹れて飲むと抜群に美味いぞ。
夏になったら冷たくしても美味しいぞ」
「国永の居れるココアは極上に美味いぞ、うちの人気メニューのひとつだからな」
怜悧はそれを聞いて目をキラキラさせて国永を見た。
「まだ熱いから気を付けて飲むんだぞ?」
そういってカップを渡され、気を付けて一口ココアを飲み込む。
「あまい!しゅの、すっごく甘くておいしいね!!」
感動してぴょんぴょん跳ねだしそうな勢いの怜悧を微笑まし気に見つめる黒葉と国永。
「さっき、ここに来たらいつかは帰るって言ってたけど…
どうやって帰るんだ?帰る方法はあるのか?」
「…そうだな、人によって目的は違うからな。
ここに来る者の殆どは自分に何があったのか覚えていない者達ばかり。
それを思い出した時、白と黒の扉の番人が表れて魂を行くべき場所へ導いてくれる。
目的を思い出しても、ここの生活が気に入って居着く者もたまにいるがな」
「この世界では役割はきちんと決まっている。
今は俺たちの客人として保護しているが、目的を思い出してしまうと保護が解かれてしまうから、この世界に居続けるために役職を持たないといけないんだ。
要するに働かざるもの食うべからずって事さ。
仕事の斡旋は黒葉が取り仕切っているから興味があれば相談してみればいい」
「…ぼく、ここに来る前の事…あまり覚えてなくて…
でも、血の…匂いがこわくて…火の燃える音も……
お母さんの悲鳴が、つないだ手が離れて、一人がこわくて…
それで、それで…それでっ!!!!」
「怜悧、大丈夫だ。
お前はもう一人じゃない、隣には朱乃が居るだろう?
目の前には俺と国永も居る、何か不安なことがあるならいつでも相談しにおいで」
「俺も…朱璃を探しに行きたいけど…
でも怜悧も放っておけないし…」
余りに怜悧が悲壮な顔をしていたのか、朱乃が怜悧の手をぎゅっと握る。
「しゅの…」
「はは、良かったな怜悧?
もちろん寂しくなったら俺達に甘えてくれてもいいんだぜ?
俺達には子供がいないから、ここに来る迷い子達は皆自分の子だと思っているんだ」
「ふふ、国永は皆から母親の様だと言われていてな。
そのうち他の子達にも会わせてやろうな。
今日の所はゆっくりお休み」
「ああ、そうだった!君たちの部屋を用意しないとな!
君たちは和室と洋室……ええと、畳で布団で寝る方がいいかい?
木の床でベットで寝る方がいいか?」
「べっと…ってなに?畳とおふとんのほうがいいな…
しゅのは…?」
「俺もそっちのほうがいい、怜悧が安心するなら」
「しゅの…!ありがとう」
怜悧のふんわりとした尻尾が嬉しそうに揺れる。
「じゃあ君たちの部屋に案内しよう。
必要な物は働いて稼いだお金で自由に買っていいぜ。
週に何度か俺の弟が行商に来るから、欲しいものがあればあの子に言ってくれ、どんなものでも確実に手に入れてくれるはずさ。
ちょっと気難しいところもあるけど、根はやさしくていい子なんだ」
「うん、楽しみだね朱乃?」
「ん、そうだな。」
ぎゅっと手を繋いで、国永に案内されて子鬼と子狐は幽世亭の一因となった。
「ここが君たちの部屋だ。布団はこの押入れに入ってる。
この箪笥と机も好きに使っていいぜ。火鉢はここ、火の始末には気を付ける様に。
洗濯や掃除は各自でやってくれ。何かわからないことがあれば煽れに聞いてくれ」
一通り説明されて案内されたのはこじんまりとした10畳程の和室。
「炊事場は無いから料理がしたかったら店の調理場を使ってもいいぜ。
食事は各自で好きなように。裏に畑があるからそこから食材を取って調理してもかまわないぜ、だけど食材を使ったらちゃんと新しいものを植えておいてくれよ?」
窓からは星が輝き、月が見える。
備え付けに箪笥に小さな文机、火鉢に行灯が置いてあり、綺麗な本棚には数冊の本が収まっていた。
「おにいちゃん、これはなに?」
怜悧が興味本位でそれを国永に渡した。
「ああ、これは絵本だな。きっと黒葉が入れておいたんだろう」
「えほん?」
「読んでほしいのか?」
怜悧は本をパラパラめくり嬉しそうに頷いた。
「はは、いいぜ。
じゃあ寝物語に読んでやるから布団を敷いて寝間着に着替えろー。
って、寝間着はっと…」
国永は箪笥をごそごそと漁って二着の夜着と帯をひっぱりだした。
「国永、さん。これは?」
「黒葉が新しく入った子の為に勝手に用意してるもんでな、いらないものはこっちで回収するから安心してくれ」
「そ、そうなのか…」
少し不思議そうな朱乃だったが、おとなしく夜着に袖を通して、布団に潜り込む。
怜悧も夜着に着替えて布団につくと、国永は二人に絵本を読み聞かせる。
人間たちに迫害されて故郷を負われたであろう幼い鬼と狐は、仲睦まじく手を握り合って初めて聞く物語に夢中になって耳を傾け、やがてしばらくするとこくこくと船をこぎだし、そのまま夢の世界にいざなわれていった。