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Ωバース6

陽も沈んできた頃合い、子供達の食事も終わって食器を片付けた後は子守はおしまいとなる。
後は自分たちの為の時間。
その安息の時を、黒葉はお気に入りのソファに座りここの腕の中で味わっていた。

「今日も子等は元気であったな。珍しい客も来たが」
「ええ、何よりです。彼らはいつも?」
「鶴丸は、白い髪の子はよくな。桜色の髪の方は兄だが、常は作業所でここには来ぬよ」

腕の中でころころと微笑みを浮かべて見上げてくる紅い瞳に、狐はキスを一つ落とす。
こう見えて二人は恋人や番というものではなく、むしろここの求愛中だった。
頬にすりすりと額を押しつける様は野性味が強く、髪を梳かすのを毛並みを整えると言う位には自覚済みだ。
ここはいわゆる先祖返りというもので、狐のような尻尾や耳が残っている。
黒葉はそれをこそ触るのを好んだが、くすぐったいと言う理由であまり触らせては貰えない。

「ここよ、もふもふして良いか?」
「……褒美に毛並みを整えて頂けるなら」

うっとりとした笑みに絆され、ぐうと喉を鳴らしながら不承不承に頷くここ。
許可を出された黒葉は嬉しそうにここに抱き着くと、尻尾に抱き着いてもふもふの毛並みを撫で始める。
ともすればグルーミングは動物にとって交流の仲でもより親密な者同士で交わされる物。
下手をすれば襲いかかってしまうかも知れない為、より気を引き締める事を誓った。

「そういえばここよ、お鶴の発情期が近いと言っておったが……分かるのか?」
「ええ、野生故鼻は利く方なのですよ。ヒート前の灼ける匂いがしました。あの兄弟はΩなのですね。それが何か?」
「いや、お鶴はそうだが……国永はαだ。13の検査で証明済みだ」
「それは……おかしいですね、国永から別の者の匂いがしましたが」
「……大方、抑制剤を手に入れる為に無茶をしておるのだろう。新薬は確か、お前の関係だったな?」

ここの素性を知っている黒葉は焦る様子もなく確認をする。
頷き一つで肯定を示し、他の者よりは詳しい事を示した。
この孤児院に卸している抑制剤の類いも、黒葉が発注しここが荷を持ってくる。
抑制剤の新薬はΩの発情期にはかなりの有効性を示したが、逆に言うのならばその時以外は即効性の毒も同然。
子供の多い孤児院には向かないだろうと、黒葉もここも難色を示していた。

「間違いが無ければ良いのですが……。そういえばあの匂い……」

仕入れた先を想像し、思い付く人物を脳裏に描く。
下層で過ごす分には確実に出会う事は無いだろうが、しかし絶対にあり得ないという訳では無い。

「何か知っているのか?」

にこりと行儀の良い微笑みを浮かべ、黒葉はここを見る。
内心を悟られないように微笑み返し、ここは口を開いた。

「確信が付きましたら、いずれ」

ひとまずは良かろうと、黒葉は頷いて見せたのだった。



鍋を前に手早くジャガイモを小さく切って入れ、固形調味料を刻み入れていく。
孤児院から帰ってくるまでの間、否、今も背中に張り付いて離れないのは白髪の幼い顔をした弟の鶴丸だ。
むすっと不機嫌そうな顔でだんまりを決め込み、ヒヨコのように後を付いてくるのは可愛らしい。
しかし料理をしている時は火と刃物を使うので用心して欲しいところだ。

「鶴、危ないから少し離れてくれ」
「……」
「つーるー? 兄ちゃんと口利いてくれないのかー?」

腹に回された腕に力がこもり、ぎゅうっと抱き締められて思わず吐き気を覚える。
その分何か訴えたい事があるのだと理解出来るが、料理中にこれは頂けない。

「鶴、つーるー、ギブアップ、離れなくて良いから少し緩めてくれ」

タップタップ、と口にしながら腕を軽く叩いて擦る。
それで意味が分かったらしい鶴丸は、口を利いてはくれないものの腕を緩めて代わりに背中に擦り付いてきた。
可愛らしい甘え方のおねだりに、くすくすと笑みを零して背中に腕を回す。

「よしよし、鶴は良い子だな。良い子の鶴は、後でちゃんと不機嫌の理由を教えてくれるよな?」
「ッ……!」
「大丈夫、君がそういう風にする時はちゃんと理由があるって知ってる。理不尽な事じゃないって分かってるよ。嫌いになったりしない」

鍋を見て鶴丸カレーを少しだけ弄った特製シチューを煮込みながら国永は言った。
不機嫌になったり怒ったり、家を飛び出したくなる衝動は必ずある物だが、鶴丸はいつもそれを抑えてくれる。
国永が鶴丸と離れる事を極端に恐れるせいだ。
鶴丸が全面的に甘えているようで居て、国永の精神的支柱は鶴丸に依存している。
一時は片時も離れたくないと鶴丸を離さず、ここ数年でようやく別行動が取れるようになったのだ。
そんな国永にとって鶴丸の考えを理解しようと努める事は必須だった。
兄として、番として、保護者として安心させられるようにする為。
鶴丸を幸せにしたい、その一心だった。

「♪〜♪〜 ♪〜♪〜」

鶴丸の好きな曲を鼻歌で歌いながら、ロールキャベツの仕込みも始める。
カレー風特製シチューのロールキャベツ煮込みにする為だ。
キャベツの間には中層で仕入れてきたハムを巻く。
下層では良くて鶏肉、それでもかなりの値が張るので他にもベーコンと乾燥肉を購入した。

「君の好きな肉を沢山買ってきたから、暫くは豪華なご飯が食べられるぜ」
「……ん」
「さて、仕込みは済んだから今のうちに抑制剤を使ってしまおう。今回のは注射器だったから……」

鍋にロールキャベツを入れて余熱で煮込む為にそのまま放置し、背中の鶴丸に腕を回して抱き締める。
移動をする場所は鶴丸の部屋で、胸元から小さいケースを取り出した。
そこには三本の新薬が並んでいて、抑制剤によくあるタイプの錠剤とは違っている。
説明書きもないそれを取り出し、後ろに居た鶴丸を見たところ、怯えた顔で震えているのが分かった。
そういえば昔から注射は苦手だった事を思い出し、微笑んで頭を撫でるに留める。

「鶴、見てて」

己の服をめくって横腹に針を刺し、中身を空にすると手早く針を抜き去った。
その間、痛がる様子も怯える様子も見せずに鶴丸を振り返り、優しく笑う。
後ろでじいっと国永の様子を見ていた鶴丸は怯えながらも頷き、国永の持つケースへと手を伸ばした。
そうした所で今度は国永が鶴丸を抱き締める様に入れ替わり、ちゅ、ちゅ、と頬や首筋に優しいキスを落とす。
お腹を触られ、ここに刺すんだぞ?と言わんばかりに横腹を撫でられて、鶴丸は怯えよりも愛しさで一杯になり、素直に針を差し込んだ。
筋肉注射になる為に痛い事は痛かったが、

「鶴、偉いぞ。良い子だな?」

と耳元で優しい声が嬉しそうに響いてくる事に歓喜していた。
目端に浮かんだ涙も吸い取り、落ち着くまでのしばらくの間抱き締め続けてくれる。
愛おしくて大好きなたった一人の兄に、存分に頬を擦りつけながら甘えた。
ふと、頬に当たる吐息が熱くなった気がする。
胸の鼓動も早くなり、不思議に思った鶴丸が顔を上げようとした瞬間、身体を締め上げられた。

「ぐあッ!? く、にに……ッ!!」
「つ、る――ッ! わる、い……からだ、が……はぁ、ん、くっ……」

突然異常を訴え始めた国永に、きしむ身体で抱き返す。
安心して欲しくて、良くなって欲しくて。
願いを込めて抱き締めていると、急に強い力で引き離された。

「国兄ッ!?」
「つ、る……にげ、おかし……」

額から脂汗を掻きながら鶴丸を突き放し、ベッドに倒れ込む。
引き離された時に触れた手は異常に熱くて震えていた。
鶴丸の知らない症状に恐怖し、パニックを起こし掛けた瞬間。
トントン、と玄関の扉を叩く音に身体を跳ねさせた。
無視をして国永に着いていたい気持ちと、助けを求めに出たい気持ちが錯綜し、

「お鶴、国永。……居ないのか?」

聞き慣れた安心出来る人物の声が聞こえた事で鶴丸の涙は決壊した。

「黒兄、助けてッ!! くににぃが、死んじゃうッ!!」

壁にぶつかる事も構わずに泣きながら扉を乱暴に開き、見知った黒髪の少年の様な身体を持つ人物に抱き着く。
相手は堪えきれずに後ろの壁にぶつかり、しかし何かが合った事だけは確かだと目線を隣へ移した。
共に来ていたここはそれだけで黒葉の意図を読み、中へと押し入っていく。
黒葉は全身を震えさせて怯え、泣きすがる鶴丸を見て抱き返しながら背を撫でた。

「どうした、何があった? お前を残して国永が死ぬはずが無かろう」
「でも、あのッ、急に震えて、熱、くににぃ汗が凄くて、息が、――とうさんとかあさんも、ああやって……」
「落ち着け、お前達の親の事情は聞き及んでいる。同じでは無い、直前に何をしていた?」
「なに、りょうり、して……俺、国兄から違う匂い、嫉妬して、拗ねて、口利かなくて……」
「違う匂い? ……そういえば、ここも言っておったな……それで?」
「抑制剤、いつものと違う、注射の、俺、怖くて……そしたら国兄が……」

Ω用の溶液をαである自身に使う。
明言はされていなくとも容易に想像出来る事だった。
国永は弟を、番の鶴丸を異常とも言えるほど溺愛し、執着し、依存している。
鶴丸が一言嫌だと言えば、国永は回避法を模索するだろう。
それが物理的にか精神的にかは場合によるが、回避出来ない時は自身も苦を分かち合う事で乗り越えようとするのは目に見えていた。
そういう男だからこそ鶴丸は安心して愛せるのだろう。
それを嬉しいと言って許されるから国永は同じ事を繰り返し安心して愛するのだろう。

「そうか、では国永の様子を見に行こう。必要なら手当をせねばな?」
「くにに、死なない? 治る?」
「それは俺でも分からぬ。だが手が尽くせるのならば、力になろう。俺もまた、お前という弟を愛しているのでな」

小さく微笑み、頭を撫でてやれば鶴丸は過呼吸を起こし掛けていたのを安定させていく。
涙は止まらない物の、黒葉の手を掴んで中に導くくらいには行動的になった。
安心させるように手を握り、先に行ったここの事を考えながら鶴丸の寝室へと足を運ぶ。
扉のないそこは空間だけをぽっかりと空けて、中に居る国永とここの様子を見せつけた。
横腹にかじりつき、口元を真っ赤な血で染めたここと、ぐったりと意識の無い様子の国永。
注射をした筈の箇所は周りがぶす色に変化をしていて痛ましい。

「国兄!? お前、何するんだッ!!!」
「待てお鶴、それは俺の連れだ。先に対処をして貰っていた。どうだ?」
「……ペッ。ええ、今血抜きをしてみましたが命に別状はありませんね。新薬は通常の抑制剤と違うので副作用が濃く出たようです」
「……いのち、本当? わ、わるい、俺、混乱してて……」

口元を拭いながらのここの言葉に体を震わせて感激し、自身を抱き締める様に丸くなった。
そんな鶴丸の痛ましい姿に黒葉は上から覆い被さるように抱き締めてやる。
ここは内心面白くないモノを感じ、しかしΩ同士である事と幼馴染みである事を加味して我慢をした。
それより思うのは国永の事、新薬の事。
下層に居る限りは手に入らないはずのそれをどうやって手に入れたのか。
本来のαならばもっと症状が重く神経などに後遺症が残る筈が、一時的な軽傷で済んだ理由。
答えは簡単に想像が着くが、それを話すにはあまりにも拙い。
まさかαがαに抱かれる事で、新薬の副作用を軽傷化出来るなど。
新薬を横流しできる立場に居るαを、ここは一人だけ知っている。
否、一人しか居ない筈。

「鶴丸、と言ったか。起きればこやつはαの欲が暴走し、お前に無体を強いるやも知れぬ」
「え……それも、副作用?」
「うむ。嫌ならば黒葉と共に孤児院へ避難するが良い。私が代わりに見張りを務めよう」
「……ありがとう。でも、国兄の傍には俺が居たいから。黒兄もありがとう」
「良い良い、今回は気になって行動したが、間に合って良かった。また二人で遊びに来ておくれ」

からころと涼やかな笑い声を上げながら、黒葉は鶴丸の頭を存分に撫でると立ち上がった。
これ以上居たところで邪魔になるのは目に見えている。
それならば院に戻って子等を見ながら休もうという考えだ。

「うん、絶対行く。ここ、も、ありがとう」
「どう致しまして。それでは」

にんまりと狐のような微笑みを浮かべ、黒葉を抱き上げて去って行く。
その姿に嫉妬深い方なのかな、と考えを散らしながら国永の眠るベッドに一緒に横になった。
鶴丸の為ならばと平気な顔で無茶をする兄を心配し、同時に深く愛してくれる番に歓喜する。
曖昧な想いを抱えたまま、それでも国永が愛しいという事に変わりは無く。
様子の落ち着いた国永の姿に、早く起きないかなと心を躍らせた。
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