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Ωバース5

スーツケースから注射器を数本取り出した国永は、小型のケースにそれを入れ直すと一度家に戻ってから作業所を訪れた。
中ではよろしく頼んでいた光忠が代わりに出てくれたようで、似たような年頃の青年等と話をしている。

「光坊!」
「あ、国永さん。おかえり、調子はどう?」
「ボチボチだな。任せて悪かった、後は俺がやろう」

片手に持っていた布袋を光忠に渡し、笑いながら肩を叩いて挨拶をしたが光忠は表情を変えずに首を傾げた。
そのまま国永の肩に両手を置いて軽く引き、堪えきれずに倒れ込んできた国永を抱き締める。

「うん、やっぱり。国永さん、腰おかしくしたでしょ? 歩き方がぎこちないよ、今日は休んで。ね?」

眼帯をした顔の整った年頃の男性が優しく微笑む姿など、並みの女性ならばきっといちころだっただろう。
気遣いは有り難いが、発揮する方向性をどこか間違えている弟分に思わずため息が出た。
不思議そうに見返す光忠の頭をわしわしと撫で、国永は苦笑する。

「君の優しさは有り難いが、そう格好付けなくて良いぜ? 女じゃあるまいし」
「普段から身だしなみと格好は整えておかないと。癖になって初めて活用出来る物でしょ?」

恥ずかしそうに髪を整えながら口にする光忠に笑い返し、礼は改めてする事にして作業所を任せた。
夕飯の仕込みをするにもまだ早く、鶴丸と昼食を食べようかとヒスイの店を目指す。
そうして孤児院の前を通った所で、中から聞こえてくる鶴丸の声に足を止めた。
見れば庭で何か作業をしているようで、子供達の笑い声に紛れて鶴丸の声が届く。
大きな門を前に、この下層での身分証明書をかざして門を開けて中に入った。

「おや、国永ではないか。お前がここに顔を出すのは久しいな」
「やあ黒葉、ちょっとしたお土産を持ってきたんだ。鶴は何を?」
「うむ、タイムボックスだったか。思い出の品を箱に入れて埋め、来年取り出すのだそうだ」

それで雨漏りしない丈夫な箱が欲しいと、鶴の何でも屋に声を掛けたらしい。
黒葉という幼馴染みが院長代理として勤めるこの孤児院には、国永も鶴丸も小さい頃に世話になった。
残念ながらそれ以降は二人で下層の街へと飛び出し、ここへ来るのも時々となってしまったが。
自分より低い身長の一見大人びた黒髪の艶やかな青年を見、国永も庭へと目を移す。

「良い埋め場所は決まったのかい?」
「それがまだでな、今鶯に探して貰っている所だ」

鶯というのも同じ孤児院の出で、今は黒葉を手伝いながら鶴丸と何でも屋の片棒を担いでいた。
孤児院の中にささやかな茶畑と菜園を作り、日がなのんびりしている鶯色の髪をした青年を思い出す。
何とも言えない独特な間合いで話し、黙り込む彼はまるで猫を思わせた。
庭の一角では貞宗が蒼い髪を風になびかせながら子供達と顔を付き合わせていて、

「……懐かしいな」
「そうか? そうだな……久々に庭を散歩してはどうだ?」

黒葉の何かを企むようなイタズラ気な微笑みに背中を押され、何となくそれも良い気がして国永は頷いた。
庭は孤児院がもう一棟建てられそうな程に広く、子供が隠れやすい茂みも多い作りになっている。
大人になった今ではその中を覗くのも容易だが、幼い頃は見つけにくくて卑怯に思った事も合った。
そうして時々生っているグミの実を内緒で食べては夕飯を残してしまったりと、失敗も多くした。
木が密集している一角で鶴丸は箱を組み立て上げ、こちらに気付いて目線を合わせながら手を振ってくる。
それに笑って振り返し、再びゆっくりとした歩みで散策を続けた。
一番壁際に近く、一際背の高い樹を見上げて懐かしさが込み上げる。
国永のお気に入りの場所であり、嬉しい時や辛くなった時、泣きたい時によくこの根元に来た物だ。
根元のくぼみにスッポリと収まり、身体を預けて辛さを分かってくれる相手に話し、

「ッ――……」
「ん? 何だ、国永か。久しいな」

自分の思考と目の前の光景に息を呑んで固まった。
何故か、緑茶色の瞳が藍色に見えた。
何故か、鶯色の髪が艶やかな黒に見えた。
何故か、知らない名前を呼ぼうとした。
目眩を覚えて、ぐらりと傾ぐ身体を樹に預ける。

「大丈夫か? 鶴丸から様子は聞いていたが、疲れているんじゃ無いか?」
「つか、れ? ……いや、そうかもな。白昼夢を見るだなんて、悪い冗談だ」
「ふむ……この場所はお前の気に入りか?」
「ん? ああ、まあな……箱を埋めるには最適だと思う」

痛み出した頭を抑えて木の間から抜け出れば、背後に鶯の止めておく、という静かな声が追いかけてきた。
他に良い場所があるのならそれで良いだろうと納得し、温かい日差しに気付く。
そういえば今日は天気が良かったのだと思い出し、光りで目が疲れたのだろうと思い付いた。
そうでなければ、白昼夢や頭痛の理由が見つからない。

「どうであった?」
「ああ……ちょっと、疲れたな」
「おや、珍しいな? お前は体力だけが自慢かと思ったが……」

顔を真っ青にして無表情になっている国永を見、黒葉は様子を見た後に椅子を勧めた。
言われるがまま、椅子に深く座り込むと長い息を付いてこめかみを揉み始める。
テーブルには冷やされた茶が置かれ、ありがたいと口を付けた。

「黒葉のご友人ですか?」
「ああ、君は?」
「院長代理補佐、兼用心棒と言った所ですね。ここと申します、お見知りおきを」

ここ、と口にしながら見上げれば、白金の艶やかな髪を一括りにした狐顔の美丈夫と目が合う。
黒葉の好みの顔ではありそうだ、と考えながらほぼ無意識に頷いた。
癖の在りそうな人物ではあるが、今は何よりも考える事が難しい。
鶴丸と子供達の方に目線を預け、しかし頭の中は空っぽに風景だけを映し出す。

「そういえば彼、鶴丸でしたか。そろそろ発情期が来そうな匂いがしますよ」
「はつじょうき……ヒートか? 分かった」
「抑制剤はあるのか? 無ければこちらで預かっても良いぞ」
「いや、ある。新薬だから試して無いんだが……家で大丈夫だ」
「新薬?」

訝しげな顔をするここに、口が滑ったと内心舌打ちをする気持ちで国永は黙った。
どうやって凌いでいるのか、どこから仕入れてきているのかは黒葉にも鶴丸にも言っていない。
ただ必要だから用意をしている、それだけで良いと思っていた。
しかし国永の予想とは違って、ここはそれ以上を口にする事は無かった。
助かった、と思う半面気まずい物を感じて黙る。
そうして国永は無表情に、ただただ鶴丸の笑う姿を見ていたのだった。

Ωバース4

大きい樹の根元。
昼間は人気の多いこの場所も、陽が沈んでくる頃には皆中に戻って静かになる。
そうして静かになった空間の中、根元の洞に座り込んで声を殺しながら白い少年は泣いていた。
毎日色んな場面で泣くのを堪えていたが、そうして限界まで来ると誰にも見られないよう一人で泣いた。
血の繋がった家族は一人、似通った容姿の弟だけ。
だから弟の分も、強くなければならなかった。
強く見せなければ、ならなかった。

「……っく、ひっ……うぅ……」
「……くに? くによ、また泣いて居るのか?」
「ひッ!? だれぇ…………ち、ちかぁ?」

ポロポロと落ちてくる涙をそのままに顔を上げ、赤く腫れた目元をさらけ出して大きな紅玉が少年を見る。
今にも溶けるか落ちてしまいそうなその目に手を当て、新しくやってきた黒髪の少年は藍色の瞳を緩ませて頷いた。
見知った人物だと分かった事で、白い少年は遠慮無く声を上げて抱き付いてくる。
彼の泣く気配を察知しては、こうやって黒髪の少年は傍に来た。
どこに居ても、どれだけ身を隠しても探し当て、一人で泣かせないように抱き締めてくれる。

「ちか、ちかぁ……ぎゅってして、いっしょにいてぇ……」
「おお、良いぞ良いぞ。くによ、おいで」

腕の中に抱き締めなおし、ガリガリで肉付きの悪い白い少年を抱き締めた。
年の頃は10歳ほどだろうか、その割に食が細く身体も痩せこけてしまった彼を大事に腕の中へと閉じ込める。
それで落ち着いてきたのか、泣き声こそ上げなくなったものの彼は少年に甘える様に縋り付いた。
頭を撫で、腰に据えた手で抱き寄せていれば、すんすんと鼻を啜る音が聞こえてくる。
顔を見れば涙の海に溺れていた紅玉が顔を出し、少年の顔を映し出した。

「ちか、あのな? あいつら、俺とつるがおかしいって言うんだ。ちかも、おかしいっておもう?」
「うん? どこがだ?」
「…………おやが、いないの、おかしって……俺が、しらないって言ったら……」
「親か。俺も顔は知らぬなぁ……俺達が居るのは親が在るからだが、中には知らぬ者も居ろう」
「他のは知らない、いらない! ちかは? ちかは俺を、つるをおかしいっておもう?」
「思わぬ。覚えていようといまいと、くにはくに。つるはつるだ。俺の知るお前達に変わりは無い」

本音からそう口にし、落ち着かせるように頭を撫でておでこにキスをする。
それで落ち着いてきたらしい白い少年は嬉しそうにはにかみ微笑んだ。
黒髪の少年がよくするおまじないの様な物だったが、それで素直に笑う彼が可愛いと思う。
出来ればこのまま共に、将来的には嫁になって欲しいと思うほど。
ここまで可愛がるのは彼だけで、そうしたいと思わせる不思議な魅力を感じていた。

「笑うお前が愛しい。くによ、もっと笑っておくれ」
「面白くないのに笑えない。でも、ありがとう。ちかのお陰で、頭痛いのもなくなった!」
「頭? どこかにぶつけたのか?」

どこだ?と撫でながら探るが幸いたんこぶは出来ていないらしい。
何より彼が首を左右に振る事で、少年は首を傾げて見せた。

「ぶつけてない。けど、針で刺したみたいに痛くて、急にぐらぐらしてきたんだ」

ぐらぐら、と擬音で表されるそれに精神的な揺さぶりだろうかと思い付く。
白い少年がここまで痩せてしまったのも、廃人のような有様で孤児院にやって来たからだ。
食事も喉を通らず、話す事もせず、見る事もやめてしまったあの頃。
そこから彼を引き上げたのは弟の存在であり、黒葉という同じ頃の少年のお陰だった。
少年は彼の様子を哀れみ、そして見惚れてしまった。
人形同然の彼が生き、笑い、嘆き、そして自分に笑みを向けてくれたのなら、と。
今更あの頃の彼には戻したくないと考え、少年はごまかす事を決めた。

「そうか……それはさぞ驚いた事だろう。次からは一目散に俺の所へ来ると良い」
「ちかの所? 良いのか?」
「ああ、良いぞ。ぐらぐらは良くない物だ、俺か鶴、黒葉の所へ必ずお行き」
「うん、分かった。ちか、ありがとう」

お礼の言葉と同時に手を両手で包まれ、おでこに口付けを落とされる。
普段は少年がする側だったので驚き、彼をきょとんと見た。
頬を桜色に染めた白い少年はくすぐったそうに微笑み、

「ちかがいつもしてくれるから」

紅玉をふにゃりと潤ませて恥ずかしがる姿に、胸が苦しくなる思いがする。
無邪気な笑顔に微笑んで返し、彼が驚く顔をした。

「すごい、いま君の目、お月さまがキレイ。ちかが笑うと、キラキラしてすごくきれい」

藍色の瞳に三日月のような模様が浮かぶ事は知っていたが、純粋な褒め言葉に今度は少年が驚く。
まるで初めて褒められたような衝撃を受け、今度は少年が頬を染めた。
少年の様子を気にせずに嬉しそうに笑みを浮かべる彼。

「末恐ろしいとはこの事か……」
「ちか?」
「なんだ、くによ」
「あのな、ずっと一緒にいような、ちか」

お日様のような笑顔を、約束を、守りたいと思っていた。
Ω検査が行使されるあの日に引き裂かれるまでは。





優しい夢を見たような心地で国永は目を覚ました。
内容は覚えていないが、酷く懐かしいというのと優しかった事だけは覚えている。
まるで宝物に触れたかのような感覚に少しだけ笑い、身体を起こした。
途端傷む下半身に昨日はウリをしたんだったと思い出す。
周りをよく見れば見慣れない部屋で、大きな白いシーツが国永を包んでいた。

「……あ"、あー……けほっ」

イガイガと不調を訴える喉に水をやりながら思い起こせば、いやに美丈夫な男に抱かれた事を思い出した。
三条宗近、かなり美人で大人しめの見た目に反して性欲は馬並みの絶倫。
気を失っても抱かれて居たようで、途中から記憶が無い。
金払いは良さそうだが、その分身体が保たなくなりそうだと考え、相手の姿が無い事に気付く。

「宗近?」

慣れてしまった名前を呼ぶが反応はなく、自分の身体や周囲を改めて確認した。
枕元に落ちている端末とメモ書きを見つけ、見れば流麗な字で連絡用にと書かれている。
これからを感じさせる内容に次を考えてため息を吐き、服に着替えてスーツケースと共に部屋を出た。
ついでに万年筆を一つ拝借し、中層のロッカーにスーツケースを預けると共に換金して買い出しをする。
腰を庇いながらの行動に煩わしい物を感じつつ、これからの予定を立てるのだった。

Ωバース3

夜中、鶴丸が寝静まった事を寝息で確認をし、近場に置いてあったウサギのぬいぐるみと入れ替わるようにベッドを出る。
安心しきった幼い表情で、ゆるやかに笑みを浮かべて眠っていた。
ウサギのぬいぐるみは下層では珍しい祭りの日に、景品で取ったモノだ。
真っ白で大人が胸に抱けるほど大きいそれに、ピンクのハンカチを首に巻いてくにちゃんと呼び可愛がっている。
こうやって夜中に抜け出す事は多くあり、

「国永さん、もう行くのか?」
「ああ、来て貰って悪いな貞坊。いつも通り、朝に戻らなかったら作業所に先に行ったと伝えてくれ」
「俺は鶴さんと遊べて良いけど……国永さん、ちゃんと寝てくれよ。みっちゃんが心配してる」
「遅かったら向こうで寝てるさ。光忠によろしく言っておいてくれ」

ウリに出る時には必ず鶴丸の傍に居てくれと頼んでいる貞宗の姿を見つけ、頭を撫でた。
詳しい事情は教えていないが、それでも何をしているのかは察しが付いているようで。
言及したり止めないのは信頼されている半面、弟分として許されている部分を弁えているからだ。
それを承知で利用し、鶴丸の安全を確保する。

「それじゃあ行ってくる」

止めようと漏らす声を背中に受けながら、顔を向けずに手だけを振って家を出た。
空は少しだけ晴れ間を見せていて、三日月が浮かんでいる。
明かりが無くとも夜目が利くのはありがたく、姿を隠すには絶好の条件だ。
上層へ行くには地下の枯れた下水道を通って中層に紛れ、何枚もの壁を潜ったり飛び越えたりを繰り返して上層の端に着く。
あっさりと来れるのはそれだけ身体能力に優れているからで、ありがたさで反吐が出た。
皮一枚しか違わない人間なのに、αが街を牛耳ってΩを追いやり、そのΩを奴隷のように飼うのだ。
その厚かましさが国永が他人を好きになれない理由の一つでもある。
上層の人間は何かと他人を見下し、自分たちだけが綺麗な生き物であるかのように振る舞う。

「……本当に、反吐が出る」
「おや、どうかしたかい? 随分綺麗な子だけれど、どこの子かな?」

掛けられた声に振り返れば、小太りの小綺麗な格好をした爺が好々爺然とした表情をしていた。
それに応えるように微笑んでみせれば、腕を伸ばして腰に手を回してくる。
年に似合わず随分と遊び好きだな、と思いながらカモにしな垂れるようにさり気なく接触を図った。

「一人暮らししてるんだが、ちょっと遊ぶ金と刺激が欲しくて。……親は馬鹿に育って欲しくないんだと」

耳元で囁くように吹き込めば、相手は勝手に良い所の放蕩息子だと勘違いをしてくれる。
後は秘密を共有する額を提示するのを待てば良い。
好々爺は笑みを深めて国永を値踏みし、額を提示しようとした所で、

「これは驚いた。いくら待たせたからといって、彼氏を放って身体を売ろうとするとは」
「はっ? おいおい、何の言いがかりだ――……」
「こ、これはこれは! まさか貴方のお身内の方だとは……失礼致しました!」

散々腰や尻を触ってきていた相手が逃げるように去って行く後ろ姿を目の当たりにし。
邪魔者を苛立たしげに睨もうと目を向けて驚愕に見開いた。
まさか上層で今一番話題の時の人に会う事になろうとは。
三条宗近、製薬会社の会長に就任し、モデルもかくやという美貌とスタイルで昔から話題を見ない事が無い。

「君ならもっと良い相手が居るだろうに、何のつもりだい?」

怖じ気づいた様子を見せない国永に、宗近はくすりと上品に微笑むと国永に近付いて正面から腰を抱いて見せた。
藍色に三日月の光りが浮かぶ瞳は神秘的で綺麗だと思ったが、その目が面白そうに歪められているのが気にくわない。
顎に手を添えられて、何も言わずに見上げて真っ正面から互いを見る。

「やはり好みだ。何、あのエロ親父にくれてやるには勿体ないと思ってな」
「だからと言って彼氏を騙る程かい? 上品な顔の割に随分と酔狂だな。顔は自信があるが、君には遠慮したい」
「何、今からの誘いに乗れば事実になろう。俺はお前の好みに合わぬか?」
「好きか嫌いかで言われれば極上だな。けれど抱くのは最愛の番だけと決めているんだ」

抱く、というキーワードを反芻した宗近は口元を抑えながら大きな声で笑った。
一体何事かと驚くと同時、衆目を思い出して両手で塞ぎに行く。
幸いと言うべきか最悪と言うべきか、宗近程の美丈夫ともなると周りが遠慮をして注目しなくなるらしい。
まるで気安い仲とでも思われそうな自分の行動に舌打ちをし、なんとか距離を空けようと奮闘する。

「安心しろ、俺が抱く。お前が感じぬ身体であろうと啼かせて見せよう」
「そいつはありがたい申し出だ……けれどタダで抱かれてやる程甘くはないぜ」
「ふむ……良いだろう。だがそうだな、一度ではつまらん。何度か相手をしておくれ」

何を考えての言い回しかは分からないが、ある意味では好都合とも言える展開だ。
有り難すぎて不穏な物を感じながら、頷いてみせる。
腰に添えられた手は外されなかったものの、それで連れ合いだと分かったのか周りが配慮を見せ始めた。
混雑する大通りでも周りの人間からは距離を置かれ、豪華なホテルではボーイに頭を下げられ。
部屋に着く頃には慣れない環境と距離に疲れていたが、未だ慎重にならざるを得ない。
ベッドに腰掛けて足を組み、上着を半端に脱いで宗近を誘い見る。

「やる前に説明させて貰う。薬の使用は禁止、痕を付けるのも禁止、個人情報は話さない、衣装替えは別途請求、オモチャの使用は応相談」
「嫌だと言ったら?」
「交渉不成立、俺は出て行く。ああ、中出しは遠慮させてくれ。αだから妊娠の可能性はないが、他人のを掻き出すなんて不快だ」
「ふむ、お前はαだったのか……育ちは?」
「ノーコメント。しかし変な事を聞くな? 普通は生まれを気にするのに」
「お前に興味がある」

ぎしり、とベッドに付く両手に顔を挟まれ、国永は無表情で宗近を見返した。
言葉の真意は分からないが、その場しのぎや戯れでは無い事は分かる。
ベッドに付いた手が両手を握り、恋人繋ぎのように指を絡められて縫い付けられた。

「ずっと傍に居られない奴はごめんだな」
「共に? ならば自信があるぞ?」
「どういう風に? 親だって平気で子を捨てる。信じられない」

淡く微笑んで見せる国永の表情に、儚くも美しい物を感じて宗近は衝動的に口付ける。
唇を食み、舌先を絡めて繋がりあい、熱い吐息を漏らす国永の呼吸すら惜しいと深くした。

「ん、あ、ちゅ……はぁ……」
「もっとお前の声を、話を聞きたい。お前を知りたい」

頬にちゅっ、と音を立ててキスをしながら、国永の様子を見てみる。
放された銀糸がそのまま唇を濡らしながら、子供をあやすような曖昧な笑みを浮かべられた。
沈黙と共に訪れたのは、明確な拒否だった。
心の底から惜しいと感じ、けれど今聞いた全てを忘れずに頭の片隅に置いた。

「ならば、キスは別料金か?」
「サービスしておく。それで旦那様、今日のご要望は?」
「動かなくても良い、好ければ喘ぎ、俺の形を覚えるまで一晩好きに抱かせてくれ」
「普通は奉仕をさせるんだが……物好きだな? なら……そうだな……」

きょとん、と幼い表情で国永は首を傾げる。
尺をしろ、騎乗しろと言われる事が多く、時には拘束したいという奴まで居た。
上層の人間はとにかく自分が気持ちよくなる事が優先で、そうする為にアナルを舐めろとまで要求もする。
言葉遣いも指摘されるようなアブノーマル性が多い中、宗近の要求は簡単だった。
この辺りで販売している抑制剤の相場を思い出し、それを提示しようと頭を使うために目線を外した先。
無骨なスーツケースを3つ見つけ、宗近もそれに気付く。

「ああ、お前には番が居るのだったな。とすると、Ωか……ならあの抑制剤を持って行くと良い」
「抑制剤? アレの中身が?」
「新薬という奴だ。本来なら人に預けておいたのだが、待ち合わせに来なくてな。邪魔だから放っていた」

新薬の抑制剤と言えば副作用も少ないと言うアレだ。
何故ここに、とは言うのもはばかられる。
彼、三条宗近は製薬会社の会長だ。
恐らくは何らかの商談に使おうとしたのだろう、国永にはただただラッキーだった。
交渉のテーブルにアレを載せられたのは幸い、しかし一度きりでは、足りない。

「おいおい、俺が抑制剤を欲しがるとは限らないだろう?」
「その時は売れば金になるだろう」
「こんな物、持っている方が怪しまれる」
「ふむ……では転売したい場合にはこちらが指定した先にすると良い。悪い話しでは無かろう?」

つまり運び屋になれ、と言っているも同然。
その位の危険があった方がむしろ信用出来ると考え、国永は笑みを浮かべた。
ルートを追えば宗近を脅す弱みの一つも握れるかも知れないと考えたのだ。
実際に脅迫をする気は無いが、手数は多い方が良い。

「商談成立だ。今回はアレを報酬に貰う」
「良かろう。ならば雑事は忘れ、俺に溺れろ。俺は宗近と言う」
「ああ、仰せの通りにしてみせよう。王様……いや、宗近か。俺は国永だ」

名を上げた瞬間、キスをしていた国永の手の平から顔を上げて宗近は目を見開いた。
満足のいく交渉とその報酬に上機嫌の国永は、真意が分からず微笑んで首を傾げる。

「他に良い相手の名でも?」
「いや、いや……そうではない。そうでは無いが……お前は、国永というのは、本当の名か?」

今までの会話で初めて垣間見せる真剣な表情に、国永は訝しげに首を傾げたまま。
源氏名だとしても、本名だとしてもそう珍しい名前ではない。
真剣な表情の中にある瞳は、迷子の子の様に揺れて彷徨っている。
その瞳が気になって顔に掛かる髪を、撫でる様に掻き上げてやった。

「君に教える必要は無い」

けれども口から出たのは拒否を示す言葉で。
それはまるで、自分に言い聞かせるようではないかと思う。
欲しいのは鶴丸だけ、愛しい弟で番のあの子が幸せに暮らせる世界。
あの真白の子と二人で居られれば、ずっと一緒に居られればそれで良い。
それ以外は、友人でもいらない。
友人じゃないなら、もっといらない。
宗近がどんなに悲しそうな顔をしても、顔や手つきが愛しいと思えても、外の人間だ。
外の人間の事は知らなくて良い、知る必要も無い。

「……そうだな。ああ、そうだった。では国永、今からお前を抱く」
「ああ、とっておきの驚きで魅せてくれ」

極上、とも言える甘い笑みを浮かべて国永は宗近の首に腕を回し。
宗近は国永に口付けるためにベッドに押し倒した。



ベッドに丸くなって眠りにつく国永と名乗った青年を見下ろし、宗近は桜色の髪を撫でた。
何度も染めたのか、劣悪な環境のせいなのか。
傷んでパサパサと張りも艶も無くなったそれは、後ろ髪だけを長く伸ばしていて女性的に見える。
華奢な身体は骨張っていて、筋肉が付いている所以外は細く栄養の足りなさを意味していた。
その中で勝ち気な紅い瞳だけは強く輝いていて、意思の強さを表す宝石のよう。
かつて、似たような少年と過ごした日を思い出す。
真っ白な容姿は生まれつきで、弟と二人孤児院にやってきた。
警戒心の強い子供は人と馴染もうとはしなかったが、泣きそうな時は必ず裏の大木の足下で膝を抱えていた。
近付いて抱き締め、頭を撫でると縋るようにしがみついて泣き出す。
何があった、どうだった、鶴丸がと弟の話をし、最後には必ず手を握ってきたものだ。

「ち、か……いっしょ……」

記憶の中のそれよりも低いが、確かに言われた覚えのある言葉を聞いて驚き目線を落とす。
限界まで抱かれた身体を休ませて眠りながら、国永は涙を流していた。
三条家御用達の孤児院に隠され、αだと分かった時には強制的に家に戻され。
最愛の人物との別れを突然突きつけられた。
きっと待っていてくれと、迎えに行くと願いを込めたまま会えずに居た。

「やはり、お前はくになのか? 愛しの俺の、妻よ……」

涙の痕をぬぐい、声を掛けるが返事は無い。
だが、どんなに変わっていても、どこに居ても見つけ出すと決めていた。
番を持った事、宗近を忘れている事、男に抱かれていた事。
正直信じられない事ばかりだったが、手放す気にはならなかった。

「お前が男を知っているのなら好都合。俺を教え込んで溺れさせ、俺無くては生きられぬ様にしてやろう。お前の番と一緒にな?」

だからこそ、焦る必要は無いと闇に笑う。
じっくりと一つずつ、快感を植え付けて虜にしてやろう。
快楽に敏感な身体はどこも開発はされておらず、宗近のを受け入れた時には予想以上の長さと太さに驚いた声を上げていた。
絶倫と涙ながらに言われた事を思い出し、口付けを落とす。
性格はより勝ち気、否、口が回るようになったが愛しさも増すという物。
今までどう生きてきたのか、自分を覚えているか、知りたい事はじっくりと知っていけば良い。
仮に違う人物だったというなら、本物が現れるまで代わりの人形とすれば良い。

「愛して居るぞ、国永」

一生手離しはしない、大切に大切に飼い殺してやろう。
幼い恋心が歪んだ愛になっているとは気付かずに、国永を胸に抱いて宗近もまた眠るのだった。

Ωバース2

一緒に帰宅した国永はルームウェアに着替える為に作業着を脱ぎ始める。
その間、鶴丸はキッチンへ買ってきた品物をしまい始めた。
今日の晩ご飯は鶴丸が担当し、スープカレーにする事にした。

「ただいま、おかえり。鶴、準備する前に髪染めてくれないかい?」
「おかえり、ただいま! えー、また染めちゃうのか? キレイだけど、元のままでも国兄とおそろいで嬉しいのに……」

しゅん、と存在しない耳と尻尾が垂れる姿を垣間見、くすくすと笑いながら頬にキスをする。
それを素直に受け止めた弟は嬉しそうにはにかみ、頬を染めた。

「ほら、こうしたら鶴の可愛いほっぺとお揃いだ。それに桜色は鶴も好きだろう?」
「おそろい? ほんと!? うん、サクラ好き! 国兄の色だからもっと好きー!」
「ああ、俺も鶴が好きだ、大好きだ。だから鶴の好きな色にしたいのさ」

着替えたルームウェアで後ろから抱き着き、腕の中に隠してしまいながら頬擦りをする。
直ぐ近くに感じる愛しい人の温もりと匂いに包まれ、鶴丸もうっとりと頬を緩めた。
いつものしゃんと立っている兄も好きだが、鶴丸にだけこうして緩い顔を見せて甘えてくる姿も愛しい。
ずっと一緒だと約束してくれた通りに感じる体温が愛しくて、鶴丸も国永の頬にちゅっ、と触れるだけのキスをする。

「じゃあこれ片付けたら行くから、国兄は準備して待ってて?」
「ああ、お安いご用さ。染めてる間に鶴は夕食の準備を頼むな」
「えへへ、特製カレー作るから、楽しみにしてくれな!」

ふにゃふにゃに顔を緩めてジャガイモとやせ細ったニンジンを持つ鶴丸に頷き、頭を撫でてから風呂場へと向かう。
染めている間は定着してから洗い落とすまで動けなくなるため、上層から流れて来た雑誌を持ち込んだ。
ヒスイから受け取った染色剤を片手に取り、別の品物をいつ鶴丸に渡そうかと破顔する。
やはり夕食を食べ終わってから、布団に入る前が良いだろう。
早く幼いあの子の笑顔が見たいと待ち望み、枕の横にそっと置いた。
椅子を持ち込めば後は鶴丸待ちとなり、暇つぶしに雑誌を開いてみる。
三条製薬の会長、彼の美貌で有名な三条御子息の宗近氏が就任という見出しを見てつまらないと思った。
写真に写る顔は確かに見惚れる程の美しさで微笑む姿だろうが、所詮は違う世界の話だ。
それより気になるのは上層でのファッションや最近の出来事。
薬を"仕入れ"する為には欠かせない物で、その程度の興味しか無い。

「国兄、お待たせ!」
「ああ、ありがとうな、鶴」

頬を赤らめながら顔を覗かせた鶴丸に、さては何かイタズラをしたなと感付きながら微笑む。
内容は粗方がオメガの習性に基づいたものだが、お仕置きと表して国永もイタズラをして返す。
毎回違う趣向を凝らすのは面白く、鶴丸の淫靡な姿を堪能できる貴重な時間だ。
今度は何をしでかしたのかと微笑み、雑誌を床に置いて鶴丸を腕に抱く。

「いつも通りよろしくな?」
「うん、ちゃんとまんべんなく、染めるんだよな。任せて!」

国永の腕に抱かれ、ふにゃんと笑う鶴丸が正面から液剤を混ぜてブラシで髪をなでつけていった。
落ちないように尻を掴んで固定しながら、上機嫌に鶴丸に髪を弄らせる。
時折もじもじと動きながら、慎重にブラシを動かす鶴丸は真剣だ。
本当は立った方が染めやすいのを、国永はわざと鶴丸に座って正面からすると教えた。
いつだってくっついて体温や匂いを感じていたいのは国永も一緒。
ただ日常の一つ一つに理由を付けてくっつく方が楽しく、そして愛おしい。

「くにに、できた!」
「ん、ああ、さんきゅう。それじゃあ鶴はご飯の準備を頼むな?」

礼にとおでこにちゅうを落とし、鶴丸の頬を撫でて微笑む。
嬉しそうにはにかんだ鶴丸は頷いて返し、また後でね、と言ってから風呂場を出て行く。
鶴丸の体勢では染めづらかった後ろ髪に染色を足し、雑誌に手を取ると再び目を落とした。
どこぞの女優が結婚、誰々が離婚と上層は色めき立っている様子。
他には抑制剤の新薬が三錠製薬から発表、と国永の意識を奪う。
今度の物は身体への負担が軽く、副作用に発熱も酩酊も伴わないという。
もしこれが本当の話だとしたら、喉から手が出るほど魅力的だ。
発表の日がいつなのか、場所はどこでなのかと目が追ってしまう。
値段は一体いくらだろうか。
否、いくらだとしてもその分ウリの回数を増やせば良いだけだ。
他にめぼしい情報は、と目線を流しているうちに、気付けば染色が乾いている事に気付いた。
結構な時間が経ったようで、けれど呼びに来ない鶴丸に疑問を覚える。
雑誌に夢中で気付かなかったのか、いや、鶴丸の声ならばどんな最中でも聞き取れる自信はあった。
では何故なのか?
答えは、

「んっ……はぁ、くにに、しゅきぃ……あ、もっと、しゃわってぇっ!」

髪を洗い流した国永が鶴丸の部屋へ行くと、見覚えのある布きれに鼻を埋めて自慰をする姿で分かった。
今日の作業所は蒸し暑く、その中でも鍋の傍で作業をしていた国永は汗をかいた。
国永の匂いと共に汗が多く含まれた布地、パンツなどをいつものようにネスティングしようとしたのだろう。
けれど蒸れて濃くなった匂いに耐えきれず、オメガの欲に逆らいきれなかった鶴丸は疑似セックスをしていた。

「俺にどうして欲しいって?」

蠱惑的に笑みを浮かべ、鶴丸の手に覆い被さるように手の平に包み込みながら大事な部分を握り込む。
突然の感触と声に、夢から覚めたような声を出して鶴丸は驚いた。

「あ、く、にに!? や、これ、ちがッ!!?」
「うん? 何が違うんだい? 俺の匂いで発情したんだろう、いけない子だなぁ」

口の端をぺろり、と舌で舐めながら微笑みと共に手を握り込んで上下に摩る。
発情している鶴丸は殺そうともしない喘ぎ声で悦び、喉を晒して背後へと倒れ込んだ。
真っ白い肌を真っ赤に染めて快感に悶える様を、愛おしい者を見る目で舐る。
ちゅ、ちゅ、と喉から鎖骨へとキスを痕を残していき、薄桃色に反応する乳首をちゅうちゅうと吸い始めた。

「や、くにに、きもちぃ! もっとしゃわって、かんでぇ、ちゅるをぎゅってしてぇっ!!」
「ん、良いのかい? ご飯もまだだろう、お腹空いたんじゃ無いのか?」
「ひにゃッ! くににで、いっぱいしてぇ、おなか、いっぱい、とんとんしてぇ?」

完全に飛んで肩で息をしながら強請る弟に、舌を絡めて呼吸すら奪う口付けをする。
空いた手で乳首をぐりぐりと押し、挟み、引っ張りあげた。
その間にもう片方の手は足の間へと沈み込み、後孔を攻め上げる。
発情したそこは既にトロトロと淫液を流し、ぐにゅぐにゅと動く壁が奥へと誘い込もうとしていた。

「はは、すっかり出来上がってるな。良いぜ、一杯愛してあげような、可愛い鶴。ずっと一緒だ」
「ん、ん、いっしょ、うれしぃ、ちゅるもあいしてる、くににぃあいしてるの」

へにょりと歓びに笑みを浮かべて力の入らない腕で抱き着いてくる鶴丸をあやすように受け止め、猛っている国永自身を引き出してゆっくりと埋めていく。
埋まる度、足を引き攣らせて悦びの声を上げる鶴丸はうっとりと頬を赤く染め上げていった。
その姿に溜まらない満足感を覚え、国永は腰を早めて上から押し潰すように穴を抉っていく。

「ふにッ!? あ、あああ、くにに、いい、きちゃ、はぁあ"んッ! ちゅるの、くににでいっぱッ!!」
「ん、ふっ、つる、つるッ……かわいい、もっと、突いてやろうなッ! 好きなとこ、どうだッ?」
「ひぃいいん、あ、らめ、いっちゃ、ちゅる、いっちゃああ"あ"あ"あッ!!」

先ほどから溜めきっていた精を腹に吐き出し、鶴丸は後孔を締め付けて国永のモノを出そうと収縮した。
しかし動きを止めて耐える国永に願いは叶わず、鶴丸は腰に足を絡めてより深く繋がろうとする。

「くにに、らひてぇッ! ちゅる、とんとんして、おにゃかにほひぃのぉッ!!」
「くっ、はは……そんなに直ぐ出したら、鶴だって物足りないだろう? 今日は一回だぁけ」
「や、やらぁあああ! もっと、ほひぃッ! おねが、ちょうらい、ちゅるにいっぱい、ちょうらぁああいい!」
「んッ、こら、ワガママ言わない。俺は腹が空いて、君も君の飯も我慢してるんだぞッ!」

言葉尻に合わせて突き上げると、かひゅと吐息と共に声を絞り出した。
その瞬間に合わせてがんがんと腰を突き上げ、水音が室内に響き渡る。
ばちんばちん、ぱちゅぱちゅ、ぐちゅぐちゅと響く音に鶴丸は顔を赤くして酔いしれた。
まるで耳からも犯されている様な状況で国永の突き上げを腹一杯に感じながら中だけでイク。
急激に搾り取るような動きに変わったそれに、国永は耐えきれずに最奥めがけて吐き出した。
お互いに繋がった多幸感に酔いしれ、抱き締め合ってベッドに崩れ落ちる。

「はにゃ、くににぃ、いっぱい……」
「あんまり可愛いと、毎日抱き潰すぞ……」

鼻をぷいっと指で挟まれ、鶴丸はふるふると顔を振って逃れようとした。
しかしくすくすとイタズラ気に笑う兄から逃げられず、結局頬を膨らませて不服を表す。
色々と満足感で一杯になった鶴丸はそのまま寝落ちようとまぶたを下ろし、

「こら、寝る前に飯食うぞ? それに身体洗わないと」
「うぇ、このままねたーい……」
「だーめ。ご飯はちゃんと食うって約束したろ? それに後処理しないと腹壊すぞ」
「むー……はぁい」

だましだまし起き上がり、顔を上げたところで国永からおでこにキスを貰って両手を差し出した。
そうすると国永が鶴丸を抱き上げ、ダイニングの椅子へと座らせる。
ご飯をよそうのは国永の仕事で、鶴丸の分を普通盛り、自分の分を大盛りにした。

「頂きます。上手そうなジャガイモカレーだな!」
「いただきます。うん、今日ジャガイモいっぱい使った!」

嬉しそうに微笑む鶴丸に笑い返し、薄味のスープカレーを平らげていく。
肉が入るのは時折、孤児院の配給が良かった日に分けて貰う位だ。
育ち盛りの兄弟が食べるには貧相な物だが、下層ではごく当たり前の光景だ。
むしろそんな飯さえ用意出来ない者も居る中では良い方。
ようやく作り上げた日常の形だった。
鶴丸の頬に着いている米粒を取って己の口に入れ、鶴丸が食べ終わるのを見守る。
そうした次には食器をキッチンに下げ、鶴丸を抱き上げて風呂場へと連れて行った。

「今日はあわあわー?」
「ああ、給水制限の日だからあわあわだ。君は俺が洗うから、俺は君が洗ってくれよ?」
「うん、国兄洗う!」

嬉しそうに笑い、ぎゅうっとしがみついてくる鶴丸を抱き返しながら服を手際よく脱いで洗濯カゴに入れていく。
自分の分もそうして二人で風呂に入り、カサ増しをするとまずは鶴丸の中から先ほどの国永の精液を掻き出した。
鶴丸は少しだけ不満そうな声を上げたが、すぐに掻き出す指の動きに夢中になる。
膝に座った鶴丸の自身がふるふると起ち上がり反応するのを、けれど何もせずに泡で髪の毛、身体と洗っていった。
洗い流すのは一回で済ませる方が良いので、次は国永の番だ。
鶴丸と正面で向かい合い、反応した鶴丸のと自身のを両手に握って兜合わせに擦り上げる。
二人とも快感で身体をひくつかせながら、まだ濃い精液を射精した。
そうして国永の髪の毛、身体と洗っていき、合間にキスを堪能しながら洗い流して風呂を後にする。
寝るのは大体国永の部屋で、少し広めのベッドに二人とも横について手を握り合った。

「おやすみ、国兄。また明日」
「おやすみ、鶴。また明日な、愛してる」

二人で似たような顔を付き合わせてベッドに眠る。
これが兄弟の求める平穏で、ささやかな幸せだった。

Ωバース

Ωバース

スラム街の貧乏暮らし
鶴&国 なんでも屋
幼い頃から鶴はΩ候補(13歳頃に検査で発覚、区分けされる)
それまでの間、宗近も孤児院で隠れ蓑
鶴丸は覚えてるけど国永は覚えてない(国永は記憶障害)
幼い頃から国永は鶴丸を守ってね、鶴丸はお兄ちゃんの言う事を聞いてね
(両親は暴漢から助けようとして死亡)
伊達組(大倶利伽羅+光忠)が下層地区の孤児院を集中して治安を守る(裏ボス国永)
太鼓鐘貞宗は鶴丸のボディーガード
黒葉&鶯 孤児院(三条家御用達)
小狐が護衛役として常駐
ヒスイ お薬屋さん(鎮痛剤や解熱剤、応急手当程度)
下層地区の方は抑制剤は粗悪なモノが多い

上層地区
大手製薬会社 三条家
宗近 会長 孤児院に居た頃に国永に一目惚れし、以来一途に思っている

国永→鶴丸
Ωとαだと分かった時から執着(俺は鶴を守る為にαに生まれた、運命だ)
記憶の欠落から執着心が強く、鶴が視線から居なくなる事にすら恐怖を覚える
抱きすくめてどこにも行かないで、傍に居てくれ。と言う位には不安定
他の誰かに獲られる、鶴自身が苦しむという理由から抑制剤に執着
安月給の作業所勤め(それでも凄い方)で、薬は買えず首輪だけ捻出
夜にウリと勘違いされて誘われた事が最初となり、時折ウリに出るように

鶴丸→国永
夜は国永の帰りが遅い時もあるので、貞宗と一緒に居て外に出ない事を言われている
発情期の時は常に国永が一緒に居てくれる



α アルファ
第二の性における絶対的支配者。
数が少なく、生まれつきエリートであったりリーダー的、ボス的な気質を持ち、社会的地位や職業的地位の高い者が多い。
彼らの命令に逆らえる者は居らず、人は彼らに畏怖と敬意を覚える。
故に絶対の攻め手であり、しかし発情中のΩとの接触は、どんなに理性的なαであっても抗しきれない強烈な発情状態を引き起こし、時に暴力的なまでの性交に及ぶ事もある。
高い身体能力を持つ彼らを揶揄し、オオカミに例える者も多い。

β ベータ
便宜上そう名付けられた一般人。
最も人口が多く、身体的特徴や行動等も一般的な普通の人間と変わらず、発情期も存在しない。
Ω性の発情に誘惑されることもあるが、α性ほどの激しい反応は起こらず、自制も可能。
β性同士の子供は高確率でβ性となる……が、裏を返せば稀にα性やΩ性が生まれることもある。
αに従うだけの数多の人間。

Ω オメガ
第二の性における弱者。
女のように孕む胎を持ち、αにだけ通用する誘惑的な香りを持つ者。
数はα性よりも少なく、絶滅危惧種のように扱われることもしばしばある。
10代後半から「ヒート (発情期)」が現れるようになり、当人の意思に関係なく、約3ヶ月に1度の頻度で、1週間ほど強いフェロモンを撒き散らすようになる。
手近なαやβに見境なく欲情してしまうため、外出もままならなくなる。
男としても女としても未熟な彼らを、人は負け犬、または欠陥品と呼ぶ。





店の柵格子の外を、一人の男が小気味良い音を立てて吹き飛んでいった。
それを成したのは眼帯に金色の瞳を光らせた男だ。
店主の女はその様子を見ながら紙タバコに火を付けて煙を薫らせる。

「おいおい、店を壊すなよ?」
「そうは言うが、あれは君の元客だろう? 光坊、その辺に棄ててこい」
「はーい、ボスの仰せの通りに」
「ボスって言うな……」

げんなりとした表情で髪を掻き上げるボスと呼んだ青年、国永にウィンクを一つ落として表の男を引き摺って行った。
見送りながらため息を吐き、自前の紙タバコを口に咥える。
しかし直ぐに火が無かった事に気付き、自分の護衛だと言い張り残った黒肌の青年に声を掛けた。

「なあ倶利坊、火持ってないかい?」
「馴れ合うつもりはない。……タバコは止めたんじゃ無いのか、国永」

疎ましげな目で見られて拒否された事に小さく笑う。
店主のタバコから顔を付き合わせて火を分けて貰い、肺を煙で満たすと吐き出して笑みを浮かべた。

「鶴の前では禁煙中さ。一服した後のキスは苦いって言ってたからな」

その言葉だけで何を言っても無駄だと理解した青年は肩をすくめてみせる。
店主はカラカラと笑って椅子に深く腰掛けた。
先ほど暴漢に襲われ掛けた割には随分と落ち着いていて、しかしそれが日常茶飯事の事だった。
Ωの掃き溜め、と言われる下層地区は治安など合ってないようなもの。

「しかし助かった、今回のは面倒な相手でな。抑制剤を扱ってないなら自分のルートを紹介したいと脅して来やがった」
「抑制剤かぁ……君でも作れないんだろう?」
「原理は分かるから上等な施設さえありゃ研究は出来る」
「そんなもの、上層でも無けりゃ整う筈がない」
「そういう事だ。俺が出来るのは解熱と鎮痛、一般的な病気に対する漢方薬。つまりは応急処置さ」
「それだってこの街にとっては助かってるさ。そういえば鶴は?」

友人であるヒスイの店に預けている弟の姿を探し、くるりと店内を見回してみる。
Ωである鶴丸は一般就労が難しく、抑制剤も無ければヒート時期には満足に働けなくなった。
そういう点や身体的に劣るという理由で、働き口の少ない下層では更に難しい。
ヒスイは見知った人間に手伝って欲しい、という理由を付けて鶴を雇っている。
賃金は低いが物資を横流ししたり、何より鶴丸の事情を知っているので融通が利きやすい。

「今は孤児院へおつかいに行かせてる。頼まれ物も出来てるから、いつも通りに寄れ」
「そうか、助かるよ。今のに鶴を見せたら狙われそうだしな……それじゃあ休憩終わるし、また後でな。倶利坊も、無茶すんなよ?」

くすくすと和やかに笑ってみせ、大倶利伽羅の頭を大きな手で無遠慮に撫でてみせる。
不機嫌そうな表情を浮かべるが、手を払う事も無く受け入れる大倶利伽羅。
そこに長年の信頼を見たヒスイが笑った。
吸い殻を灰皿へ捨てた国永は、そのまま店内を出て道を歩く。
空は煙る排気で鈍い色を見せていて、太陽が覗く事は多くない。
生ぬるい風が吹き、何かの灼ける嫌な匂いを運んでくるのを顔をしかめてやり過ごす。
首に絡みつく桜色に染めた髪がうっとうしく思えて乱暴に払った。
国永の本来の髪色は白だったが、Ωと間違えられるのでウリをし始めた頃に染めたのだ。
下層では比較的真っ当と言える作業所に勤務出来たが、賃金は安くて切り詰めても番の首輪しか買えずに居る。
それでも首輪は見知らぬ他人にマーキングされるのを阻止する為にも重要で。
しかしΩの最大の弱みとも言える発情期をやり過ごすには、抑制剤が必要だった。
国永は自身の身体能力が高いのを良い事に、上層地区に潜り込む事があり。
その中で自分が高く売れるのだと知ったのは、ありがたい誤算だった。

(今度の発情期には薬が無くなるな……また"仕入れ"ないと)
「あ、国永ー! 戻ったのかい? 早々悪いんだけど、鍋の方を見てくれないかな」
「ああ、今戻った。良いぜ、あそこは蒸し暑いから大変だろう」
「すまないね、今日は良い水蜜を使ってるんだ。帰りに分けてやるよ」

恰幅な身体を揺らして笑う女に国永も楽しみだと返事をし、ヘラと呼ばれる長い棒を手に取る。
水蜜を蒸発させて砂糖を精製するのが今の作業所であり、それに携わるのが国永の仕事だった。
文句も言わず勤勉に働き、周囲の者と気兼ねなく接する姿を高く評価されている。
そのお陰かこうして水蜜と呼ばれる果物や冷やし飴という砂糖水を回して貰う事も多かった。
番であり弟の鶴丸は、国永がこうして貰ってくる物をいたく好いている。
薬の調達で寂しがらせる分、良い土産物が出来たと喜んだ。



夕方も過ぎて陽が沈んで行く中、貰った水蜜を布袋に入れた国永は鶴丸を迎えに歩いていた。
ついでに夕飯の材料も買い込んでしまおうかと思ったが、鶴丸に聞いてからにしようと足を速める。
ヒスイの店の前では白髪の青年が暖簾を下ろして居るところで、

「鶴!」
「わっ!? 国兄!?」

愛しい弟の姿に破顔して両手を広げた。
会えて嬉しいと言わんばかりの甘い笑顔に迎えられ、鶴丸も破顔して暖簾を抱き締めたまま国永の腕に飛び込んだ。

「今日は早かったんだな、国兄!」
「ああ、君に早く会いたくてな。ほら、水蜜も貰ったんだ、早く帰ろう?」
「わあ、これ俺好き! うん、暖簾下げたら準備出来るから待ってて! あ、ヒスイが国兄に用があるって、何のこと?」
「染色剤の事かな。そろそろ白が目立ってくるから」

こめかみにキスを落として手を繋ぎながら、鶴丸に笑い掛けて店の中へと促す。
あくまでもサプライズとして渡したいので、頼んだ品物の事は内緒だった。
今日の晩ご飯はどうしようかと話しながらヒスイに品物を貰い、恋人繋ぎにした手を軽く振りながら家路へと歩く。
国永が好きなのは、こうして鶴丸と過ごす時間の全てだ。
他の時間は、この時間を守る糧でしか無いと言って良いほど、国永は鶴丸に依存している。
家族に捨てられて孤児院へ入り、鶴丸がΩで自分がαだと分かった時には引き離される前にと抜け出した。
離れたくない、一緒に居たいという願いが半ば無理矢理に番の契約を結ばせる事になり。
今でも一緒に暮らしている。
これからもずっと一緒に、離れないでいたい、離れない様に、出来る事はなんでもした。
それが、底なしの落とし穴にはまっていく事になったとしても。
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