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久々だけれど

最近また、疑問を感じてきた。




もしかしたら、日蓮正宗から去るかもしれない。

争いの系譜

先の日記でも言ったが、宗教は争うものなのか…


私は、盲目に信じる者に恐怖と羨望を感じる。

そこまでの信念を持つ姿は驚嘆に値するが、果たして盲目すぎるのもいかがなものか。

顕正会員がいい例であると私は思う。


そして…私は、頑なに物事を信じた事がない。
常に疑いの目を持つ。

そうでなければ、看護師などできないとも思う。

信じれば救われる。その理屈は病院には通用しない。
通ずるなら、病院などいらぬ。


顕正会の体験発表にも、医療従事者から見ればありえない事がたくさんある。あれは、是非カルテを拝見したいものだな。

話はずれたが、そういうことで、私は一途に信じることができない。
完璧など、信じていない。


だが、そんな者がいた方が、間違いは少ないのではないか。
修行中の身なれば、過ちも多かろう。
その過ちを、盲信で見過ごしてはならぬ。
信心を言い訳にしてはならぬ。

諌める者が必要だろう。
矛盾が多いことを指摘されたら、指摘した者を排除する顕正会に救いの道はない。
あるのは滅びの道のみ。


だが、宗門もけして驕れるものではない。
驕れるものは久しからず。

少しは疑問に思えばどうか?

わたしの中の闇か、闇の中のわたしか

先日、半強制的に顕正会員にビデオに連れていかれた(あやつ…夜道に気を付けるがいい…)


久々にあの愚者顔を見てたら頭痛がした…

偽本尊見た瞬間にさらに頭痛がしたゆえ、説き伏せて何とか拝まずにすんだ。



顕正会が間違っていること、それはゆるぎのない事実。

だが…



自由な茶寮の掲示板や、数々の宗門VS顕正会員または学会員の書き込みを見ていると、


宗門はそんなに偉いのか?
と思ってしまう。


私は、まだ宗門に入って日も浅いから何とも言えないが…
とりあえず、あそこまで人を侮辱させる宗教なら私は嫌だと感じる。


仏弟子という単語が虚しく見えた。


そもそも宗教は争うものなのか?
両方の立場から見れば、道義はともかく、口に出す言葉はどちらも変わらないではないか。


…疲れているからか、すべてがくだらなく感じる。

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