さらば冷酷なる世界








ただそこに立って
オレが燃えるのを見ていればいい








一目惚れということがよくいわれる。
だからそれが突然生じた愛であるなどと言いたくはない。
でもその時はほんとうに何か予見のようなものがあった。
神楽の存在のエッセンス───正確に言えば───そのあと銀時のために存在した神楽のエッセンス、それを彼は一目で理解し、感じ、見つけたのだ。
啓示された真実が人にもたらされるように、神楽は銀時自身を彼の上にもたらした。


銀時は生涯を通して、他の女に対しては神楽に対するほどに考え、静かに思いを馳せたことは一度もなかった。
静かでいながらそれは深く、激しく、沈みこんでいき。
ときに溺れるような惑溺と、寵愛をもたらし、苦悩まで覚えさせた。
どんな女にも神楽に対するほどの感謝もあたたかさもまた感じはしなかったのだ。


銀時がまったく誠実でないというのは当たらないが、正直いって悲しいかな、実際に大人になってからも彼は、どんな女とも本当の関係を見出すことができず、いうなればどんな女も愛したことはなかった。
この自分の失敗の原因が何であるかわからないし、またそれがただ単に、銀時の心の先天的欠落に根ざすのか、むしろ彼の人生行路によるものなのかわからない。
銀時は感情的になりたくはないが、でもどうしてもあの戦場がよく思い出の中に甦ってくる。血と、灰と、雨と煙と砲弾──。
百人の敵をなぎ倒してもなぎ倒しても終わらない───彼の人生を台無しにするような協定を下したあの戦争のことだ。


そう、絆はあまりにも断ち切られてしまった。
勉学も、将来への希望も、青春も、友人との交流も、断ち切られた。
愛も、愛を探し求めることも断ち切られた。
つまり人生におけるすべての大事な過程が断ち切られてしまった。
彼に残されたものは、時だけだった。




銀時は神楽を渇いた心で何のためらいもなく、贈物として、天からの授かり物として受け入れることができた。

その頃が彼にとって一番幸福な時だった。
たぶん人生で、一番幸せな時だったはずだ。


銀時は疲れはて、打ちのめされ、豚のような生活を一時期送っていたが、神楽と出逢ってからは、心の中には日増しに青々とした情熱と平穏が広がっていった。
おかしなことに、いつもまるで掴みどころのないだらしない生活をしている、といって銀時のことをよく思わず──来るもの拒まず去るもの追わず、相手かまわずな態度を疑ってかかった(実際まちがってもいない)女たちが──神楽を知ったら。せせら笑いながら少女をお馬鹿さんと呼び、銀時が彼女を愛しているなんて理解できないだろう。
銀時は神楽を愛していたから、いつか神楽を手放すことになるなど考えたくもなかった。解っていても考えたくなかった。
神楽とそれについて話し合ったことはなかったが、銀時自身はいつかは彼女と結婚しようと思って、ほんとうに真剣な生活を送っていた。
そのとり合わせが不釣合だという気もしたが、それが銀時を遠ざけるどころか招きよせたのだ。


神楽の拙さや無知こそ、銀時にとって尊いものだと、少女にほのめかす勇気はなかったが。
なぜ銀時にとってそれが大切かといえば、神楽自身のためにその素朴さを讃えたいからではなく、それが神楽の世間知らずの印しであり、それだけ仔どもの心の中に深く、消し難いほどに入りこむという希望を銀時に与えていたからでもある。



はじめて神楽を見た時から───。

そう、少女は銀時のほうに向かってまっすぐ飛び込んできて、彼の心に入ってしまった。



なぜ、自分があんな下らない嘘までついて神楽のやり方を見届けようと思ったのか。
なぜ神楽をやり過ごし、お得意の口八丁で簡単に逃げ出せなかったのか。
駅から家までのあの最初の帰り道ですらなぜあの時も少女より先にさっさと歩いてゆけなかったのか。
神楽(と新八)のそぞろ歩きが、非常にゆったりとしていたからだろうか。
夕暮れ近い街角での、一種独特の光線の加減のせいだったのか、駅からひとたび出ても、とにかく銀時がしばらくそこに留まり、通りに出ようとしなかったのは──。まえを歩いていた神楽が、ちゃんと付いて来てるのかを確かめるように彼を振り向いたからか……。
だが、たとえ後になって、他ならぬこのありふれた光景でさえ銀時を感動させ、彼を惹きつけたとはいえ、一目で銀時をひきとめ立ちつくさせたのは、何によってだったのか。


たぶん。それは、神楽特有の物怖じしないひんやりとみえる動作なのだ。
銀時をこんなにも惹きつけているのは、あのゆっくりと、ひんやりと見える動作。
見えるだけであって、実際そこまでゆっくりともひんやりともしていないのだが (大体あのじゃじゃ馬っぷりだ)、その中にある、ある種あざやかな専横、ひたむきな潔さ、哀感、どこかへ急ぐ必要もないし、せっかちに何かに手を出すのも無駄だ、というふてぶてしいあきらめの意識が、そこから発散してくるようだった。
そう…、おそらくそのある種の漫然としたひたむきに満ちたゆっくりとした動作ゆえに、銀時は遠くからあの娘の後を目で追わないわけにはゆかなかったのだ。


神楽をバイクで轢き、神楽の逃亡に巻き込まれ、一度は見捨て、ひそかに案じ、神楽の無事を思い、神楽のことを考えていた数時間の間に、彼女の波長に自分を合わせでもしたかのようだった。
少女をよく知っているかのように、銀時は急に神楽を受け入れることができた。
銀時は習慣として、依頼や事件なしに子供と関わることはなかったが、この時はまったくありのままの自分であり、これには銀時自身驚いたほどだ。
本来なら年頃の娘の相手などご免蒙りたいところなのに。



神楽は銀時にとってあらゆる可能性を持つものだった。
子供。 感動の涙。 慰めの泉。 香油。 愛と優しさ。 憎しみ。 そして彼自身からの隠れ家だった。
銀時にとってほとんど文字どおりすべてだった───女としての部分を除けば。
ふたりの愛は、肉体的な面ではキスの範囲を出なかった。
それにあくまで銀時のキスの仕方は子供っぽかった。
神楽は唇をとじたままの、その長い穢れを知らぬキスをこよなく愛した。その唇は、花びらのようにふっくらと綺麗な薄桃色で、上下のくちびるが互いに撫であいながら、感動的に、その繊細なヒダを数えていた。


端的に言えば、ある時まで銀時が神楽に感じていたのは優しさであり、肉慾ではなかった。
女っ気のない状態になれていたから、そんなものに気づきもしなかった。
汚れを知らぬ少女と同様、何ものにも惑わされなかった。
無意識に気づかないよう自分でもしていたのかもしれないが、銀時と神楽との間はかけがえのない美しいもので溢れていたので、そこに実際何かが欠けているなど考えられもしなかった。
すべてが調和の中にとけ合っていた。
だが神楽が成長していくにしたがって、この等式全体はくずれてしまった。


──だからといって、神楽に対する銀時の態度が本能むき出しの、上っ面なものとなり、優しさを失ったというのではない。
そうではない。
銀時が言いたいのは、それが彼の人生の中で、女に対する全身全霊の欲望を燃やした唯一の時だったということだ。
真の美しさがそうであるように、もともと周囲に一種の近寄り難さを放つ美を持っていた少女だから、そこに疑問の余地もなかった。
彼の欲望の中には銀時の中にあるすべてのものがこめられていた。
肉体や精神、性欲と愛情、悲哀とすさまじいほどの生命力、卑俗さに対する熱望と安堵を求める気持ち、憧憬と忠誠、つかの間の官能と歓びと、それを永遠にとどめておきたい願望などのすべてが───。
銀時は完全にそのことに没頭し心を張りつめ精神を集中していた。
今日、あの頃を思い返してみると、それは失われた楽園のように思われる。





銀時は心の中で数え切れないほど何度も、最後に神楽を見送った時に彼が彼女に約束したこと、彼女が彼に約束してくれたことを全部くり返してみた。
神楽は信じるという能力が銀時に対してだけは最大の長所であるよう運命づけられている仔どもだったが、だからといって、神楽が愚かなおんなであったなどというつもりはなく、それが銀時の愛情に根ざしていたというよりは、彼の未熟さや自信のなさからきていたということでもある。
銀時はこのような自信のなさの重みを感じ、それが神楽よりはるかに強く、彼の感情や思考を支配していた。
だから何度も自分を呪ったり、何度も俺は間違っていなかったんだと、自分に言いふくめた。
永遠に神楽を手放してしまったのだと何度も思いこみ、でも神楽は銀時を忘れずに、いずれ夢をかなえたら必ず戻ってきてくれるに違いない、ふたりの愛は本物なんだ、と何度も自分に言いきかせた。
しかし封筒の上に書かれた文字が、地獄の宣告のように響いていた。





それは、認めたくなくて、到底信じることなどできない。


本当にあっけなく訪れた









結末









もはや銀時は心の動揺を抑えることができなかった。
そしてある日とうとう、気違いじみたことをしでかした。






神楽の死は、銀時にとって全“女”の死と同じだった。
銀時はその日からすべての女に興味を失った。
もともと神楽と出逢ってからは一切なかったことだが、文字通りそうなった。
彼女を失った瞬間、ここではじめてほんとうに希望のない空虚な道のりが始まった。
彼は神楽との永遠の愛に取り憑かれてしまった。

それはひたすら混沌と。
子供だった彼らのあの頃の喪失とは明らかに異質の。
自分の生きる意志と未来すら喪失した───…



星に恋した男のように、銀時は決して届くことのない千尋の底に遠ざかったあの楽園を追い求めた。
だが、心のなかでさえ神楽を甦らせようとする努力はまもなく拷問になった。
瞬間を取り巻いている空虚の広大さに絶望した。
銀時は発狂した。
間違いようもなく発狂した。





その日、彼はみずからの体に火をつけて楽園もろとも焼き滅ぼした。













fin
一生分 愛して失った。



略奪の天使


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01/02 17:26
[銀魂]




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