テネシーの月の雫







新八はその夜、神楽が寝入った後で、銀時が入浴後に日本酒をやるのにお相伴をしていた。
だが、丁度、神楽の今日の様子を銀時が尋ねた時、土方の蒼褪めた対応のことを切り出すと、銀時はグラスを置き、黙って新八の話を聴いた。
新八は、銀時がこのことを予知していたように、見えた。
銀時は、神楽の要領を得ない話を聞いただけで、問い質しはしなかったが、新八の家で、土方と神楽との間に、何かがあったことは察知していた。新八の様子を見ていて、そう思ったのである。そこから当然誘発されるだろう、神楽と、土方とのやりとりを、銀時自身にとっても重大なものではあるが、世間一般にはそれが、いかに重大なことか、ということも、考えていた。
銀時は、土方が暴走した場合の結末についても、考えていた。土方は神楽に対して、完全に火になっている。だが、何度か見かけた土方の様子を見ても、きれぎれな神楽の話に出てくる土方の様子、新八や妙がいるという理由で、急に帰った時の様子などから推し量っても、ストイックな男であることはわかっている。そこから、馬鹿げた行動は考えられない。
神楽の土方に対する心持は興味に過ぎない。火のようになって、密会が頻繁になる、などということは考えられない、と銀時は考えている。ただ、真面目すぎるほど真面目な、土方が、そうしてその上に神楽に溺れている土方が、事を起こした場合にどうなるか。銀時はそうなった場合の究極を想い、土方のいうにいえない不幸せを、想像していた。土方の身の破滅をさえ、想像していた。
銀時は新八に酒を注いでやり、壜を置くと、藤の椅子に寄りかかり、新八を見た。


「仕方がねえよな……。土方くんは行くところまで行く他はねーよ」


新八は日本酒のグラスを両掌で膝の上に支え、俯いていたが、銀時の顔を仰いで、言った。


「……浮気は疑ってないんですか?」
「神楽は別に、土方のことを好きでも何でもないからなぁ……」
「大した自信ですね…」
「事実だからな」
「僕なら絶対に許さない」
「俺もだぞ。まぁ、……どういうことになろうと、神楽にはあまり、影響はねーよ。……あれは仕様のない自然児だ。俺がああ育てたからだけじゃねえ」


そこで銀時はグラスを取り下げ、


「新八も飲めよ」


と言い、銀時はお登勢の店からくすねた日本酒を一口飲み、グラスを掌に持ったまま、新八を見た。


「新八。……神楽は俺と新八との子供でもあるんだなぁ」


銀時の顔には暗いものが既に去っている。銀時の頬に、微かにではあるが、微笑いの影がある。
新八は顔を上げ、不安を抑えた顔で銀時を見て、言った。


「気持ちの悪いこといわないでください」


新八の顔の苦悩の襞の中から、幾らかの明るさが見える。銀時はふと、胸を痛くし、新八の顔から眼を離した。
銀時の顔の上には、普段から新八だけには隠すことをせずにいる、彼の魔をひそめた、微笑いとまではいかない一種の表情が、浮かんでいる。
新八はチラと、その斜め横に向いた銀時の顔に眼をやり、再び深く顔を伏せた。新八は神楽によって恋のような、苦悩を覚えた。その後で銀時というものをよく知るようになったのだ。以来、苦悩を抱いて生きている日々の中で、胸の痛みは痛みとしてそのままにあるのだが、それはそのままで、銀時によって、そこに何かの、裏打ちされたものが加わったのだ。俯向いた新八の顔はよく見えないが、額に、額に続く鼻梁の影に、神楽を愛しはじめた頃にはなかったものがある。新八は何かを知ったのだ。この世に、男と女との恋以外に、恋に酷似した、どうかすると、恋より以上のものがあることを、知った。そうして人間の心の襞の中に魔がいることのあることを、知った。その魔が、銀時のような男の場合には、たとえ、神のお許しが無くても、このように、誠実というものよりない、誠実というものより知らぬ自分の胸の中でさえ、許すことが出来る、というより、どうしてか知らぬが好ましく思われるものである、ということを、知ったのである。純粋と、誠実とより無かった新八の顔に、何ものかに鍛えられたものが、今ではある。
夜の黒い色を透かせて、半透明な水灰色をした窓ガラスが二人の男を囲んでいる。静かな夜の中で、柱時計の秒針の音がちくたくと、ゆるく廻っている。二人はしばらく黙っていた。
新八はさっきから掌の間に包むようにして温めていた、日本酒のグラスを唇にもっていった。


「この頃は美味そうにやるようになったな」


悩まし気な額越しに眼を上げた新八が、少し微笑った。


「神楽のような奴がいると、ものごとは穏やかにはいかない。土方も……沖田も……俺も……」


と、後を言わずに言葉を切り、銀時は愛しげに、新八を見た。銀時と一緒に暮らしたために、新八だけが大人になったのかも知れない。銀時と神楽との間にあるものを、深く知るように、なったのかもしれない。そうしてそれが神楽の心に、神楽の心という不確かなものに、一歩近寄ることが出来たのかも、知れない。銀時も普段新八を見ていて、それに気づいているのかも知れない。そうして、その優れた気質を愛してきた身贔屓もあるだろうが、銀時はどの男よりも、新八を愛していた。神楽も、新八を頼りにして育った。神楽の魔のようなものが、神楽の本質であることも、今では新八は知っている。神楽の持つそういう魔のようなものが、神楽の体の内部にあるものなのだということも、いつからか、新八は知っているのだ。
天井にじっとしていたらしい大きな蛾が、バタ、バタ、と羽を鳴らして、電灯の周りを飛び回るので、新八は団扇を取ってそれを上手に、テーブルの下に撃ち落とし、隠しから出した懐紙で包みこむようにして窓に近づき、窓を少し上げて投げ捨てた。
銀時はその夜、新八が夜の挨拶をして出て行こうとした時、一寸掌で空を抑えるようにして止まらせて、言った。


「これからも、神楽を頼むな、新八」
「はい」


新八も同じ想いを持っていたのだ。
頭を下げて出ていく新八を、銀時は愛情深く見送った。






fin


01/27 07:52
[銀魂]




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