喉に突き刺さった三日月







その日は、曇った、気温の低い日で、神楽は電灯を点けた居間で、だらけた顔で押入れの筐に入っていた。
そこに新八が、お妙が来たことを報せに来た。
新八との会話を止めて、自分に振り向いたお妙の、静かな微笑いに眼をあて、神楽はじっと見つめて嬉しそうに笑うと押入れから下りようとした。すると、書物机に肱を突いていた銀時が慌てて近づいてきて、神楽を抱っこして、板間に下ろした。神楽はそれに、甘えるように凭れかかった。


(銀ちゃんが言ってヨ…)
(うん? 神楽ちゃんから知らせなくていいのか)
(銀ちゃんが言って……)


じっと銀時を見る神楽の眼が、言うのだ。
神楽は客の前で銀時に、こんな様子をすることがめったにない。銀時は溺愛する神楽を抱き寄せ、ソファに座るように言った。


「妊娠したんですってね、おめでとう」


お妙から切り出された話題に、神楽と銀時は顔を合わせた。
ばっと新八を振りかえると、ばつの悪そうな新八が立っている。


(先にバラしたアルな…!)


神楽がむっとして新八を睨むが、お妙が笑って、一昨日聞いたのよ、と嬉しそうに顔を綻ばせている。


「おめでとう。……だけど、おとなしくしてなきゃ駄目よ、神楽ちゃん」
「わかってるネ…」
「ほんとかねぇ、相変わらずじゃじゃ馬だからなぁ」
「銀ちゃんうるさい」


お妙は、相変わらず神楽を寵愛する銀時に眼を止めて、うっすらと微笑った。
お妙は、銀時が神楽がこの家にいるということだけで、願っても得られぬ幸せを得ているのだ、と思っている。銀時もそんなお妙の思惑を知らぬわけではない。銀時は神楽を自分のものにはしたが、神楽を完全に自分のものだ、と思うことの出来る瞬間は夜の間しか無い。それに、気付かずにいる訳ではない。銀時は神楽を自分のものにすると同時に、身近な一団の人々の、憐れみさえ含んだ軽侮の感情を、見てきたが、そんなものは物ともせずに、今まで過ごしてきた。
それが、神楽の妊娠がわかって、徐々にだがその感情が落ち着いてきているのを感じるのだ。
神楽の父親の星海坊主をはじめ、新八、お登勢、の三人を例外とする人たちの感情である。質のいい軽侮と、そうでないのとがあるだけである。軽侮は皆、持っている。お妙は軽薄な軽侮を抱いてはいない。だが、神楽に熱い眼をあてている土方や、また、神楽を憎んでいるのではと思われる沖田と同様、銀時でさえ神楽の一つの獲物であることは確かである。神楽と銀時との関係にある、あるものを、言ってみれば二人がいる甘い蜜の部屋を、その不思議な愛を秘めた蜜の壺の手触りを繰りかえして確かめさせ、密かな歓びを齎してくれる、一つの獲物である。
銀時はそれにも気付いていない訳ではない。だが銀時にとって抗し得ないのは、神楽の精神と身体の中にある、味わっても味わい尽くすことの出来得ない、甘い木の実である。女の肉体の果実ではない。精神も肉体も一つにした、神楽というもののもつ、あるものである。神楽が知らずにいて発する、精神を鈍らせずにはいない力である。<神楽の蜜>の力である。その甘みの上に神楽の皮膚の内部から絶え間なく燻り出る、紅い百合の茎の香気が添加される。それが銀時を惑溺の淵にひきこむ。
お妙はそんな銀時を、多少軽蔑しながら、尊敬している。



「神楽ちゃんはこのようなの、お好き?」


亡き父の買ってくれたという茶革のバッグの中から、 お妙はレースで縁取りをした白いリネンのハンカチを一枚、取りだした。


「この間、納戸の古い箪笥を片付けていたらね。二枚出てきたの。古いけど、仏蘭西製のなの。それで、神楽ちゃんに……」
「綺麗……」


神楽はすぐに掌を出して受けとり、振り返って見上げる銀時に唇の端で少し微笑い、お妙を見た。


「神楽、お礼は?」
「ありがとう、姉御……」


神楽はハンカチを小さく掌の中に持つと、部屋を出ていった。
和室に行って、神楽の城に、物を隠すのだ。


「気に入ったものはすぐに仕舞いこむんだよなぁ」


銀時の顔の上を、小動物の習性を話す人のような、甘い微笑いが掠めた。


「気に入ってよかったですよ。 神楽ちゃん、ああ見えて、綺麗で可愛いものが好きだから……」


お妙は、銀時の半ば知っていて陥っている愛情に、仕方のない人ね、といった視線をあてる。


「神楽ちゃんはわざと子供っぽくしているのではないけど、ああ見えて、大層大人なところもあるんですよね、自覚しているのではないけれど」
「ああ、なかなかの奴だよ。 だが、大人になったのはついこの頃だな……」


お妙は神楽と初めて逢った時の、神楽の眼を想起して言ったのである。
神楽が黙って自分の眼にじっと眼をあてて、しばらくいた時の、神楽の眼だ。神楽の眼はその時、


(この人が新八のお姉さんか……)


と、言っていたのだ。
そうしてその眼の中には何かが、所謂、悪魔主義なぞというものではないなにかが、ふてぶてしい、ものの考え方が居座っていた。そのふてぶてしい居座りは神楽の、ガラスのような眼で強調されていた。また、神楽が半ば無意識的であることも、強く迫るものをそこに付加していた。お妙は思わず胸の中で、たじろいだ。お妙にとっては奇妙な出逢いではあるが、だがどこかの世界では、ある種の人間の間では、肯定されている真実なのかも知れないと、お妙に思わせぬでもないものが、そこにはあったのだ。


「幸せにしてあげてくださいね」
「言われなくてもそうするさ」
「銀ちゃん……」


すると神楽が戻ってきて、銀時の腕に絡みつくようにして甘えてきた。


「今日は、甘えたさんなのね、神楽ちゃん」


と言って微笑ったお妙に、神楽が「そういう気分アル」と答えると、銀時が眦をさげて微笑んでいる。


「可哀らしい、魔ものだ」


そう言って、神楽に向けた銀時の眼の、恍惚を抑えている優しさに、お妙は黙って眼をあてた。


しばらくしてお妙は、ふと気を変えるように、世間話を始め、地味に存在をスルーされていた新八を思い出したように笑いかけた。台所で、お茶をいれていたらしい新八は、それを皆の前に配ると、ようやくソファに腰を落ち着けた。仲のいい姉弟と、若い夫婦の間に再び明るい、静かな時が流れた。
銀時と神楽とがくっついて座っているのを見たお妙は、二人の間にあるものを、見ていた。慎ましい、善意の女で、恋愛のシンというものの中には、とばくちに足を踏み入れたばかりといっていい女の中にも、女の直感はある。
このぬめるような天女の娘が、毎晩これでもかと可哀がられて、その身に倦怠を宿すほどヤリまくられているのはわかっているのだ。
この纏わりつくような、男の異常な執念のような成果が、ようやく実った上機嫌な銀時に、お妙はあからさまな人、という眼をあてつつ、これで少しは神楽の憂鬱も晴れるだろうと思った。
お妙は神楽を愛しているが、神楽の内側にあるものも、大体は理解の出来る女である。
神楽もお妙には親しんでいたが、お妙ほど、彼女を愛してはいない。今日も、突然来たお妙に、だらけていたところを見られ、初めはむっつりとしていた。
神楽は、今日は朝からずっと押入れで過ごしていたのだ。
神楽を歓ばせた木の筐のベッドが、神楽の怠惰を昂じさせ、そこから生じる、神楽の妄念を温め、発酵させて、なにかの邪悪なものの芳香に、神楽を伴っていくだろうという予感が、銀時にはずっとある。この予感は当然、お妙も持っていたが、神楽には彼女の持ち前の慈愛を注いでいた。
銀時もお妙を見ていて、その辺の雲行きと、神楽の機嫌との関係を知悉していた。だが銀時は、自分と神楽と、世間との関係、また、新八やお妙への配慮とは別のところで、神楽の持っている特質を面白い、愛すべきものに思っている。自分が育てた神楽であることを、想い、そこに愉悦を覚えている。神楽が神楽であることを、神楽が、神楽以外の何ものでもないことを、面白く思っている。そうして、深いところで惑溺の微笑いを微笑い、惑溺の味覚を噛みしめているのである。





fin


more
05/04 05:27
[銀魂]




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