パンドーラー 星と月は天の穴









命の水、溢れ出すほどの愛で一杯









愛する者の死、不幸な家庭環境、いくら努力しても常に同じ結果を招く不運、貧しさ、病……。
こう並べると、いかにも悲惨な感じがするが、神楽は本当に何が起ころうとすべて受け入れて、泣いたり絶望したりしながら、それでも、事実を受け入れたことに対する責任をとろうとするかのように、果敢にひたむきに生き続けてきた。
とはいえ神楽は、やたらと明るく、底抜けに現わな超人的イメージとは結びつかない。
神楽は憎まない、ねたんで歯ぎしりをしない。さらに言えば笑わない。
銀時のもとにやってきた当初の頃は、ニコリともせず始終淡々とふてぶてしく、まったく可愛げのない子供だとばかり思っていた。
笑うとすれば、ごくたまにそれも気紛れに、相手の言う冗談に合わせるようにしてほんの少しにやりと浮かべてみせる程度であり、その笑みは決して媚びや誘発を連想させず、神楽が抱えたどうしようもない閉鎖的な距離を浮き彫りにするだけだった。
整いすぎるほどに整った人形のような容姿も、表情の乏しさに拍車をかける要因だったのかもしれない。
少女のもつ美しさには、彼女自身が秘かに飼い馴らしてきた孤独が垣間見える。
見る者が見れば神楽の中に、その孤独の匂いだけを嗅ぎ取る。
それは、とても不条理な悲しみだ。
誰もが与えられて然るべきだった子供時代の安寧、平穏、一時期の無条件な温もりを十分に与えられず通り過ぎてしまったような子供は、大人たちに身勝手な愛憐を抱かせる。
銀時自身はすこし違った。彼が抱いたのは、そんなものを超越した、もっと途方もない真剣な“モノ”だった。
ただ、神楽の人形のような静止美と雰囲気、そしてあの、独特の無表情な顔つきは、子供としての歳相応の反応を遥かに超えていたから…。
そして、そうなればそうなるほど、逆に神楽が隠蔽しようとする不条理なものが、堰を切ったようにあふれ出てしまうことになるのだ。
そこに魅力というものも生まれるから、厄介だった。
おそらく自分の本当の美しさに気づいていない少女は、同じようにして、自分の抱えているもののある種の価値を知らずにいるのだろう。


早熟に見える子供を、毒牙にかけようとする大人たちはそれこそ掃いて捨てるほどいる。
そういった輩に神楽が毒されず、まっさらなまま銀時のもとに来てくれたことは、とても幸運なことだったのだろう。


だから、失った時間を取り戻すように、銀時や仲間のもとで過ごす神楽が、徐々に彼らに懐き、笑顔を見せてくれるようになったのに気づいた時は、柄にもなくふと感動した。
子供が何の不安もなく暮らしを楽しめるということは、なんて素晴らしく贅沢なことで、なんて当たり前のことなんだろう、と胸を打たれ、励まされる思いがした。


銀時は神楽の生き方、神楽のもっている価値観、神楽のセンス、神楽の仕事ぶりなどを認めた。そして、その心根、心意気、強さ、美しさに魅了され、一番傍から見守り、あるいは教えられるべきことは教え(それが嘘の吹聴でも真実でも)、時に強烈な言葉をもって非難したりしたが、説き伏せるようなことだけはしなかった。
神楽に対してだけは極端に大人になったり子供になったりする銀時だが、偏った世間の杓子定規や、自分の確固とした価値観や語録で、この素晴らしい少女を枠に当てはめるなど勿体ないにも程があると思ったし、父親以上に父親ぶることもしたくなかった。(ただ、皮肉にも四六時中いっしょにいる共同生活の中で、それは知らず知らず神楽に影響を与えたりもした訳だが…)。
ともかく、自分が彼女になみなみならぬ関心をもっていることは示そうとしたのだ。
神楽はそれに感動した。自分を見ていてくれる男───自分を見つめて、率直に飾らない言葉をくれ、やることなすことすべてに興味を抱いてくれる男、父や兄のように自分をほったらかしにしない男───が傍にいてくれることに、烈しい喜びを覚えた。そして喜びにかられるままに、銀時に近づいていった。
それは、二人が惹き寄せられるようにお互いにお互いを必要とする、確かな時間の流れだった。
出逢うべくして出逢ったのも、今なら当然だと思える。
神楽の執着が、憧れを帯びた慕情に変わってゆき、銀時の興味が、少女に対する独占と途方もない愛情に変わってゆくのは時間の問題だった。
時間の、問題だったのだ。
人の本質的な魅力は、頑張って勝ちとった知性に表れるのではなく、生まれもった肉体、雰囲気、存在そのものに表れるものなのだ、とどうしようもなく具体的に実感したのは、いずれも銀時も神楽もお互いが初めてだったような気がする。
その“笑い方”、まなざし、発散しているオーラそのもの……つまり、相手の肉体が発してくる波長に惹かれるのだ。すでに初めから惹かれているのだ。
銀時にとっては、厄介なものは最初から何ひとつ変わらなかった。対等だった。
子供だとか大人だとか関係ない。
知性、教養、さらに言えば、社会的存在としての価値すらなくとも、人は人に、あるいは男は女に、女は男にどうしようもなく惹かれることがある。
弁解めくが、だからこそ銀時も神楽も互いに、自分たちが持っている肉体や個性、人生、運命の危うさが面白くてならない。


人生において人が欲しがるのは、あくまでも自分を理解してくれる人間であり、銀時が神楽に求めるものはただの女、メスとしての神楽ではない。
神楽にとってもそれは同じで、自分の信望者なのだ。
そんなものを求めてなどいないと言うのは、その人間が本当に“必要”な相手に巡り会っていないからだ。
自分の能力の限界も、可能性もわからないまま、それでもやりたいことを山ほど抱え、時に死ぬほど後悔し、不器用に歩きつづけなければならない人生というひとつの迷路に、そういう相手を求めない方がおかしい。
誰かに、自分を認めて欲しい、理解して欲しい、必要として欲しい、そう願わないはずがない。


それを他人に打ち明けるなど、神楽に出逢うまでは思いもしなかったと諦めていた銀時と、自分に正直に生きることを恥じてはいなかったが恐れてもいた神楽との間には、やはり出逢うべくして出逢った何かしらの必然を感じるのだ。
こんな言い方をすると大袈裟に感じるかもしれないが、二人が今のお互いにたどり着くように意識してから、
もっとも自分を誇ったのは、その瞬間だったように思う───。












fin
パンドラ 溢れ出すほどの愛で一杯


きみへの愛はときに理想を凌駕する。



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07/30 19:57
[銀魂]




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