一人の美しい裸形の少女のトルソの二叉







どんッ


と、いわゆる『壁どん』のようなことをされて、神楽は数回重い睫毛を瞬いた。
きょとん、と見上げると、黒服の男が無表情に神楽を見下ろしている。
突然、腕を掴まれて路地裏に引きずり込まれたと思ったら、相手は警察官だった。
世も末だ……。



「……………。」



土方がぬらりと光る瞳孔で神楽を覗き込んでくる。
まるで傷ついた獣のようなそれに、神楽は一瞬息をのんで、それからタメ息を吐いた。
先日のもろもろの出来事には、神楽だって今更ながら恥ずかしいのだ。
まだ少女の潔癖さを僅かに残している神楽は、銀時のように図太くはなれない。
警官に睨まれて、すごまれると、すこし後ろめたくなる。
パチパチと睫毛の瞬きが多くなって、神楽は土方を睨みあげた。


「なんアルか…?」


そんな生意気な神楽を見下ろして、土方はずいっとさらに近寄った。
神楽のHカップのおっぱいが、土方の胸板に触れそうなほど近寄られて、神楽はとっさにぷいっと顔をそらした。
銀時のような距離感を許した覚えはない。


「……………。」


土方は黙って神楽を見つめ続けてくる。
神楽は沈黙に耐えられなくなって、土方を押しのけて歩き出そうとした。
それを土方が腕を掴んで阻んでくる。細い腕だ。土方の手が容易にまわりきる細い腕。服越しの、そのやわらかな肉の感触から、じっとりと汗をかいている土方の手のひらの温度が伝わってくる。緊張しているみたいだった……。



「な、なんアル…?」


わずかに脅えるように神楽が固くなると、土方はふっと苦く笑った。



「………元気かよ?」


当たり障りのない挨拶をされて、神楽は気が抜けた。


「私、お醤油買いに行く途中ネ……。離すアル」
「ちゃんと奥さんしてんだなぁ…」
「そりゃそうヨ。ぴっちぴちの幼妻アル」


今日もむらむらとした色気を発散している神楽は、Hカップのおっぱいを重そうに揺らして、顔を寄せてしゃべる土方にむっつりと唇を突き出す。その無意識な、キスをねだるような仕草に、土方が生唾を飲みこんだ。



…──本当は、近づくつもりじゃなかったのだ……。ここ数ヵ月、神楽を避けていた。苦しかったからだ。どうしようもなく。どうしようもなく、この女にやられていたからだ。
もう認めるが、土方はこの女に惚れていた。この、悪魔のように獣美で、天女のように絶佳の美貌をもつ、アンバランスな美少女の虜になっていた。
ずっとそうだった。神楽と出逢ってしまってから、土方はずっと神楽が気になっていた。獣のような仔どもの魔の瞳が欲しくて、たまらなかった。


(この目が曲者なんだ。透き通っていながら深い青の、不思議なガラス玉のような目が……)


この蜜を塗ったような体を、人に与えようという意志も、与えまいという意識もしないで、じっと見開いている。…それが魔だ。どうしてこういう目が出来たのか。どうして、こんな果物が実ったのか。どうして俺はこの魔モノと出逢ったのか。すべてが不思議だった。どうして。どうして、俺は間抜けな道化と化してしまったのか……。
今日も土方は、この娘がどこかアンモラルに散歩に夢中になっているのを、遠くから見た瞬間、もう嗜虐的な情念の虜になっていた。
瞳が大きく、上唇のまん中がちゅんと尖ったようになった唇は、赤ん坊のようで稚い。だがどこか、とりとめもなく見つめる表情には、十代とも思えぬ頽廃の翳りがある。それがむらむらとした色気を助長している。
戦後、アプレゲールという言葉が流行ったことがある。戦後の混乱のなかで過去の規制にとらわれない、奔放で自由な生活を求めた恐れを知らぬ若者たちのことだ。神楽ほど、このアプレゲールの雰囲気を漂わせた少女はいない。
鷹が舞い降りてくるのを、背中で感じとった仔兎のように動かずにじっとしている神楽の肢体が、土方に火を点けた。この娘は土方の情念に火を点けたのだ。それにこの唇だ。遠くで見たよりも、傍で見ると厚みがある。まるで、乳を欲しがる赤ん坊の唇だ。……この唇のためなら、この唇を奪うためなら、この唇を俺のものにしておくためなら、俺は何をするかわからない……いけない。どうも今日は、いや、この娘の痴態を見た魔の日から、俺は俺でなくなっている───…。




「………なんか、怒ってるアルか?」
「………怒ってるよ」


ずっと怒ってる。あの日から、ずっと。
あの日、屯所に帰ってからも、怒りに支配されて土方は荒れに荒れた。熱を持つ股間を自分で慰めるという情けない事態を避けるように、怒りに身を任せた。それは部下を脅えさせるほどだったが、土方は自分の部屋で、文机を蹴り上げて、本棚を引き倒し、障子を破り捨て、襖をボコボコに殴って、壁を蹴りまわし、電灯をバキバキに叩き割った。あまりの荒れように沖田でさえ呆れたが、土方は構わなかった。そうして体力を使い果たして寝たが、真夜中に起きて、自慰をした。神楽のおっぱいを揉みしだいて、その可愛い乳首をしゃぶる夢を見た。神楽のおっぱいに自分を挟んで、大量に射精する夢を見た。神楽のアソコに自分を突き刺して、パンパンと腰を振る夢を見た。どれもこの世のものとは思えないほど、幸せな夢だった。



「もう一生、手に入らないんだな……」
「後悔してるアルか」
「ああ、してる」


土方の苦しげな顔を、神楽は見つめた。
これは一種の告白だろうか…?
そんな事を思うが、神楽はどうしてあげることもできいない。
土方との密会のような遭遇、蜜の時間は、神楽に魔の餌を与えるが、それだけだった。土方は銀時じゃない。どれだけ銀時に似ていても、銀時じゃない。きっと、そういうことなのだ。


「離さないと、銀ちゃんに言いつけるアルヨ」
「言えよ。俺に言い寄られたって言え」


NTRは地雷だったが、自分が間男になるならそれも悪くない。
が、すべてが悲しいかな妄想だ。


「……わたしが、好き?」
「好きだ」


腕を握りながら、間髪入れずうなずいた土方の瞳が潤んでいる。
泣くほど好きなのだ、この男は、神楽のことが。
神楽の内心の獣がにんまり笑う。


「かわいい男アルな……」
「……やめろよ」


土方が目を瞑り、神楽の肩に額を寄せるようにうなだれてきた。
神楽はそれを黙って受け入れた。
銀時にバレたらこの男は殺されるかもしれない。
そう思いながらも、徒な神楽の心は少しだけ浮つく。
別にこれは浮気じゃない。
でも、ちょっとだけこの男が可愛いと思ってしまったのだ。
銀時には今日のことを黙っておこうと、神楽は決心した。
神楽が土方の頭をよしよしと撫でようとしたときだ、土方がガバリと顔をあげた。
傷ついたように睨んでくる。
今さらなのに、なんて可愛い男──。


「馬鹿ネ……」
「ああ、馬鹿だよ。知ってる」


土方はそう言うと、神楽の髪をひと房撫でるようにして踵を返した。
去り行く男の背中があまりにも哀愁を帯びていて、神楽はそれを見送った。
もしかしたら、今までにもこういった別れはあったのかもしれない。
幼かった神楽にはわからなかったが。色々と愛情を体験した神楽には、なんとなく男のやるせない背中がわかる。
土方の黒い背中が小さくなるまで、今日は神楽が見送った。






fin


more
02/18 11:02
[銀魂]




・・・・


-エムブロ-