江戸の街を見渡せるホテルの喫茶室で、銀時はまたまた神楽と向かい合っていた。
……結局、さっきのレストランでの支払いが、彼女の『ごっこ遊び』に火をつけて、こうして今に至る。コーヒーとレモネードを注文したあと、大きなガラス窓の向こうに広がった青い蒼穹を眺める神楽に、あらためて『しょうがねェ奴…』といった目を向けてしまう。
椅子はソファータイプのもので、テーブルも低いため、神楽の下半身がすっかり見通せる状態だった。ローズミストのチャイナドレスはミニ丈なだけに、座ったあとも裾がわずかにずりあがって、今にも下着が見えそうになっている。それにはまったくの無頓着で足をぷらぷらさせたり伸ばしたりと、テーブルの下で銀時の足を時たま小突いたりするわけだから、その白い太腿を見ていると、それだけで嘆息が洩れた。
「おかしくないアルカ?」
唐突な神楽の言葉で、銀時はハッと顔をあげた。
「…何が」
「この靴下ヨ。さっき靴買ってもらった時、元々はいてたコレ脱がずに来たけど。変じゃないアルか?」
パールピンクのシルクが張られたバレーシューズからは、レースの縁取りがされた白いソックスが見えている。
「別に…おかしくはねーだろ。というか珍しいな」
「え?」
「あんま靴下はかねェじゃん。いつも生足だし」
神楽がまたどうしようもなく胡乱気な目を向けた。
「やっぱり銀ちゃんってダメヨ」
「あ?」
「まるでダメなおっさんヨ。これじゃ彼女に援交扱いされても文句言えないネ」
「……。」
「美少女に向かって“生足”とか言っちゃだめアル。ますます変態っぽいネ」
「っ……悪かったなァ」
思わず詰まってしまったのは…白い素足を目にしていて、心中いろいろと毒づいていたからに他ならないが──…。神楽がまたコツンといたずらに脛を蹴ってくるのを無視しながら、銀時は近づいてきたウェイターに素知らぬフリを通した。
「おまたせしました」
テーブルに注文の品が届く。自分の前にレモネードが渡されようとすると、神楽を無視した銀時をさらに無視する形で、ウェイターに向けて小さな手を伸ばした。そうして思わずこぼれたウェイターの笑みとともに受け取ったレモネードのストローを、パクっとくわえ、あどけない動作で脚を組んだ。裾がさらにずりあがり、真横から見たら下着が見えてるんじゃないかと、銀時が心配になるぐらい鈍感なくせに、わざと大人ぶった態度を演じてみせている。
(俺に口で言わせるつもりかよ……)
ウェイターが銀時にコーヒーを渡すのも忘れて少女の仕草を看取っているのが気に入らなくて、彼は彼女の隠れたほうのバレエシューズを一度だけ伸ばした足で蹴った。
「おいしーアル♪」
「それはよかったです。」
「うん♪」
もちろん上の会話は神楽とウェイターのものだ。きれいに無視された形の銀時は、「おい」と低い声でウェイターを呼ぶ。
「あ、スミマセン」
ようやくコーヒーが渡され男が去ってから、二人はまたそれぞれひと口すすった。
「パンツ見えてんぞ」
「…は?」
「いやだから…、下着見えそうなんですけど……」
「見せパンだから大丈夫アル」
いや、そういう問題じゃないだろ。
むっつり眉間に皺をつくった銀時が説教しだす前にと、神楽が口を開いた。顔が少し上気している。
「さっきのウェイターの奴、ちょっとジャスタウェイに似てたアルナ」
銀時はテーブルに頬杖をついて、神楽を胡乱げな目で見つめた。
「…だから?」
「ちょっとトキメイたアル」
神楽も目をそらさずに見つめ返してくる。こうして視線を交わしているだけでも、銀時はちょっとゾクゾクするというのに、少女は他の男のことを考えて笑っている。
悲しいことに、こーいった展開はもう慣れきった…とはいえ、やはり気分のいいものではない。
「だから?」
声からして気分が下がっているのに、
「だからァ、銀ちゃんなんかいつポイ捨てされてもおかしくないアルヨ?」
ケラケラ笑ってる。冗談は冗談なのだろうけれど…。ズズーっとレモネードをすすりあげる無垢な顔には、おかしな言いかただが、さっきの男を擒にしてやった、という邪悪な歓喜が窺えないこともない。
そこに感じるふてぶてしい居直りに、銀時は絶句し、けれどまたガラガラと音をたてて崩される…といった堕落願望にも似た自身の彼女に対する愛情に身を浸してしまうのだ。
「なぁ……」
「うん?」
ストローを噛みしめたまま神楽がチロっと銀時を見あげる。
「そろそろ出たいんだけど」
「やーヨ」
すげなく断って、少女はまた男の脚を蹴飛ばした。
「なんか今日は身の危険を感じるネ。だからエッチはいや」
「ふざけんな」
「ふざけてないモン」
氷だけになったグラスのコップを傾けて、神楽はひとつ指先で摘んだ氷を銀時のコーヒーに投げ入れた。
ポチャン…
こげ茶色の飛沫が彼の白い着流しに飛び散る。
ここでまた神楽は、ゆっくりとした動作で脚を組み替え、チャイナドレスの裾の乱れを直そうともしなかった。今度こそ気づいているだろうに、剥き出しのお尻の下部を、そのまま銀時に見せてくれる。
酷い話だが、胸の底から、不思議な喜びが湧いてくるのはどうしてなのか…。
銀時はふと誰かが言っていた話を思い出していた。本物の悪女───“ただそこにいるだけで男を狂わせ、転落させてしまうような女”───仮にその種の生まれながらの悪女がいるとしたら、それは、せいぜい二十歳までの娘で、大人の女の悪女にはろくな悪女がいない、だからこそ少女でなくてはならない。……と、要するにその真偽があながちまちがってはいないのではないかと、真摯に嘆き悲しむ破目に陥ったのだ。
が、彼は、ぶるぶると首を横に振った。
性的な欲望など超越して、銀時はとにかく神楽がいとおしかったが、それとこれとは別だ。
抱きしめたい。心の底から、そう思う。
あからさまにそういった意味ではなくても、神楽を思いきり抱きしめて、外側から誰にも触れさせないよう、誰にも見せないよう、今すぐふたりだけの世界に囲ってしまいたかった。
「神楽」
「…何ヨ」
これ以上なく真剣な顔つきで、銀時は言った。
「───頼むから、言うこと聞いて」
潤んだような、色づいた男の目でじっと見つめられ、神楽はぷいっと顔をそむけた。この男に、こんな目をされて、平常でいられるほど大人じゃない。
「……ずるいヨ」
「何が」
「んなエロい目で見んナ」
徐々にピンク色に染まっていく可哀らしい耳を見守り、銀時は小さな手を取った。
「行くぞ」
少し躊躇った少女を強引に立たせてそのまま手を引いていく。慌てて随いてくる彼女のスカートの裾の乱れをさりげなく直してやるのも忘れない。
「っ、銀ちゃん…!」
「うん?」
「仕返しに……ひどいこととか、しない?」
「ひどいことって?」
「や、約束してヨっ」
「だからひどいことって何だよ」
レジに着くまでにまた神楽に財布を渡して、銀時は少女の全身を眺めおろした。
この際年齢なんて関係ない。小造りなパーツはどこをとっても、最高だと思えるし、こちらが息苦しくなるほど緻密な魔の皮膚はこれを上等といわず何をいえばいいのか。
唯一わかりやすく確認できる耳朶の産毛にさえも、いまはいとおしさを感じてしまう。
大人としてあるまじき堕落思考だったが、普通にしてるだけで男ども───(またあのウェイターが神楽を見ている)───が魅せられていくのだから、これ以上他人の前で無防備なことをされるのだけは避けたかった。
『酷いことなんかするわけないだろ? 愛してるんだから』
周囲に聞こえないよう声を潜めて、銀時は小さな背を押した。
形 勢 逆 転。
財布を握りしめた神楽が再び、「ずるいヨ…」などと呟いて、彼を振り返りながらもレジでお会計を済ませる。済ませた後ちょっとだけ距離を置こうとした彼女の手を、銀時はぎゅっと握りしめた。
「こっちだろ」
言いながら、懐から薄いカードのようなものをチラつかせる。いつの間に…というやつだ。
「っ…捕まっても知らないからナ」
エレベーターに向かってずんずん歩いていく男の踵に、神楽は照れ隠しの一発を最後まで入れた。
「いてっ」
fin
続きは裏で…。