ウサギとハリネズミの混血







神楽は振り返った瞬間は、ビクリとしていたが、その後は目をじっと見開いて、神威の息づかいさえ静かな、拵えたもののように見える静かさを持った無言の威圧が終わった時、その曇りのある表情には何の変化も現れなかった。盗み見られた不躾さに、むらむらと神楽を包んだ不満が固まり、それが練りもののようになって、そこから神楽の中のふてぶてしさが滲み出てきたのである。その梃でも動かない魔のようなものが先程、完全なものとなって神楽から発していた。もうそこには、神威を慕っていた幼い日の神楽は居ない。ようようのことで自身を抑えている、自身の中の呻きを宥めている神威は、その神楽の様子を見て、その金縛りになった胸の中で、絞られるような呻きを発した。



(馬鹿な子……)



神威によれば、肉体的な愛は異教的な歓喜の表現でもなければ、卑猥あるいは滑稽な行為でもなく、動物性の深淵の前に、そして恍惚(エクスタシー)と責苦のあいだに、ヒトを位置せしめる存在論的な悲劇なのだ。
神威は恐怖にいたるまで性の狂乱に耽った者たちをどこかで蔑んでいる。
彼に仕えてきた阿伏兎は、快楽の苦痛、禁止を破る不安、興奮による感覚の責苦などを見事に体験してきた男だが、この年下の同胞の精髄を抜き出すことはできなかった。
神威の殺しに対する快楽は、サタニストの気晴らしの結果ではなくて、彼の肉体的可能性の一つの探求法の結果だった。
神威のその世界には、同時に実験室でもあり劇場でもあるだろう一種の理想的な場所で行われる事柄、数々の秘密のデモンストレーションが含まれている。
要するに、これが神威の肉体的な愛、快楽の不変の法則なのだ。組み立てられた構造のなかにも、それを利用するやり方のなかにも、近づきがたい現実を激しく否認する手段はある。



神威は神楽から離れると、阿伏兎を呼んですぐに地球を出た。いまは宇宙船の、自分の寝室にいったん入り、肘掛け椅子にかけて、そこから見える窓の外の青い惑星を見つめている。



美しく成長した妹──。



地球には、女になった妹がいた。わずか十五歳で男を知った妹。ケダモノに滅茶苦茶にされた妹──。
そこには、魔のような美貌の夜兎の少女に、執念深く蜷局のように巻きつく化け物の存在があり、いっそ憐れみを誘ったが、兄の視点からは神威はこの結末をどこかで予感していた。
だが、神楽を見て、まるで神楽を連れて行かれるとでも思ったのか、殺気を込めて神威を睨んだ男の必死さには胸が焼けた。あのような道化に堕ちる男だとは思わなかったのだ。
道化全開で神楽に恋焦がれる銀時の滑稽さは正直衝撃であり、暑苦しいおぞ気が走り、神楽に対しても密かな憐れみを感じざるを得なかった。肉親としての妹への憐れみもある。たぶん、きっと、それは間違っていない。
だが、つらつらと思考にふける間も神威は、胸のあたりに纏わりついて離れようとしない、今日離れて来たばかりの神楽の香気に、苦く笑った。
少女こそ、とんでもない化け物に育ったものだと思う。
この香気に、手もなく酔い痴れている男たちが地球には大勢いるのだろう。彼らに憐れみを催し、今日から明日へ、それから又、いつの日までか、続くであろう苦しみの時間を想うと神威はいっそ痛快だった。何となく、頭に手をやり、髪を掻きまわしたい気分でもある。
髪をほどいて覗いた柱鏡に映った神威の顔には、どこか、見るに耐えない苦渋があった。



(これが、俺の顔だろうか? 馬鹿な妹を、滅茶苦茶にされて黙ってる兄の顔だろうか……)



今から数年前の……いや、少なくとも一年前の、まだ神威が、神楽との日々に望みなど抱いていない頃なら、どうでもよかったのかもしれない。


あの頃はまだ神威は、楽しくもあった。楽しくしていたことが、何故、このようにして、罰せられた気分にならなくてはいけないのだろうか? 何故? それは何故だ。俺がなにかの宗教を持っていたらこう言って神に問うただろうか。
希有な花のような妹の、花粉の中に溺れ果てて、酔いしれたような男たちが、不快だった。
花々にうずもれたようなこの現実の中で……過去をやり直せることに安らかな喜びを見つけていた神威は、どこの世界の花よりも香気のある、神楽という肉で造られた花を得る唯一の肉親だった。
そうして神威は、思ってもみない歓びを得た。儚い歓びであったかもしれない。偽りの歓びであったかもしれない。だが毎朝の鏡の中にみる神威の顔には生気があった。目にも力があった。
……それが、この鏡の中の顔はどうだ。皮膚の色は蒼ざめている。頬の皮膚は垂るんでいる。目には力が無い。……まるで、叶わぬ恋に破れた男のように──。


神威は指先で浮腫んだ頬骨の辺りを押した。そうして、厭なものを払いのけようとするように、頭を左右に振った。妹が、道化のようなケダモノに滅茶苦茶にされているという現実は、確かに受け止めきれない予感の敗北だった。










fin


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06/04 18:07
[銀魂]




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