『好き……なのに……』
気がつくと、零れていた。
布団のうえ、頭から抱えられ、今夜も汗ばむその胸に押し付けられた唇で。
ごく自然に、口から好きだ好きだと零れていた。
「え……?」
やるせない声の男に、神楽は反対に問いかける。
「ど…して……?」
どうしてそんな声アルか…? いまどんな顔をしてるんだろう…。
呼吸が苦しい。身体が燃えたみたいに熱い。側頭部がガンガンする。
泣きすぎて酷く痛むこめかみの奥をやっつけるように、ゆるまった抱擁の奥から顔を上げた。深い海の底から酸素を求めるように…タオルケットの縁へと浮上したがれば、両腋に手を入れてそっと引き上げられる。
銀時は情けなく頬をゆがませて、何か苦しげなものでも見るような目で神楽を見た。
それがあまりに…今にも泣きそうで、彼のこんな顔は珍しい――なんて、場面にそぐわず呑気なことを考えてしまう。
常軌を逸した危うさがなくなり、まるで同じ悲しみの同類項で、助けられたり助けたりという弱さが生まれたせいかもしれない。
あんなにも酷い──要は性奴隷か何か──玩弄のように扱われ、穿たれた身体は悲鳴をあげたのに、神楽の胸は一気に締めつけられた。
快楽の残火が、血肉的な親密を生む。
神楽はこの意外に温帯的な、甘えやすい腕の中に驚いたが、一方ではどうすればいいか迷っていた。
「俺が……」
かすれた声で、銀時が言った。
『───俺が…… 』
その一言に、神楽の中は悲鳴をあげた。
嗚呼、バカみたい…
だってどうして彼が悲しむのか。銀時はいま何を考えているのか。
彼は悲しんでいるんだろう。でも神楽はその悲しみに今度はうんざりする。何より、とっても馬鹿らしいことなのだ。
ひたむきな情熱が陰にこもって差向けられるその顔は、ホントに、まったく、うんざりするほど深刻で厚かましい。
根が善良で、小心で、臆病な男であり、自分のような子供など相手にしなければ誰にもまして誠実な男であったに違いなく、およそ淫奔な性ではない。悪くいえば正視に耐えざる醜悪さで、剥げ落ちる魂の堕落を銀時自身が嘆いているのではないか。
神楽は、苦悩するごとくひとり勝手に悲劇をまとう男に、聖母のような慈愛を感じるのと同時に、さらに酷く苦しませてやりたくなる……そんな心持ちにもなる。
神楽の中の魔物が悲鳴をあげるのはこんな時だ。
変態の男というものは、どうしてこんなにも可愛いんだろう、と。
……いつからだろう。少し喋っただけの男に対しても銀時が口煩く言いだす瞬間を……おもしろおかしく思うようになったのは。
───好きなのは銀ちゃんだけヨ?
その言い方が癪だといいたいのか、時に銀時はわかりやすいぐらいにムクれてしまう時がある。神楽としてはさほど意識して言ってはいなかったりするのだが、不逞な物腰、物の言い方にもまだどことなく親離れできない娘らしさが全開になっている。銀時にしてみれば、それもまた断腸の種であるかもしれない。
が、そんなこと神楽がかまう筈もない。
神楽は銀時が思う以上に、銀時のことが好きなのだ。
そして偽るまでもなくまた、保護者としても特別に想っている。
けれど、銀時から特別扱いされる喜びは、何にもましてかえがたい。
『愛してる』
毎晩銀時が言う、その言葉の重さはまだ神楽には計り知れないことばかりだ。
好きと、愛しているの違いを、いまだ神楽は掴みきれない。
だけど、好きなのだ。
好きなのに。
好きだと繰りかえす神楽の素直さまで、悲しみに摩り替えられているような気がしてならない銀時の、その意外なほどの粘着質な弱さが理解できない。理解できないからなお、おもしろく、残酷に思うのか…。
それこそが男の不満であり、幼いまでの神楽の魔性だったが、つきつめて考えれば、それこそ何て幸福な痛みだろう。
「銀ちゃんのこと……好き……なのに」
掠れきった声で神楽はもう一度、言ってみる。
どこか残酷な心持もあるけれど、言うだけで、真実ドキドキする。この気持ちは嘘じゃない。
見つめる男の顔は、情けなさに崩れている。
ずっとそうしているには些か耐えられなくなって、俯いてしまった。
きっと今、顔はほんのり紅いに違いない。
頬の辺りがなんとなく熱をぶりかえしてきているのが、分かるから。
「神楽……」
呼ばれて、チロリ、上目遣いに覗き見ると、銀時は――─やっぱり悲しみを纏ったうんざりする顔をしていた。
優しいような、悲しいような、切ないような、激しいような……。
そしてそれに伴い、神楽の内側で何かが収縮して、痺れていくような感じがする。
ちょうど下腹部から始まって、胸を通り抜け、口から漏れていくような、ゾロゾロと内面を撫でられるような、何とも言えない感覚――─。
─――嗚呼、バカみたいネ……。
そう思わないと、このままどうにかなってしまいそう。
「……、 何を考えてんの…?」
苦しそうに、銀時は言葉を絞り出している。
視線が熱っぽい。
「何も…」
「何か…考えただろ」
「どうして、そんなこと言うアルか?」
「……」
湿っぽいのは飽きてきたとばかりに、神楽は銀時の首に腕をまわした。
情けなくて、バカな人。
無駄に嫉妬深い、ダメな人。
でも、可愛い、神楽だけの変態さん。
ちょうど太腿の辺りにある湿った異物の感触に、足をもじもじさせる。
男の精神と同じく…悲しみをまとう肉体の、その顕著な反応に、神楽は先ほどの怯えも置き去りにしてしがみつく。
『…ヘンタイ』
打ちあけるささやきは、もうちゃんと許した証だ。
ヘンタイ、 ヘンタイ、 ヘンタイ、、、
そのまま何度も言葉でイジめれば、わかりやすくムッとした銀時が腕の力を強くしてくる。
神楽の頭はそうしてカラになっていく。ただ見つめ、あなたの勝手な悲しみなんて知らない、そう思う。
だって、『ソレ』は、たぶん、何の解決にもならない。 けれどこの方法でしか癒せない手段もあるのだと、どこか本能的に悟っているのかもしれない。
「痛くしちゃ、やーヨ?」
叱られた子供のように頷く男を、神楽はやっぱり好きだと思った。
fin