ジョゼと虎と魚たち -3-







「神楽……」


懇願めいた銀時の声に呼ばれても、神楽は身じろぎひとつしなかった。本当は視線の先でいまだ蠢く不埒な指を、喰いちぎってやりたいほどなのに…。


「神楽……」


二度目の呼びかけにも神楽は振り向かない。ごそっと銀時が半身を起こしておおいかぶさるように自分を覗きこんでくるのがわかる。わかるから、殊さら砂浜に顔をうずめぎゅっと目を閉じる。
砂にまみれた男の指が顎先に近づいてきてそっと許しを乞う感触に、神楽は声を上げそうになった。 悔しいことに、まだ身体の奥はくすぶったままだ。


「……ごめんな」


それをさらに泣かせてしまったと勘違いしたのか、銀時が素直に謝ってきた。


「……ごめん」


もう一度つぶやき、砂にうずくまる男の背には、徐々に中天を目指していた初夏の太陽がやわらかく焼き討ちをかける。 
傷ついた小鳥にその魔の手が伸びぬよう、銀時はひたすら身をかがめて彼女を守った。
危ないから気をつけろ、といわれると、ますます近づきたくなるように。
この惹かれ方は、一種の怖いもの見たさと似ているのかもしれない……。
いまだ未知の、怖い対象であるからこそ、想像はいっそう広がり、好奇心はますますつのっていく。






「神楽……」


自分の影でおおった傷ついた小鳥に許しを乞いながらも、銀時はしかし、少女の純白の身体に砂をかけてこのまま埋めてしまいたい想いにかられた。





傷ついたその全身に砂をかけてしまいたい。





そうしてすべてを砂でおおい、残された白い顔に別れを告げ、唇に接吻けをする。
もはや息絶えた神楽はものをいわず、自ら動き出すこともない。銀時をメチャクチャに堕落させたその顔も肢体も、このまま砂にうずもれて朽ち、白骨となっていく。
砂のなかの死は果てしなく孤独で、残酷だろう。
静謐で非情なラストシーン。
甘いノスタルジックな海の香りと、気の遠くなるほど青い空の下、彼は冷たくなった彼女をしっかりと捉えながら、不思議な安堵と喜びに満たされていく────



狂おしいほど、求めれば求めるほど相手を独占したくなり、独占を完成するためには、もしかしたらその相手を殺すよりなくなってしまうのかもしれない。
死ねば、もう自分から去っていくことはない。
死しか大切なものを確実にとらえる方法はない。
もう二度と後悔しないためにも、この方法が最善ではないのか?
いいかえると、それほど人の心をとらえ続けることは難しいのだ。



銀時は、たとえ今──バスを連ねた団体客がやってきても、この時はその気になっていた。
ここで、白い砂浜の上で海からの風に吹かれながら、汗まみれになってタブーとなっている一度は馴染んだ背徳を、またひたすらエゲツなく暴きたい。 考えるだけで、いまだ昂ぶったままの股間がヒクつく。
だが、さすがにこれ以上はと、踏みとどまった。
口もきいてくれなくなった少女にとっては、まさに豹変した男に自分は映っただろう。
豹の皮膚に斑文が目立つようになると、たちまち本来の気荒な獣の習性を現わしてしまうように、ある瞬間から性格や行動が一変してしまった。
自分をコントロールできなくなることなど、神楽に出逢うまで本当に無かったことだ。人の本質が、愛において最も顕著に現れるのだとしたら、それは恐ろしいことだと銀時は改めて考える。




「神楽……」




だがしょせん、言葉と心は別物だ。
愛しているかと訊かれたら、まちがいなく愛している。
殺したいかと訊かれたら、いちおう「まさか」と答えておくさ。


そこには、いずれが善でいずれが悪といった見方や感傷など無意味だ。事実、そんなありきたりの視点で取りしきっては通俗に堕ちてしまう。



むしろ、やっかいなことはただひとつ。



この場合、子供の「純情」とは、無知と隣り合わせだということだ。無知であるが故に、その残酷さに気づかない。
それに乗じたように、神楽はますます小悪魔ぶりを発揮する。
銀時とこうなる前だって、保護者といえど男といっしょに住み、それこそ純粋な年ごろにとっては悪の元凶のような輩に囲まれ、次々と他の男と親しくなり、 あげくに知り合いの男たちに声をかけられると、たちまちそちらに靡いてしまう。
このときの理由が、 


「だって、買ってくれるって言ったモン」


の一言だ。
それを堂々と疑いもなくいうところが、小悪魔の小悪魔たるゆえんで、それになんの説得も成功していないところが、自分の困ったところでもある。
もし少女に知性や教養やたしなみがあったら、貞淑という枠の中に踏みとどまっていたかもしれないが、それだと彼自身もここまでの堕落を選ばなかったといえるのだ。
銀時はとうに自尊心も誇りも捨てて禁断の道に沈みこみ、神楽が求めるとおりの我儘を叶えてやることに満足しきっている。
まさに悪魔の使いとしかいいようがない…。


だが、彼はいつもこの少女の残酷に呆れ、ときに傷つき、苦しめられるが、神楽という獣のなかに潜む純粋さだけは信じることができた。
どんなに手に負えなくても、なお追いかけざるを得ないほど執着した相手にめぐり逢えたことで、神楽を知ってからの銀時の生活は、不条理な悲しみを負いながらも確実に充実していた。










「神楽……」


海風に揺れる銀髪が砂地に影を落としていく。
そっと神楽の乱れた前髪を撫ですきながら、彼はわずかに汗が冷えた白い頬に唇を寄せた。
柔らかすぎる感触が胸の奥ふかくを締めつける。 手に負えないと匙を投げつつ、自分と相手の隔たりが大きければ大きいほど、焦りはとどまるところを知らない。


「ごめんな……」


もう何度目か知れない許しを乞うて、銀時はその名前を呼んだ。
顔を離してじっと見つめていると、ようやくうっすらと開けられた瞳には、どこかとりとめもない暗示が果たされているようにも見える。



───その果ての行きつくところ。



表面、とんでもない悪魔の使いに見えても、神楽は神楽なりのやり方で、銀時を好きだということはまぎれもない事実なのだ。
本来の性そのままに振る舞い、純粋で無邪気で、悪気も打算もない。打算などあったら、いつまでもこんなしがない男と一緒にいたりはしない。
無知と無邪気さの入りまじった野性味に惹きつけられ、溺れていくのは男の勝手。まだ正真正銘の子供でもある彼女に、そこまでの責任を取れというほうが無理な話だ。



顎を捉え、強引に向けさせられた視線で、神楽は影になった男を見つめた。
睨んだ… といっていい。 いつまでも怒りを引きずるのは性に合わないが、さすがに海にまでやってきたのだ。ちょっとロマンチックな気分にも浸っていた…。それを──…。簡単に許すには一度害された気分を立て直すのは難しかった。


「ケダモノ…」


実に言い訳はできないわけで。
苦笑ってしまった銀時の股間を神楽は容赦して蹴り上げた。


「──ぐあ゛っ!!」


脳天を粉々にされたような激痛が走り、あまりの痛みに銀時は息もできなかった。その間に神楽は傘を手にして逃げ出した。


「待っ───〜〜〜〜ッ……!」 




チリン、チリン、 チリン、 チリン……




遠ざかっていく小さな鈴音に顔を上げると、砂浜に足跡を残して子悪魔が遠くへ走っていく。 ……遠くへ行ってしまう───っ!


「クソっ…… 待て!!」


瞬時に噴き出した滝のような脂汗が、股間を押さえて立ち上がった銀時の目に入ってよろけそうになった。救いといえば、男根がMAX時ではなかったというだけで、まだ腹を刺されたほうがマシなんじゃないかと思う痛みが痺れとともに続いている。
神楽の言ったように、一匹の獣になっていた。
逃げれば追う。
獲物が素晴らしければ素晴らしいほど理性の枷は外れていく。それが自分の……男の本性だろう。必ず獲物を捕らえなければならない。


砂に可哀らしい足跡を残しながら逃げていく神楽を、銀時は全力で追った。






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04/24 16:01
[銀魂]




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