ダイブ・リリー・ダイ







どう見てもひんやりと冷たそうな肌をした少女には、子供にふさわしい健全な愛よりも、早々と摘み取られるべくして摘み取られた、誰かの死によってもたらされた、新たな自我の芽生えのほうが似合っている。
ときにそんな不毛なことを考えてしまうほど、後ろめたい言い訳を山ほど作りながら、赤子のような肉づきの神楽の肢体が汗ばむのを、まるで呪われた南国の果実を口にして息絶えた男のように銀時は見守ってきた。


目の前で、めずらしい果物に悪戦苦闘し、力加減をまちがってばかりの神楽を見かねながら、けれど意地悪にも手をかさず、そんな自分にどこかで満たされている。放置して眺めては満たされ、そしてまた飢えていくのをくりかえしている自分の葛藤ともいえぬこの場のおかしな執着に、銀時はぬるりとしたたる乳白色の果肉を口に頬張った。なだめるように噛みしめながら、やはり縛られるような気分になった。
果肉の上品な淡い味と、南国的なやわらかい香りが、心身ともに日々昂ぶりながら疲弊している銀時をやさしく包んでくれ……るはずなどなかった。
乳白色で透明な果肉はムーンストーンのように美しい。
まるで、そう、目の前にいる少女の肌そのもののように。みずみずしいエロスの果物なのだ。
グロテスクな果皮と異なり、ナメした獣のような皮を剥いだ中からは、思いもおよばぬ美しい果肉が顔を出す。上品でやわらかく、豊潤であまやかな香り。ぷりぷりとした食感はきっと神楽をひどく愉しませるだろう。
だというのに、かわいそうに神楽は、いまだひとつも口に入れることさえ成功していない。
ちいさな指先が何度ももじつき、爪は何度もカリカリと、焦れたようにむくむくと鼻の頭から頬にかけてがふくらんでいる。日ごと洗練されてきた顔のなか、可愛らしい赤子のようなくちびるだけが幼く、そこを突きだして、見かけ倒しの鎧をどうにかこうにか剥がそうとしている。
だが、「ああっ」という声とともに、つるりと滑って吹っ飛んできた残骸が、面している銀時の足元にまで転がってきた。


「う゛ぅぅ…」


見るとわなわなふるえている。ばちりと目が合い、情けなくも甘えるような上目遣いを投げかけられた。それに圧倒されそうになりながら、銀時は意地悪くも、ふたつめのライチを口に頬張った。
ぴちぴちしたもうひとつの果肉にむしゃぶりつきたい欲望をそのまま実現したフレッシュさを、とくと賞味した。
それを見た神楽の気配が物憂く、重く、さらに濃くなって銀時にのしかかってくる。
もぎたてのみずみずしいエキスが抽出されたような神楽の気配、神楽の香り。それはどんな時にも、もはや銀時が意識せずとも感ずることができる、神楽の白い皮膚にくゆる、神楽だけの特別な匂いだった。


真向いの少女には、いつしかどんな人間からも嗅いだことのない、銀時のような男でさえ、いや銀時のような男だからかもしれない、無視できない、抵抗できない、いっそ気づきたくなかったと思わずにはいられないような苦しさを常に覚えた。
気づいた時には手遅れだった。


それは微かだがどこか重みのある気配だ。
そのみずみずしい気配はその重みで、周囲の空気さえ押し拡げているように思える。
神楽の皮膚は、そんな見る者を魅きこむ不思議な燻りのようなものを出している。
いつもうっすらと濡れたように湿度を保ち、こちらの息がつまるくらい肌理の緻密な皮膚に、天然色の不思議な水性の沈香が、たとえば無限に揮発されていくかのような。朝露に濡れた鉄砲百合の、白く厚い花びらのごとく、柔らかく、なめらかで、瑕疵ひとつない艶やかな皮膚からたえず花の蜜のようなものが焚きこめられている。


そんな不思議な香りのする神楽の肌は、どこまでも造りものめいた冷たい光沢を放ってもいた。
透明感のあるひんやりとした純白にちかいミルク色。
物事に動じない性格も影響しているためか、瞳のように光の加減で様々に色を変えないそれは、思わず溶けてしまうのではないかと思うほど、ひたひたとした柔湿をふりまきながら、陶器のごとく、どこまでも冷たい印象も与える。
青い静脈や、毛細血管などの無粋な彩りも見られない。皮膚が厚いというよりは、その下に流れる毛細血管が奥まっているからだ。これぞ人に似て非なる、夜兎の女の特徴なのかもしれない。
夏などは見ているほうが息苦しくなるような錯覚に捕らわれ、神楽自身も苦しく感じることがある、そういった緻密なひんやりとした美しい膚を神楽は持っていた。
そしてまた、世にも類稀な美しい皮膚の下には、その蕩けるような希少価値の高い美肉も存在していた。薄っすらと付着した脂肪の熱と、柔らかい筋肉を添えて、ゾクリとするほど華奢な骨格が蔵されている。
神楽の腕や身体の一部を掴んだことがある者ならわかるが、神楽の身体は本当に、酷く、柔らかかった。マシュマロのような唇と同じくらいに、柔らかいのだ。本気で骨があるのかと疑われるほどの、もしすべての肉を剥ぎ落としたとすれば、赤ん坊のような細い骨格が顔を出すのではないか。緻密な皮膚に蔽われたその下には、まるでピンク色のゼリーの果肉しか詰まってないような、奇妙な柔らかさを誇っている。
謎の体の特徴と一緒に、妙な仔共であるところもすべての点をひきくるめて、神楽に怖気づく者は、神楽の礼賛者のようなものだった。神楽に捕虜にされ、無惨に転がるそこの肉片のように、いつしか弱らされずにはいられない。
そんな白く異様に美しい神楽の魔皮からたゆたう気配は、もぎたてのフルーツのように澄んだ甘さと、どこか深く沈んだ花蜜の、アンニュイな重みを含んでいる。
咲きたてのみずみずしい果樹花を、くちゅっ、と握り潰した時に与えられる、ひどく柔らかな感触と、搾られたアロマの雫。
存在していること自体にそろそろ現実味が薄れていく───。



毒舌だが強欲ではない善良な少女である。
だが、愚かなところがあって、自分の魅力を実質以上に理解できずにいるが、自信過剰も可憐さを壊していない性質のよさがあった。


「ぐっ…う゛ぅ」


またしても獅子の仔どもが出すような唸り声に、銀時は密かに苦笑った。
むっつりとした顔に湿気をにじませ、シンプルな薄桃色のワンピースだけをつけて髪をおろした今の神楽は、海に連れていってやったときの事を思い出させる。
小さな爪がカリカリと不器用にグロテスクな果実をもてあそんでいる。
可哀い肉食獣はどんな時にも、自分の舌を満足させる材料を、しっかりと自分の掌に掴まえていなくては満ち足りないのだ。
銀時はそこに、獲物をしっかりと抑え込んでいる獅子の仔の、稚い爪を見る。


「むあああああ…っイライラするネ!」


神楽が青い目を見開いてこっちを見た。眉を吊り上げ、大きな目を下目づかいに、少し唇を膨らませ、子供が泣きかける時のような不平な顔だ。


「銀ちゃん」


いつの頃からかもう覚えていないが、神楽の自分を呼ぶ声の中には、特別の響きが加わるようになっている。ときに専横な、極度の我儘な声である。神楽が 「銀ちゃん」 と呼ぶその声の中には、この保護者は自分の言うことなら大抵のことは聴いてくれるのだ、と強引に信じきっている、神楽の心の響きがある。


「銀ちゃん、シテ」


その顔でその言い方はちょっと反則だと、銀時はうなだれた。
そう思いながら、神楽の不機嫌さえ可哀くてたまらない。
こんな時、精神のどこかが痺れるようなものを覚えた。


神楽がむくれたままじっと見上げてくる。じっと見る度に、相手の魂を持っていく目だ。相手の胸の中から愛情を、強引に引き出して行く目だ。携帯をねだられた時も、これでついつい本心が出てしまった。(僕と一緒に押し入れで眠ろう)などと…。
銀時の結んだ唇から頬の辺りにどこか弱りというか、苦笑の刻まれた窪みというか、手もなく惹きこまれた男の苦い、だが可哀らしさに耐え得ぬ表情が出ている。それを神楽は見てとっているのが、銀時には感じられる。銀時は決して達することのできない熱情が埋められ、隠されて、生な燻りを出している自分の目が殆ど異様になっていることが、神楽を見ていながら自分自身ではっきりわかるのだ。わかっていながら、銀時は神楽の目から目を引き離すことができない。
意味を知って愉しんでるなら酷いと思う。じっさい、神楽は雛のように親鳥に甘えているだけだが───。


「ぎんちゃん」


神楽は甚振りかけのライチを皿の上におき、妙にだらりとなって、もういいやと銀時を見ている。机にあごをつき、ふてくされている。
どうしたのか、銀時に甘えたい心がなおいっそう烈しくなっている。物憂さの中に魔がある。悪魔のようなものが、神楽の中で大きく膨れあがって、神楽全体が 『甘え』 の塊りになったようだ。つい先刻まで持て余していた不機嫌が苦しいような甘えに変わったのが、神楽自身にもどうしていいのかわからないらしい。
だが、銀時が器用に剥いた乳白色の果実を、黙ってにらんでいた神楽の前にかざしてやると、途端に神楽の目がキラキラ輝いた。


「ほら」
「あーん」


ぷりぷりともくもくとしみじみ噛みしめている。


「銀ちゃん!」
「うん」
「うまいアル」
「うん」


もう一個、今度は神楽の皿からいただいた果肉を剥いて、その小さな口に放り込む。


「むふっ」


かわいい奴め、としかもう言いようがない。


銀時は神楽の貪婪な目を、内心可哀くてならないのだと見返し、平然とみっつめを剥きはじめた。
こうなると、自分の食べるひまも惜しんで神楽に与えてしまう。
無心に懐く雛に、手ずから餌を与えてやる恍惚は、いまの銀時には何よりも代えがたかった。
指に滴るみずみずしいライチの感触のなかで、神楽が身じろぐたびに幽かな重い気配が重なる。
その香りが銀時のこう着状態を固定させる。
頭が後ろから霧に包まれてしまったようになる。


「神楽ちゃんも、自分のを剥けるようにならないとなぁ」


妙なアクセントで昏く言いつのる銀時にも気づかず、神楽はその場かぎりでこくこくうなずいた。












fin

愛の盗人、愛の枯渇


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09/03 20:15
[銀魂]




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