例えば、神楽はその日一日たくさんの知り合いや見知らぬ男に声をかけられる。けれど門限までにはちゃんと帰ってくる。
今日一日何してた?
と銀時にたずねられ、どこそこに行って、バイト中の服部くんを発見したからいっしょに綺麗な小石を拾っていた、と話しをしている途中で、神楽は
『薄青い石を見つけて、カラスの巣に隠してきたアル』
と、言おうとするのだが、いつのまにか…
『白い石を見つけて、カラスの巣に隠してきたアル』
というふうな言葉が、口から出ている。
どうしてそう言わなくてはならないのか、神楽自身にも全くわからないのだ。
薄青い石を見つけたかったのに薄青い石がない。それで薄青い石を見つけたかのようにみせよう、というのならわかる。それなら大抵の子共が吐く嘘だ。神楽の場合はそうではなくて、薄青い石でも、白い石でも、むしろどっちでもいい。
漠然とした中での、少し投げやりな気分といったらいいだろうか?
神楽には、この嘘をつく癖とともに、よく新八に頼まれた買い物リストから、買い忘れをしでかすというおっちょこちょいな一面もあったが、それも無知からくる失敗なのではなく、単純にものを忘れるという、いい加減な気質に繋がっている。
だから神楽は初めっから大切なものや、これは手放せないと直感したものなどは、小動物のように仕舞いこむ習性も持っていて、何かを忘れる、大切なものを置きっぱなしにして後から困らないよう、実に調子のいい便利な防御癖を身につけてもいた。それも無自覚のうちに…だ。
神楽のそうした癖たちは、悪癖といっても過言ではなく、けれど神楽自身の罪悪感が薄いので、それらを矯正するべく彼女に立ち向かおうとする相手の闘志を甚だしく弱める。
その根底には、『別に悪いことはしてないモン』、というふてぶてしくも投げやりな開き直りがあり、自分は決して悪くないのだ、という自信が、どういうわけかあった。
それが、 神楽が自分でも知らないうちに出している唇の癖にも顕われている。
嘘をついたときや悪戯な遊びを思いついたときに、ほんの僅かに翳る唇の端の窪みだ。どこか揶揄ったようにも見えない笑いが、神楽の上唇のまん中がちゅんと尖った可哀らしい唇を気持ち、吊り上げる。
そういう時の唇の窪みと同じ自信が、神楽が、自分より年上の少年や、ずっと大きな大人を見る時にふと、投げ出されている。それは新しい蜘蛛の巣のようなもので、その神楽の無意識の放射を何度となく見ている銀時でさえ、ふと、よろけてしまうものだった。古い蜘蛛の巣はきたなく厭らしく蜘蛛の貪欲が不潔に見えるが、新しい蜘蛛の巣は蜘蛛の貪欲まで清潔に見え、彼はその中で縛られてみたいと何気なく夢うつつに思ったりもする。
そんな、ただ意味なく、神楽がぼんやりしている瞬間、神楽の捕獲網はそこにいる男に向かって、投げかけられていた。
彼らが特別な注意を払って自分を見たり、黙って、ポケットから蝋石や飴玉を出して、神楽にくれたりする、そういう特別な注意と親切な行為が、自分がそいつを見たからだと、神楽はいつからか知るようになった。
自分が男のほうを見れば、ほとんどの男が何かを感じとったまなざしになることを、何度か経験すると、神楽の、男を見る目はいよいよ魔の領域に入りこみ、ここでもいい加減な無関心をふりまくようになった。
大の大人の視線を捉え、目と目との戦いをやって負かしてしまうのも、知らず知らず蜘蛛の巣のような視線を投げかけて、男の関心を掴まえるのも、根本は神楽の漠然とした自信からきている。
それが銀時や土方、そのほか特に日ごろから神楽を観察している者たちには段々とわかるようになっていて、他愛ない嘘なども時おり見破る彼らの鋭さに神楽はハッとなる。
だが、自分の意志が働かないところで何かが働いて、いつのまにか、神楽はまた嘘を吐いているのだ。
銀時はそんな時、黙って最後まで聴いていて、ふ〜ん、というように二度、三度、頷いた。実害がない以上、罪のない嘘だとわかっているので、そうして、何も気づかなかったように、うっすらと翳っている神楽に話を合わせてやる。
それは温かい温度のように伝わってくる。
そういう場合の銀時の愛情は神楽に、甘い、気持ちのいい───それでいて土方のものとはまた違う───セクシュアルな響きのような、恍惚としたものを伝える。
「何でカラスの巣に隠してきたの?」
「え…」
子供の嘘をまたひとつ見破って、けれどそれをそのまま野放しにして微笑う銀時に、話し終わった神楽は首を傾げた。
「だから、別に巣に隠さなくても良かったじゃん」
「……あー… うん、そうアルな。 でも、石拾ってたら、カラスがじぃーと木の上から見てたのヨ」
「まァなぁ…、光もんが好きだって言うしな、アイツら」
「うん、服部くんもそう言ってたネ。 だからお互い一番気に入ったやつ以外は、カラスのところに置いてきたアルヨ」
「ふ〜ん…」
「見たいアルか?」
「ん?」
「神楽がいちばん気に入った石ヨ」
「うん、じゃあ見せて」
「わかった、ちょっと待つネ!」
神楽が自分の押入れに走っていって、中に入っている専用の洋服箪笥の抽斗から、フランス製のクッキーの缶を取り出してくる。 これも、欅の鏡台がある抽斗の中のものと同じく、神楽のお気に入りがつまった『宝箱』だ。 中味とともにお登勢からもらったものだったが、その見た目、ロイヤリティな感じが酷く気に入っているらしい。
「これヨ」
パカっと腕のなかで蓋をあけて、かすかに漂う甘い残り香の中から今日おさめた新メンバー、乳白色のアメーバのような形をした石を取りだす。 といっても、石の表面からは一本の『毛?』 みたいなものが生えている…
「これェ?」
相変わらずおかしな趣味だ。 と、銀時は笑いを堪えながらその石を神楽から受け取った。
「毛を抜いたら許さないからネっ」
「やっぱ毛なのコレ!?」
「いいじゃん、毛で」
「いや… 別にいいけどさぁ」
我慢できずひとしきり笑いころげたあと、銀時は、その他だいじなモノが仕舞いこまれた神楽の宝箱に手を伸ばそうとした。
「だめヨっ」
神楽が宝箱を胸に抱いて後ずさる。
「…別に減るもんじゃねーだろ」
「やーヨ、減るモン」
「……。じゃあさ、そん中で、今いちばん神楽のお気に入りだけ見せてよ」
「え〜」
そう言いつつも神楽は銀時から見えないように缶を抱きかかえて、中味を物色しだす。どれもこれもお気に入りなだけに少し時間がかかるかも… と思っていたが、案外はやく神楽は決定した。
「これ」
小さな手のひらに選ばれたのは、黄色い巻貝だった。
「海に行ったときのか?」
「…うん」
神楽の唇の端がわずかに窪み、銀時は内心おおいにため息を吐いた。
「誰にもらったの、コラ」
「……。」
イエスもノーも言わなくなったことから、だいたいは銀時も察しがつく。
…ったく、 親の居ぬまに何とやら…かよっ。
銀時が何も言わないのをいいことに、神楽は黄色い巻貝を大切に宝箱へしまいこんでそそくさとなおしてしまった。
「神楽」
「ん?」
「あんま、誰からもモノ貰うんじゃねーよ」
「……。」
「じゃないと、いい加減にお仕置きするよ」
娘の友達にケチをつけたがる父親の気持ちってのはこういう感じだろうか。とにかく、腹立たしい以外の何ものでもないだろう。
fin