忍冬アタラクシア








だいたいご機嫌とりと称して神楽の腹を満たすために、まず食事を与えるこの男の行為は、餌付け以外のなにものでもない。…と少女は思っている。
アレも食べろコレも食べろと、大盤振る舞いに餌をふるまわれ、その前座からして何だか最近は頭痛がしてくる。出会いが出会いだっただけに、いまだに神楽を小さな女の子と勘違いしてるんじゃないだろうか。
…―─裏で何を考えているかわかったものじゃないが、大手を広げて自分を甘やかす時の銀時は呆れるくらいに、神楽が何を言ってもどこ吹く風で、まるで聞く耳を持たなかった。




◇◇◇




その日、駅のホームに神楽が下り立ったのは朝の八時すぎだった。
公園前の改札口を出ると、近くに新しく出来たという動物園へ向いて歩いて行く子供連れが目立った。日曜日だ。たまにはあんな風に──人目を憚らずデートしてみたい。…なんて思うものの、銀時の職業上の地位を天秤に架ければ、あまりこういったことでの我儘は言うべきじゃないとわかっていた。
有能な弁護士として名高い彼の邪魔になりたくない。数々のケースを抱える売れっ子なので、ただのイチ女子高生の自分が、ひょんなことから知り合い、恋人としてひそかに付き合うようになった経緯がいまだに信じられない。
『男は仕事してなんぼヨ』 というスタンスが神楽の中にはあるが、それこそ幼い頃からそう自分に言い聞かせて戒めてきた節があった。そういう他人には伝わりにくい意外な拘りや大人びたルールが、普段から尊大でふてぶてしい少女の中に存在していると気づく者は少ない。神楽自身あまり主張せずにさらっと流してしまうのも癖で、だからこそ、時として彼女にはびっくりするような印象を覚えることもままあるのだ。


キャップ帽をかぶった売り子の男が、移動パン屋のワゴン車に、ダンボールに入れて来た焼きたてパンを並べている。芳ばしい匂いには思わずフラフラとくるが、それを横目に、神楽は背後に続く駐車場へと入っていった。
かなり広い駐車場にはもう三分の一も車が入っている。またしても家族ずれを見つけ、やっぱり目的は動物園か、と思う。小さな女の子が自分の横を「早く早く」と、遅れて歩く父親に振り向きざま笑顔を振り撒いているのに一瞬目を細め、神楽はぐるりと辺りを見回した。
ちょうど車を見つけたのと、銀時がBMWを下りるのとはほぼ同時だった。
車のドアを閉め、彼は日傘をくるくると廻したままたたずんでいる神楽のわきを通りすぎた。別に声はかけない。神楽はその後を五メートルばかり間をおいて彼について行く。


動物園とは反対の道に沿って少し行くと、清閑な建物が軒を並べていた。あたりはまだひっそりと寝静まっている。
銀時がその一軒へまぎれるように吸い込まれた。神楽は足を早め、続いて門を入る。
門を入った植え込みのところで、銀時は待っていた。
そこで初めて神楽の腕を取った。
この家には玄関がないのだ。
玉砂利を敷いた道を入って行くと、右側に受付のような窓がある。
銀時がその前に立つと、すぐに庭下駄をはいた女中がくぐりから出てきた。


「お時間でございますか」


相手の顔を見ないように訊く。頷けば、先に立って玉砂利を鳴らした。
ここの建物はすべて離れ家のような造りになっている。顔の高さのあたりだけ塀がついている道を通るようになっていた。どこの一軒へ行くにも一方通行で、仮に道で別の客とすれ違うようなことがあっても、上半身だけは塀で見えない。反対の道を通る客の足だけが見える仕組みになっているのだ。


離れ家の小さな玄関を女中があけ、先に入った。
続いて銀時と神楽が入る。
品のいい八畳ほどの和室に、続きの奥の間には屏風で仕切られた大きな臥所がある。もう何度も、此処に連れて来られている神楽には記憶に新しい光景だ。
いつものように八畳の和室には炬燵も用意されていた。4月だが、まだ寒いので、女中が一足先にコードを差し込んで行く。茶箪笥から茶道具とお菓子を出し、湯の入ったジャーを並べて、


「ごゆっくり……」


と挨拶する。
そそくさと女中が出て行くまでを、銀時と神楽は無言で待っていた。
女の足音が完全に去ってから、銀時はようやく神楽の背後にまわってスプリングコートを取った。


「二週間ぶりだな…」
「うん」


夜勤明けの男は背広のまま、脱がせた彼女の体を後ろから抱いて首筋に唇を当てた。ひんやりとした肉の感触に肌があわ立つ。
突っ立ったまま神楽は、小花柄のニット風のワンピースのスリットをたくし上げられ、男の指が肌を愛撫するのにまかせていた。すでに畏れを放棄した無骨な感触を、その冷えた熱を、下を向いたまま耐える。…怖くはないのだ。けれどいまだ変に緊張してしまうから。…やっぱり慣れるものではないのだと、もどかしくなる。
そんな少女の緊張を解すように、下着を撫でていた掌がいったん臍の辺りに留まり、背後からは息を吐く唇が耳裏の辺りに優しく吸いつき、反対の腕がさらに腰を支えてきた。
まるで全身を使って神楽を温めんとでもするように、銀時は背後から細い肢体を抱きすくめる。
神楽の身体がこの部屋に馴染むのを、銀時は待っているようだった。
そうして冷えていたお互いの体温が徐々に溶け合い、かぷりと耳たぶを甘噛みされた頃には…


「ふ…」


漏れでた吐息に神楽は下半身が熱くなる自分を感じた。緊張が期待に敗北する、その瞬間がやけに恥ずかしい。背後に感じる厚い筋肉に自分の心臓の音が吸い取られそうで、神楽はさらに吐息をあげた。
もじっと腰が揺れ、それを機に銀時が離れた。


「……おはよ」


改めて言われて、神楽は振り向きざまに笑った。


「いい子にしてたアルか?」
「……それは俺の台詞だろ」


少しぶっきらぼうな声がじんわりと彼女を安心させる。


「躾がなってないからヨ」
「…うん?」
「朝から不謹慎ネ、銀ちゃんは」


この離れ家の内部は完全に夜の世界が演出されている。
雨戸が閉め切られ、雪見障子には奢侈な造りの羽衣のような薄い羅が何枚も重ね下り、外の明るさは殆どわからない。
ここで銀時に抱かれると、神楽はいつも時間を忘れた。
もともと背徳を好む幼い身体が男を知ってから、いっそう魔の領域に踏み込んだ。
前後不覚になるまでぐずぐずに溶かされ責められる度に、神楽はよがり狂った声をあげ、全身で銀時に応えてきたのだ。







「ほら、遠慮せず喰えよ」


銀時が疲れを感じさせない顔で勧めた。
炬燵の上には、運ばれてきた上等な白米とおしんこ、料理人が腕をふるった色とりどりの前菜や、和牛のステーキ、山菜のサラダ、魚介の醤油バター焼き、天ぷらの盛り合わせに、飾り切りしたフルーツといった料理がずらりと並ぶ。薄気味悪いほど許された贅沢に、今日も家でだらだらしてるムショ帰りの兄には、もう少し熱心に仕事に打ち込んで自分に貢いでくれればいいのに、とも思う。


「…いただきますアル」


神楽はいささか歓びをおさえて手を合わせる。銀時にはやはり嬉しそうに映ったかもしれない。食欲はあるものの、天邪鬼な虫がうずうずするのだ。


料理はどれもおいしかった。元々抜け目のない大人とはいえ、銀時にこんな才能があるんだなと改めて考える。女を口説くための努力なら厭わないという訳だ。


「おいしかったネ。ごちそうさまヨ」


神楽は食後にもう一度手を合わせる。
食べ終わった後の食器を片づけてもらおうと席を立った神楽の手を、すかさず銀時が握った。空いた方の手で日本酒の徳利をひとつ持ち、自分の隣に神楽を引き寄せる。しかも神楽を膝に乗せ──


「おまえも飲むか?」


と、日本酒をお猪口に注いだ。神楽は唖然と首を横に振ったが。それも銀時の予想通りの反応だ。銀時は神楽を見つめたままお猪口の中身を空けると、神楽をさらにぐいと抱き寄せた。


「ぎ…!?」


次の瞬間、神楽は唇から喉にかけて、温度が上昇するのを感じる。


「ん…?ふっ…」


銀時の口から流し込まれた液体を受けきれず、それは神楽の唇の端から一筋溢れて、形の良い顎を伝った。
神楽が苦しげに喉を鳴らす。
やっと空気を取り込んで大きく息をついた神楽に、銀時が再び問いかけた。


「まだ飲むか?」
「なっ…ふざ、けないでヨ」


銀時は悪い大人だ。16歳の女子高生の神楽に手を出して、あげく飲酒まで強要した。
大人の銀時と違って、神楽は未成年だし酒など飲んでいいはずがない。一口飲んだだけで――飲まされ方のせいもあるが、神楽は身体の内から熱くなってしまった。
火照った頬を隠すように俯いた神楽のあごに手を掛け上を向かせると、銀時は続けて口移しで日本酒を飲ませてくる。もういい加減にしろと抗っても、何が今日の銀時を暴走させるのか、この不良弁護士は聞き入れはせず可笑しそうに上機嫌らしい。


「…っ」


慣れない酒の味と銀時のキスに酔わされて、神楽は思うように抵抗も出来なかった。全身を痺れが包む不思議で不安定な感覚に、神楽は思わず銀時の胸に額をあずけて目をつむった。すると銀時は神楽の髪留めを外し、ふわりと肩に落ち掛かる桃色の髪を、優しく撫ではじめる。それからぼそりと、大きな独り言をいった。


「デザートがまだだったな…」


髪に触れる銀時の掌から神楽の背筋へ、ものすごく嫌な予感がざわりと不吉な音を立てて抜けた。しかし逃げ出す間もなく神楽は銀時に組み敷かれ、言葉を発する前に口を封じられてしまう。
さらに銀時の舌が、神楽の唇からあご、首筋へと残る、日本酒の透明な線をなぞっていった。


「あ…ん…」


ワンピースの前をはだけられ、日に当たる事のない純白の肌を吸われて、神楽がせつない溜め息を漏らす。銀時は神楽の胸から顔を上げると、底知れぬ闇を湛えた瞳に悪戯っぽい笑みを浮かべながら、


「いただきます」



と呟いた。










fin


more
04/14 17:42
[銀魂]




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