最後に自分を視た神楽の、子供のような泣きそうな顔の中に疑惑と、飼い主に鞭打たれた仔犬のような、哀しみを視た銀時は、覚悟していた以上の寂しさに襲われた。大切なものが、掌の中から抜け出ていくような気がする。神楽の後を追いたいのを、銀時はようよう堪えた。追いかけて行って、神楽を許してやり、甘い言葉のかぎりを尽くして抱き締めてやりたい。殆ど恋の情熱のような愚かしい心を抑え、銀時はソファーにうつぶせになった。
神楽のただならぬ哀しみを見て、土方ははじめから原因が沖田や同年代の友達のことではないと思っていた。神楽の唇から、「銀ちゃんが」という言葉が洩れるのを聞いて、銀時が何か神楽を怒らせたのか、逆に銀時が神楽を怒ったり、神楽のしたことについて窘めたのだろう。それが神楽の大きな愕きだったのだろう。そう見当をつけた土方は、神楽の背を、大切なもののようにポンと抑えて、ベンチに腰をかけるよう促すと、自分はそこにしゃがんで、しばらくの間泣き止むのを待った。
神楽は耐えられぬ哀しみがこみ上げるらしく、小さな子供がするように啜り上げ、泣きじゃくりながら、労わるように看ている土方の目を、何ごとかを訴えるように見入るのだ。紅くなった顔が涙に濡れ、ぷっくりとした赤い唇が、睫毛に光る真珠の涙が、なんとも言えぬほど可哀らしい。少女に出逢って、神楽を見守る関係が度々あるようになってから、数年の中ではじめて、自分の目の中に見入って泣く神楽を見た土方は、熱いもので胸がいっぱいになり、たちまち全身が赤くなるのを覚えた。全身に滾るようなものを懸命に抑え、土方は神楽の落ちつくのを待った。
泣きじゃくりが幾らかおさまった神楽は、熱い、大きく開けた眸を訴えるように土方に向けると、きれぎれに話し始めた。
神楽の長い睫毛の、涙に濡れた大きな目が、この世に土方より他に縋るものがない、というように自分の目を覗きこんでくる。土方は自分にはどんなことにでも哀れみの聖杯を与えてくれるものと神楽は確信しているらしく、その欲しい慰めの甘い蜜を探すようにするのを、昂奮の中に見た土方は、広い、肉の厚い胸の中に、渾身の愛情が集まるのを覚え、その煮えるような塊を懸命に抑えて神楽を見た。
土方は神楽の肩を抑え、熱い、濡れた哀れみを、自分の目から神楽の目へ伝えようとするようにして言った。勿論、言葉は選びに選んでだ。
「アイツが、お前をどんなにか大事にしてるか、知ってるだろう?
……それでも、お前に悪いところがあれば、それを直して、ちゃんとしようとするのも、アイツの務めだ。」
ただ、ちょっとイジメたくなっただけかもしれないが、銀時は基本的に神楽を野放しにはしていない。
蜜のようにドロドロに甘やかしてはいるが、駄目はものは駄目だと言い聞かすぐらいはする。…今回のそれが本当に駄目なラインだったかは定かではないが。神楽の幼い甘え(嫉妬)に嗜虐的な精根が刺激されたのかもしれない。
神楽は、銀時が厳しくしたので少し昂奮してしまったのだ。いつもは銀時のほうがあやめに対する態度が酷いのに、神楽が少し専横な態度をとると、「お客さんだから」と窘めた。銀時が神楽を可愛く思わなくなったなどありえない。銀時はいつでも、神楽が可愛くてならないのだから……。
「……アイツはいつでも、お前が可愛くてならないんだ」
土方はこの言葉の終わりの、可愛くてならない、という箇所を、我にもなく声が震えるのを覚えて、言葉を切った。胸の中に熱い息を吐き、土方は肩の手を放し、艶やかな神楽の髪を苦しげに、そっと撫でた。
土方の熱い言葉は、神楽の胸に充分に伝わったようだ。
神楽は土方の目を凝視し、しばらく黙っていた。そうして、思い出したようにしゃくりあげた。
土方はそんな神楽に、再び熱くなった胸の動悸を抑えた。
神楽は土方を見ていたが、不意に立ち上がり、銀時のもとへ帰ろうとして、二、三歩歩くと、後戻りをした。
「トシ。トシはいい奴ね」
神楽は、いつの頃からか感じとっていた、土方の中にある熱い心に、掌で触ったような、満ち足りた心の中で、安心な、熱い雰囲気のなかで、そんな中に包まれていながら、ふと不安を感じたのだ。だが神楽はその不安と一緒に、今までの土方に感じていたものよりも熱い、濃い蜜のような愛情を受けとった。それは重い、心の中に重く落ちた、愛情である。土方の愛情は重くて、そうして熱かった。銀時と変わらぬ重さであるように思えた。この土方との場面も、長い間神楽の記憶に残っていく。神楽は後になって、
(あの時、トシは私にキスしたかったんだ)
と、想った。
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