魔女キルケの献身







女の持っている美しさや官能性を、男に対してのみ、誇張して表現しようとする女は、その美貌のレベルがどの程度であれ、同性から敬遠されがちである。
一方、男に向けてのみ表現されてしかるべき官能的気配が、そっくりそのまま同性である女に、きわめて自然に向けられれば、それが不思議な魅力となって女の目に映ることもあり得る。








妙は美しい女だった。ただ美しいだけではなく、強く理知的な面差しがあった。薫るように上品な華もあった。
神楽は妙の、その濡れたような艶やかな黒髪が羨ましかった。
自分の…今にも手のひらの中で溶けていきそうな猫毛ではなく、芯の通ったまるで彼女の性格を現すようなそのハリのある、美しい黒髪。妙を象る組織のなかで神楽はそれが、一番好きだった。


「姉御の髪は黒くてきれいネ…」


鏡の中、髪を梳かしている妙の後ろから、神楽はしなやかな黒髪にそっと触れてみる。しっとりした触り心地が手にひたりと吸い付いてくる感触が気持ちいい。
そんなどこか羨ましそうに俯く神楽の表情に、妙は鏡の中でこっそりと微笑んだ。


「私は、神楽ちゃんの薄紅色の髪のほうが好きよ?」


髪だけじゃなくて、さっき風呂場で触れたその肌も、瞳も、爪先も、ぜんぶぜんぶ大好きだけど…。


「私のは、芯が通ってなくてふにゃふにゃだし、薄いし…触った心地しないアル……」
「触れても空気のようだなんて。光の粒子が集まったみたいで素敵じゃない」


陽の下では薔薇色、月の下ではピンクパール。
昼と夜とで違う輝きを魅せ、キラキラ、キラキラ、光って綺麗な神楽の髪を、妙はコトのほか愛しているのだ。
もちろん髪以外もそう。
その瑕疵ひとつ無い滑らかな白磁も、宝石のようにあやうく揺れる青い眸も、思わず触れてみたくなるようなバラ色の唇も、すべて。贔屓目なしに神楽は本当に美しい少女だから。
もちろん妙自身も、自分が醜い女だとは思ったことはない。これでも、小さな頃から綺麗だの可愛いだのと周囲の者から褒めそやかされてきた。成長してもそれは変わりなかった。言い寄る男も一人や二人ではない。
──だが、自分を下に見ることを良しとするわけではないけれど、妙は、神楽の持つある種異様な“美”に、自分ではとうてい適わないと思っている。
適わない…というより、一生自分には備わらない“美”のひとつだと思っている。
それは、生まれつき持ちえる者と、そうでない者との差がはっきりとわかれるものだ。


神楽にはそんな──、妙には一生かかっても持ち得ない、ある種の選別された“美”というものがあった。


“美”は“選別”を含むからなお美しいのだという。
なら“選別”という“残酷”が、“美”をさらに哀しいまでに美しいものとするのだろうか。
妙は、神楽に出逢って、その“残酷美”なるものの正体を、初めて垣間見ることができた気がするのだ。


“選別”という“残酷”を如実にあらわす“美”。
それら残酷美とは、どこか罪の香りのするものである。
そして、神楽には幼いながらにそんな“罪の香り”があった。
といっても、罪の香りが明確に“罪”をあらわすものではない。神楽の場合は、“罪”というよりどこか物憂く、むしろ背徳めいていた。“背徳の香り”と表現したほうがぴったりくるかもしれない。
要するにそういったものを総て含めた、幽かな魔の気配のする少女、それが神楽なのである。
しかし彼女の持つその残酷美なる“魔”は、魔性ではないのだ。成熟した女が持つ毒々しい妖華ではない。
何よりスレていない。スレること自体が神楽には無理なように思えた。
それは、どこか悪意の無い小さな子供が、虫の足を千切り取るといった―――すでに何匹となく虫を捕ったことのある子供の、残酷なものさえ交えた歓喜…―――のような、稚くも拙い、無垢な罪の香りである。美徳や道徳に知らず知らず背を向けた、曖昧で、けれど純粋な“背徳の香り”である。
本来、子供というものが、悪魔(=魔)を内に内包している生きものなのかもしれない。
だが…、子供が持つそれらの魔は、成長していく過程で中から殺されてしまうといってもいい。
親のまっとうな教育、世間の偽りを含む倫理と義務、贋の香りのする道徳……そういったものに洗脳され、支配されていくからだ。
しかし完全に殺すことも出来ないので、醜い、愚かしい形となって、こびりつくように残ってしまう。
そうして悪賢い大人と、融通の利かない常識とがそれに代わってひっつていく。
だから幼少の頃に持っている悪魔(=魔)を、また子供という純粋な人格を、そのままに残しておいて、その上に出来上がってくる大人といったものは、素晴らしく稀である。そういった特殊な人物はやはり、奇異、としか言いようがないのだ。
しかし、神楽はその“魔”を、捨てきれないものとしてだけではなく、生まれながらに持続したがっている。何処かで持続することを望んでいる。神楽の本能、本質、精神、意志、思想……といった内面の何かが、“魔”を手放さないからだろうか?
まるで罪のように持ち続けている。それは、神楽のガラスのような瞳に時おり現れる、隠匿された暈状の光に原因している。
妙の洞察力ではそこまでの認識にはまだ及ばないが、神楽の目はその鎖した隠匿を、自身に背く不徳(=背徳)のようなもとして映し出してしまう暈のような働きもしているから、得体の知れない、淵い光が滲み出す印象を他者に与えてくれる。
それが他者を捕獲し、圧倒し、妙が受けるような、ある種の“選別”された“残酷”なものを覚えずにはいられなくさせる。
要するにその光が、神楽の持続しつづける“魔”に、どう絡まっているのかは知らないが、どこかでひっつき、どこかで掛け合わされ、時に相乗効果を生み、時にプラスかマイナスかは定かでない曖昧模糊な印象を、植えつけ、侵してくれるのだ。
神楽のガラスの瞳にふと現れる、胸の内に隠匿されたものが、何かしら神楽の持続する“魔”に要因していることはこれで確かだった。


スレることのない“魔”、という背徳の香りただよう残酷を、神楽は持っている。まったくもって類稀な存在としか言いようがないわけだ。
また、そんな一種の魔的な“残酷”なるものが、常に神楽を取り巻くことで、それが可愛い“罪”の予感を周囲の者に抱かせ、妖しい“罰”を妄想させずにはいられない。しかもその周囲の者からの干渉が、神楽の残酷をさらに煽っている節があり、何を持ってしても律し難い、『仕様のない娘』という不可思議な想いを悪化させてもゆくのだ。
思うに神楽の場合、更なる凶悪さをもってして、生まれ持ったそれらを進化させているようにも見える。
それは、あらかじめ持って生まれた彼女の“残酷”を、これまた生まれ持った“美しい容姿”と、これまでの生い立ちの複雑さから滲み出る───他人がふとその背景を慮らずにはいられない───ある種の“悲哀”とで(ここにも神楽の隠匿されたものが影響している)、それはそれは美しい三重奏を奏であげ、人生という一種のタペストリーを織り上げていっているからに他ならないからだろう。
そしてさらに、神楽の秘めたる“背徳の香り”ただよう“罪”なるものを、その“悲哀”なるものが明確にし、塑像してしまうという効果を生んでしまっている。
神楽が持つその種の“残酷美”は、彼女の姿形の異様な可哀さからだけを通して滲み出るものではなく、もちろんその姿形を除外して表現することは不可能だが、神楽の場合、生まれや、本質、本能、真価、性質、思想、意思、…などあらゆる付随品があってこそ、さらに、強烈に、深く、重く、他者を魅了する異様なモノとして、それらを際立たせる結果となっているのだ。



『美は韻律の釣り合いから生じる』



と、誰かが説いていたが、まったくそのとおりだと妙は思う。
どれだけ顔かたち外見が整い、生まれ持った“美”の洗礼を浴びようとも、魅せる内面からの何か強烈な磁力が無ければ、ここまで他人を捕虜になど出来ようはずがないのだ。




「……姐御、これやって」


黒髪を梳かしながらうっとりそんなことを考えていた妙に、神楽が背後から抱きついてきた。
妙の胸の前で差し出された白い手のひらには、精巧に作られた銀木犀の造花が置かれている。どうやらいい位置に付けて欲しいというコトらしい。
鏡台の前に座っていた妙は、神楽を自分の前に座らせ、思いのほか上手に編まれた左右の編み込みを褒めた。


「上手くできたわね」
「ウン♪」


鏡の中でにっこり微笑った神楽に、妙も蕩けるような笑みを贈る。
背中までだった後ろの髪を最近、その下まで長くしている神楽は、まるでフランスの修道女のように、左右で編んだ編み込みを項辺りで三日月形の受け皿を描くように一つに纏め、そこに幅広のリボンや髪飾りをとめていた。今日は黒いリボンをしている。前から見ると、ちょうど黒いリボンが角く両脇に出ていて、ユゴーの“ラ・ミゼラブル”に登場する少女のように見える。
服装も今日は、リボンに合わせて黒いハイウェストのワンピース風チャイナドレスを着ている。薄い木綿生地で出来たそれは、両腕の小さなパフスリーブと同じく、少し襞を寄せたスカートが膝上十五センチのところまでふんわり広がっている。
襟元は勿論チャイナ風の飾りボタンで、パイピングは薄い金色。
全体的にミニミニな感じが、ロリータっぽい雰囲気を洗練していた。
膝上まで蔽った黒いニーハイソックスも可哀らしい。裾と靴下の間に見える、真っ白な肌が妙の目を刺した。


「リボンと一緒がいいかしら? それとも耳の上がいい?」


中に針金が入った若草色の茎をくるくる回しながら妙は、自分の前にぺたんと尻をつけて、高さ二十センチほどの抽斗つきの鏡台を、投げ出した脚の間で挟むように座る神楽のリボンを優しく引っぱる。


「姉御の好きなところでいいアル」
「そう?  じゃあ─……」


束の間考えた後、妙はリボンと一緒に銀木犀を挿した。サイドに挿して前から見た時に揺れる様を愉しむのも勿論素敵だけれど、神楽が背中を見せた時、不意にこぼれる白い花陰には、心をくすぐられるものがあるだろう。黒い大きなリボンとの対比もちょうどいい。


「とれないアルか?」
「…そうねェ……まぁ、大丈夫でしょう。 あんまりやんちゃしなければ、だけど」


わかった? そう妙が鏡越しに目を覗きこむと、神楽は一応こくんと頷いた。どこまでそれを頭にとどめておける
かが問題なのだけれど。


「じゃあ、行きましょうか」
「ハ〜イ♪」


元気よくぴょこんと立ち上がった神楽の手を取って、妙はにっこり笑った。


さぁ、楽しい夏物バーゲンに出かけましょう。










fin


more
06/13 19:36
[銀魂]




・・・・


-エムブロ-