シナの墨でぬられたフカの腹を裂く -2-













「……おまえは、 残酷だ」






息が詰まった。
声が聞こえた時にはすでに、自分でも何をされているのか分からなかった。
乱暴に肩口を掴まれ、そのまま体が反転して体重をかけられている。
咄嗟のことに、そして相手が銀ちゃんだったことに、私は反撃という手段をとることもなく重力に流された。
ベッドの上に這う、軋む音。
銀ちゃんの手はもう…私の背に無い。
掌は、私の首筋に添えられている。
緩く力を込めて────。
驚いたようにも、冷静にも見える表情が真上にあることが、何だかとても不自然に思えた。




「…………殺す……アルか?」



「違う」



「じゃあ、 この首にかけている手は何ネ」




意外だ。このまま力を込めれば、私は死んでしまうのかもしれない。それもあっけなく。わずかばかりを苦しんで?
もっと酷い殺し方も知っているくせに。
銀ちゃんの目に、たぶん殺気は無かった。



「頼む、止めてくれ」



零れ落ちたのは───…



「それが出来ないなら……頼む…っ、」



急速に滲んでゆく世界を、私は瞬きもせずに見つめていた。
ゆらゆらと輪郭が燃える私の顔。
今、もしも銀ちゃんが瞬きをしたのなら、きっとこの水滴が私の顔に灼け落ちてしまう。
だから銀ちゃんは耐えた。
喉や肩が小さく震えるのは止められなくて、銀ちゃんはギリッと歯を食いしばった。


「出来ないって知らないくせに」


「…知らねーよ。 知りたくもねえッ!」
「ぎんちゃん」
「俺は…っ」


ふたりして盲目的な言葉を吐き散らかしているなんて分かっている。
これが茶番であってもなくても、それこそどうでもいいのだ。
無茶な希みだと知っていても、私を殺せるのも、私の腕を掴めるのも、きっとこの男一人だった。
……確信じみたその思いは、いったいどこから発生したのか。
一段と視界が揺れて、右目に溜まった銀ちゃんの雫がぽたりと私を灼いた。
唇の端辺りに落ちたそれは、頬を重力の方向へとつうっと伝った。


「こわいのか?」


「火を消してほしいアル」


きっと頭がおかしくなったんだろう。
私たちは二人して、自分たちを困らせたいだけなんだ。


「焼かないでヨ……もう」
「……何を、」
「銀ちゃんまで……焼きたくないヨ」


言訳から逃げ出すための口実に聞こえただろうか。
思わずといった感じで掌に込められていた力に、息が 苦しい。



「愛してるんだ」



力を抜いた銀ちゃんに唇をふさがれた。
彼の乾いた唇と合わさった時、さっき落ちた銀ちゃんの涙の味がした。
目を閉じた瞬間、左の目からもそれは落ちてきた。
本当は苦しめたくはないのかもしれない、この男も。
でも私はひとりなのだ。所詮、ひとりなのだ。 ただ、銀ちゃんだけ、私と一緒にいて欲しかった。
思いがけない決意がわいてきた。それは一途な、いとしさだった。
私は自分がいとしかった。可愛かった。泣きたかった。
空が焼け、海が焼け、何もかも焼け亡びても、私のなかの地獄だけが生き、そして亡びてはいけないのだと思った。
最後の最後の時まで守って、私はそしてそのほかの何ごとも考えられなくなってしまえばいいと思った。
私はわけのわからない私ひとりを抱きしめて、このままずっと泣いている銀ちゃんを見ていたい。


「っ愛して…るんだ」


だから例えばこれが嘘でも、私は一向に構わないのだ。
次へと溢れてくる涙を、どうかもう少し降らせてほしくて。


「……銀ちゃんのこと、好きヨ」
「――っ」
「私も、愛してる」



腕の力をゆっくりと抜いて、銀ちゃんは私に覆い被さった。
いじらしい、私の男の、私だけの泣き顔。
ああ、間違ってしまった。これじゃもう見えない。
けれど私は何の抵抗も示そうとしなかった。


「愛し合うって、どうして……こんなに苦しいネ。 どうしてこんな苦しいこと、繰り返せるアルか? どうして……」


私の言葉に、信じがたい驚きの色が銀ちゃんの顔にあらわれ、涙といとしさでいっぱいになった。
私はもう銀ちゃんに身体をまかせておけばよかった。私の心も、私のからだも、私の全部をうっとりと銀ちゃんにやればよかった。私は泣きむせんだ。
銀ちゃんは私の唇をさがすために大きな手で私の顎をおさえた。瞼の裏に見えた世界は真ッ赤な地獄の色だった。
私は母親の乳房をさがす生まれたての赤ん坊のように、ただただ腕を伸ばして銀ちゃんの後頭部を掴んだ。
とめどなく涙が流れた。涙のために息がつまり、私はむせび、それが何もかもすべて私のせつなさの地獄だった。
銀ちゃんはいつまでも私の肌を手放しかねて愛撫を重ねた。いとしがって放さなかった。
私はもっともっととねだった。
消えない火を見つめながら私は銀ちゃんに縋るように叫んだ。
私は愛されているのだ。
銀ちゃんは私のからだも心も愛しているのだ。
私が何をしても、何をやらかしても、愛しているのだ。
そして殺したいほど、私を憎んでいるのかもしれないのだ。
私はともかく銀ちゃんが私の身体に酔い、愛し溺れることに満足した。
私は満足だった。私はこんなにも満ち足りて泣いたことはないような気がする。私の心は、今まで見たどの火よりも切なさと激しさにいっぱいだった。
けれど私はそれでも、銀ちゃんに可愛がられながら、銀ちゃんでない男の顔を時に思いつくこともあるのだ。
そうしてそいういう思いつきの切なさで、銀ちゃんを邪険にすることもあるのだ。
今日会った金満家の男のことだってふと考えた。
まったくもって不感症になってしまった自分を思いだし、それどころかアレルギーまで引き起こしたみじめさを思い出し、感じすぎる今の地獄に悲鳴をあげた。
銀ちゃんの手が、口が、舌が、私を火の色でいっぱいにした。
ひっくりかえって息もきれぎれに、私を抱きよせて、強くのしかかった。
銀ちゃんだけと言ったら、きっと怒られる。
本当のことだから怒るのだ。
もうどこにも行けないように、例えば四肢の骨が折られるんじゃないかと思うほど、強く。強く、かき抱かれる痛み。
私は何度も銀ちゃんに愛の言葉をささやいた。まるで自分の痛みのように顔をしかめ、銀ちゃんは返した。
抗っても何も変わらない。
ふたりの関係性が今も変わらないように。
そんな些細なことでは、今まで散々垣間見てきた地獄というものを、真正面から否定できるわけがなかった。


私は、いつかは終ってしまうことを知っている。
正しさでは変えられないことも知っている。
それでも私は、まだこの男に純潔を捧げたままで、まだ貞節を失ってもいず、このデタラメに巨大な感情を正面から見つめている。
この地獄は、一人ではあまりにも広い。


私たちは改めて欲情することができるように、何度も何度も相互の堪能を求めあった。
何度も、何度も。
初めからまたすっかりやり直すために終わりを望んでいるのだった。
二人の身体の真ん中には、金の柱がゆっくりと立ちあがっている。その柱は大きくなることを止めなかった。
柱は二人の心臓に達し、首に届き、顎に達した。そして眼球の裏側に入りこみ、大脳回転のあらゆる襞から浸透し、中央近くで炸裂した。私たちの地獄の更なる荒廃のため以外にはどんな力も存在していなかった。
銀ちゃんは自分の放蕩を私に押しつけて、至福の針の先端で時に憩うこともあった。しかしそこからすべりおちた。
金色の電流が私の脳髄のなかで爆発し、四肢五臓六腑に広がっていく。そのからだは痙攣的に震え、ほとんど地震のような揺れだった。
そしてこの瞬間を待っていた銀ちゃんは、ずいぶん前からのたうつように膨張しきっていた一部から、いよいよ圧縮液を放出することができた。私のからだがまだ何度目かの痙攣に震えている間に、銀ちゃんが兇暴な絶頂のうちに私の上に倒れかかていった。
私の乳首はあれほど強く吸っていた銀ちゃんの口は、半ば開いている。喘ぐようだ。
二人の呼吸が弱まり、銀ちゃんは頭を私の首筋に沈めた。私は銀ちゃんをしっかりと両腕に抱きしめたかったのに、もう…
そんな力も残っていなかった。 銀ちゃんは私のこめかみに苦しげに接吻けた。
痛みを覚える首筋と背中を、汗ばんだ手でやさしく愛撫してもくれた。
私の中から抜け出し、それとともに二人の混じりあった体液が流れ出る。
私はすっかり疲弊しきって虚ろうのみだ。



結局、銀ちゃんが私の純潔を確定するような気分的結末。
敗残の快楽にうつつをぬかしているうちに、憎しみの詰まったひとつの箱が開けられた気分だった。
これからは、それも全部ひっくるめて持ち歩かなければならない。
本当は地獄なんて見たくないのだ。
盲して、出来れば苦しまず、幸せなだけの時間を過ごしたい。
嘘でも巻き戻せやしない綺麗ごとばかりだけれど、希む現実はあとどれくらい残っているだろうか。




この安易な発想を笑われても、一時の感情でも、私には何よりも大切だ。
赤い湿疹はいつのまにかキレイさっぱり消えていた。











fin


more
05/25 17:56
[銀魂]




・・・・


-エムブロ-