わが少女、悪魔学







喋る犬セント・シメオンをお供に果敢に世界へと出撃する。






たまに見る、マセた服装をし、年増の色女みたいに、いい感じにふるまう娘たちのような少女ではない。彼女たちは少年の口にくちづけする。まるで八歳か、六歳の娘たちに侵入される、未成年同士の大人の──“ものまね”。
口を半開きにして、ひどく小さなピンク色の猫舌を出して、その舌を、苦悩をかかえている酷くおめでたい男の、傷口のなかに差し入れたりはしない。
銀時のあのコが大人のようにふるまうのは、ときに絶望的で、ひどく感動的で、背徳のきわみで、少し不愉快だ。
少女は赤が好き、と男たちに言う。


「わたし、赤い夢を見るのヨ」


と。


血みどろになるのが好きなのかもしれない…。


──そう、薄赤いバラ色のちいさな唇が見えない皮膜を破るのを、男たちは黙って凝視するしかないのだ。

男たちにも、その赤い夢が伝染しないかとたくらむ少女は、迸る出血に、気まぐれに股を開くヒーリングテロリスト。

つねに隣をお供する巨大な助手は、バター犬? 地獄の番犬ケルベロス?
そうしてブラッディ・ナースを気どる少女の腕章に、あいかわらずサド侯爵の横顔さえ附けんとする男たちは、間の抜けたたじろぎを浮かべるだけだ。
けれど、その数秒間のためらいが男たちには高くついた。
少女の専横があいかわらずそこにあり、見て見ぬフリの世界が、その顔に、彼らの困惑の何段階かを読みとって、せせら笑うからだ。
だから真っ赤な毒舌をべえーっと吐きだし、時宜よく男に援助の手を差しのべる少女は、まるでこの世の悲惨さのなかに、投げ出された彼らを、明白で確実な唯一の価値とはどんな些細なものでもとにかく自ら感じとることができる快楽だと確認する。それも、無意識に。


立ち向かう世界の無個性的な冷たさと、忘我の炎との奇妙な同盟。


それは、愛と世界の唯一真の目的である懐疑的な激発に到達すべく、できるだけ速くのりこえなければならない障害に変えてしまう──。


その絶望的なまでに道徳観念の気薄な性格が、ある意味快楽を道徳的な禁忌の霧から出現させた。
男たちは少しずつ、彼女の気をひくあわれな傷口がもたらすものが、快楽よりも、むしろ征服のほうなのだと理解する。
先頭に立つのは快楽への欲望ではなく、勝利への欲望なのだと。
最初は楽しげで毒々しい戯れとして現われるものが、それと知れないまま、不可避的に生死を賭けた後遺症に変ずるのだ。──だからこそ…


「…─ぎんちゃん」


いつしか男たちは、そんな少女のある一言にも、特別な響きを嗅ぎ取るまでに至る。
仔どもの緻密な、ミルク色をした、いつでも水で拭いたあとのように湿り気のある真っ白な皮膚や、憎たらしいほど可哀らしい小さな円い肩や、背中、赤ん坊のような手足の肉づきも。
それらは彼らが今まで見たことのない、ミルク色の異様に可哀らしい未知なる慄きであることに変わりはない。
仔どもが男の名を呼ぶときの、可愛らしい声の中には甘えと征服とが濃く澱んでいて、その鈴のようなりんりんと奏でる声の中には、『自分のもの』、というような一種のアクセントが強く響いているのだ。
彼女が知らずにやっている無心な甘えが、その保護者の男を思う存分に、捕虜にしているのを、彼らは無関心を装った目の端に、ことごとく細かに捉えている。


それだから彼らに追いつめられ、追放され、軽蔑されながら一生を終えるだろう男こそ、発せられたどんな言葉も深淵に聞こえた。

それが快楽の楽園だからだろうか。
それとも、男は、そうと気づかないまま、少女を手もとに置いた日から、そうやって響きわたる言葉の拡大のなかで生きているんだろうか。

仔どもの贔屓を正しい懲罰だと見て、男を疫病神のように忌みきらう狂信家に対して立ちあがるべく、寛容な精神の持ち主にはなりえない。
少女はあいかわらず男たちへの専横を表し、彼らの傷口をすすってもなんの危険もないことを無意識に示そうとしている。
よき手本を見せるどんな機会も見逃しはしないと、男も彼らを軽蔑しかえす。
公衆の面前で、あるいはこの病気は正常な接触によって感染し、とりわけ猛威をふるうことになるのもわかっていながら、彼は彼らに勝ち誇った笑みさえ贈る。


けれどその男こそが、不意をつかれるのだ。


何人もの傷口に血を垂らした世間が見守るなか、少女が男の口端に、まだチョコレートムースでいっぱいのちいさな唇を近づけたその日。
きびしくも彼女の取り分以外を、ひとりじめする彼の頬にくっついた───真っ赤な真っ赤なイチゴソースまで求めた甘い猫舌の結末は、ただちに、テロリストとなって男も少女の単なる患者とみなされた。
いったん瞳に灼きつけられ、記憶のフィルムにおさめられたら、仔どもの不埒な舌は不滅になるだろうと理解できた。
彼は動揺を隠せず硬直し、自分もやはり彼女に仕返すべきかどうか知ろうと、必死に考える。
その熟考の第一段階で、彼はその誘惑をしりぞける。心の奥底では、いったい何が正しい対応か、この接触でもってもはや拡大しないという完全な確信がなかったからだ。
第二段階で、その戯れの映像は危険をおかすだけの値打ちがあると判断し、自分の用心深さを乗りこえようと決意した。
けれど第三段階になって、少女のムースまみれの頬に向かって傾こうとする彼を、ひとつの考えが押しとどめた。
今さら自分の栄誉にことさら敗北を増やしたところで、けっして対等になれるわけじゃない、それどころか、自分は奴らにさえ従僕の地位におとしめられるだろう。
そこで彼は、ぐったりと座り直して、カフェの席で間の抜けた薄笑いを浮かべるだけにした。
そして、その数秒間のためらいこそが、その他の男たちとまったく同じく高くついたのだ。


男たちは、陰険にも、彼の信用を失わせてやりたいと思い、自分たちの傷口にそって少女に連帯のしるしをわからせようとした。
どんな強固な信仰さえ頭をたれる武器をもって脚色してやろうとした。
各人がモラルという名の聖杯を手に、哄笑を押し殺しての武器に、先頭に並んで立とうと名指しで男に呼びかけた。
男は選ばなければならなかった。
聖杯をもって少女の侍者として行進に参加するか、それとも逃げて、非難に身をさらすか。
それは罠だったので、意表をつくと同時に大胆な行為によって、その罠から逃げなければならなかった。

彼はただちに、仔どもの舌が反乱を起こしている傷口をふさぎ、そこで圧制に苦しむ皮膜の処置を、声高に、きっぱりと叫ぼうと決意してもよかった。

残念ながら、傷口はずっと彼の弱点で、彼にとって世界は、少女の世界とそうでない世界だけにすでに分かれていたのだ。
非少女の世界にはわけのわからない理屈がいくつもあるので、彼はいつも取り違えてしまう。
その結果、彼は、膿みだす傷口が腐り落ちるような、うんざりするほどユートピア的な理想に降りたってしまった。


ひとは苦しみを遠ざけられれば、そのぶんだけ幸福になる。
要は苦しまない者が快楽を覚えるのだ。
だから快楽主義の根本概念は苦しみといえるが、快楽は時に、幸福よりも不幸をもたらかすから、基本ひとの本性は用心深く、慎ましい快楽しかすすめない。
けれど、触発される男たちには、陰鬱な内奥がある。
ユートピア的な理想が実現されるのを疑っている。
彼らは全世界に向かって挑戦する。
だれが自分より勇敢で、正直で、犠牲心があり、真正な態度をとることができるのか。(というわけだ。)
そして彼らは、相手を倫理的に劣る状況に置くことができるような、あらゆる攻め手を操りだす。
自分の我慾を光り輝かせるために舞台を占領したがる。
舞台を占領するには、舞台から他人たちを追いやらねばならない。
これには当然、モラルなどもはや関係ない。
誰かひとりが抜け駆けしようとする可能性があると、あらゆる裏取引をこれみよがしに拒否し、裏取引を虚偽、不誠実、偽善、下劣だと非難する。
聖杯をかかげて竦み、怯えながら、みずからの提案を公然と提示し──、


それも控え目にではなくて、公然と、そしてもし可能なら不意を襲うカタチで。


こんなふうに不意を襲われる男たちには、結局二つの可能性しかないのだ。
それを拒否し、仔どもの敵として少女の評判をおとすか、ひどく困惑しながら、あきらめるとうなだれるかのどちらかだったが、その瞳は意地悪くその困惑を赤裸々に見せるにちがいない。
彼は自分の沈黙がひどく恥ずかしくなり、彼の口から聞きたいと思われていたこと、さらにそれ以上のことまでしゃべった。
すると、彼に対して猫舌をふるった仔どもはこう言い放った。


「やっと言ったネ。でもちょっと、遅すぎアル……」


たとえば、独裁的な体制においては公的に意見を表明するのが危険になる状況が生じることがある。
だが、少女は他の者たちよりもいくらか危険がすくない。
なぜなら仔どもは、プロジェクターの光のしたを歩き回り、どこからでも見られているので、世間の注意によって保護されているから。
しかし少女には匿名のファンたちがいて、彼らは彼女の華麗で軽率な呼びかけに従い、嘆願書に署名したり、禁止された集会に出席したり、街頭でデモをしたりする。
この者達は容赦なく取り締まられるが、彼らの不幸を引き起こした自分を責めるといった、感傷的な誘惑にはけっして屈しない。






わが少女、悪魔学







何人もの患者たちが見守るなか、仔どもが男の口端に、まだチョコレートムースでいっぱいのちいさな唇を近づけるのを待つ。
強欲にも彼の頬にくっついたイチゴクリームまで求める甘い舌先に、男たちは不意をつかれる。






fin


more
01/29 18:44
[銀魂]




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-エムブロ-