失った恋のさらし首 -3-




あれからあまり会話も続かず、やがて神楽は土方に礼を言って席を立った。
自分と銀時のことを何も聞かず、それでも協力してくれる彼には少なからず心苦しくもあった。だって、悪いと思っている。だけど警察である彼にだけは、話してなはらないことだと思うから、神楽は何も喋らない。違う、喋れないのだ…。
神楽の背中を追ってくる戸惑いがちな視線に、心の中でもう一度謝りながら、一度振り返り手を振ってファミレスを出た。


「わ、さむ……」


一歩、外へ出たとたん思わず小さく声が出る。あわてて脇に抱えていたボレロを着込んだ。
気がつけば陽光は西へ傾き、風もかなり冷たくなっている。
その中を、神楽は厄介になっている新八の家へと向かって歩き出した。


───銀ちゃん…。


なつかしい名前。その名を聞くのも、口にするのも、数年ぶりのような気がしてくる。
胸の中で繰り返すだけで、泣いてしまいそうになる。
でも、良かったと思う。銀時が思ったより近くにいたんだと知って、ホッとする。
土方は、彼を見つけた街が何処なのか、はっきり教えてはくれなかったけれど、江戸の近くにいる事は間違いないだろう。
神楽が厄介になっている新八の家からだって、数時間もかからずに行けるに違いない。
そんな近くに、居たのに…。
銀時が連絡してくれなかったのは、当然といえば当然だろう。
二年前、銀時は自分から、万事屋を飛び出して行ったのだから…。


交通量の多い幹線道路から住宅地へ向かう横道へ入っていく。
角を一つ曲がるたびに、自動車の騒音も商店街のにぎやかさも遠のいていった。
すれ違う人々はみな、寒そうに背中を丸めて家路を急いでいる。
こんな寒い風のなか…──銀ちゃんは、いったいどうしてるんだろう。
今もそのコンビニで働いているんだろうか。たった一人で…。それとも、一人じゃないんだろうか。
もしかしたら、誰かと一緒に暮らしているんだろうか。
たとえば、銀ちゃんの好きな人と……。


ふと思いついた想像は、冷たく鋭く、神楽の心臓を突き刺した。


やがて薄藍色に沈む家並みの中に、比較的古い屋根瓦が見えてくる。
広い屋敷の一角に神楽の個室はある。銀時と暮らしていた時のような、狭い押入れの中ではない。ちゃんとした六畳間。
神楽は、立派に構える玄関の前で立ち止まり、中に広がる闇色の建物を見上げた。
新八と彼の姉にあたるお妙、三人だけで暮らす、広い広い大きなお屋敷。
この時間なら、お妙は仕事に行った後だし、新八はまだバイト中だ。
『おかえり、神楽』 そう言ってだらしない顔を見せてくれた人は、ここにはいない…。


二年前までは、神楽の家はこの屋敷ではなかった。
ここから少し離れた街にある、下でスナックを営む気風のいい大家に借りた二階の家で、共に暮らしていたのだ。
その家に一緒にいた者も二人きりではなかった。誰ひとりとして血の繋がりなどなかったけれど、それでも神楽にとってはかけがえのない人達… かけがえのない家族だった。
神楽と新八、定春、そして───…銀ちゃん。
家族四人で、みんなみんな幸せだった。
けれどその時間は、あまりにも短かった。













新しい絆。

新しい棲家。新しいペット。新しい兄のような、父親のような人…。
彼らと初めて出会ったのは、三年前のことだ。


神楽を生んでくれたマミーは、神楽が九歳になる前に、病気で死んでしまった。
パピーは宇宙一の称号に相応しく(そういう言訳のもと)、年がら年中エイリアンの駆除に奔走していたし、唯一の兄は、彼女が幼い頃に家を飛び出して二度と戻ってはこなかった。あのじめじめとした暗い星で、神楽はいつもひとりだった。それでも、マミーが死んだ後もパピーの言いつけを守って、ずっとひとりっきりで孤独に耐えてこれたのは、4歳上の兄がまた自分の元に戻って来てくれると、心の何処かで信じていたからかもしれない。
ただ、本当のことをいえば、神楽は兄のことをあまり良く覚えていなかった。思い出せる兄の笑顔は全部、記憶の中でさえ霞みがかっているものばかりだったのだ。
はっきりとした記憶として残っているのは、パピーの腕がくるくると宙を飛んでいき、その撒き散らされる鮮血と、真っ赤に彩られた兄の全身と、血溜りに沈む兄と、獣のような目をしたパピー、自分と同じ鮮やかな青をした、兄の狂った瞳だけ。
抱きしめてもらったあたたかさも、神楽が赤子の頃に彼が歌ってくれたという子守唄も、パピーが話してくれる言葉の上でしか知らない。怒られたことは、あまりなかったと思う。やんちゃで泣き虫だった自分を、いつも影ながら見守ってくれていたようにも思う。でも、突如訪れた崩壊の余興は、幼い心にあまりにも強烈すぎた。それまでの記憶が、兄に関する記憶が、全て塗り替えられてしまったといってもよかった。
兄が出て行くきっかけとなった事件さえ、何が何だかわからないうちに終結してしまったのだ。
たとえ神楽が、二人の前に飛び出して、必死に止めた結果が、彼等の命を救ったのだったとしても。曖昧に残った記憶では、今でさえあれで良かったのだとはどうしても思えない。もっと他に、あんな事になる前に、兄を止める結果が、自分にはその手段があったのではないかと、思わずにはいられない…。


兄との突如の別れも、まだ幼かったあの頃の神楽には、それが『決別』を意味するものだということすらわからなかった。
特にあの頃は、容態が悪化した母は入院もできず、ベッドで大量に吐血を繰り返し、兄は半殺しの重体にも関わらず家には一歩も入らなかった。
腕が吹っ飛んだ父はというと、片腕のままそのまま何週間も失踪してしまう、という衝撃的な結果ばかりが重大視されていただけに、兄の家出を神楽が重要視することはなかった。いつものことだと思っていたし、何度か近所で見かけたこともあり、その延長上にもう二度と会えなくなるなんてことは考えたくなかった。母の容態が酷すぎたのもある。帰ってこない二人に頼るよりまず自分がしっかりしなければならなかった。泣いている暇などなかった。ただ、事件が起こる前からすでに、本当は徐々に歯車が狂いはじめていた予感だけはあって。それが、ひどく不安で怖かったことだけは覚えている。
ようやく彼の不在を、その痕跡の喪失を、自覚し受け入れたのは──兄が神楽と母に唾を吐きかけるように嗤い、故郷を捨て去り、星を出て、一向に逃げまわるだけだった父もまた兄を見捨て、あげくに家にも帰らず、母が以前にも増して弱っていく……そんな生活を強いられ続けたある日のことだ。
2,3の捨て台詞だけでいきなり自分の前から消えた兄が、もう二度と自分たち家族の元には戻っては来ないのだと初めて悟ることが出来た。
その時、神楽の心の底に燻っていた悲しみが、爆発した。突如堤防が決壊するようにわんわん泣いた。それでも弱った母にだけは、自分の泣きじゃくる姿を見られたくなかった。降りしきる雨の中、数時間泣いては平気な顔して家に戻る。その繰り返しも、しばらくしたら慣れて退屈で孤独な日常に戻り、涙もいつしか枯れ果ててしまった。
混乱する記憶の中、大好きだった人。大切だった人。自分の傍にいて当たり前だった人たち。。。
無条件に信じていたのだと突きつけられた人たちに、突如裏切られる、壮絶な痛みを教えられた。
それまでの時間が、たくさん貰った優しさも、愛情も、自分自身までもがすべて否定される耐え難いあの痛み…。


母が死んだあとは、長い間ほとんど一人ぼっちで淋しかった神楽に、江戸で偶然にも出逢った人達は、形以上のものを、新しい絆を与えてくれた。彼女がまだ十三歳───になりたての秋のことだ。
二人は万事屋という何でも屋で生計を立てており、神楽より先に働いていた新八は、地味だけど料理が上手で、いつでも優しい笑顔を絶やさないお人好しだった。神楽より三っつも上で、一応年上のお兄さんでもあった。
一見器用そうにはみえないのに、女顔負けの主婦力を発揮して作りだすごはんや手際のいい家事。
言葉には出さないけれど、神楽の存在を見守り、時には手を握り、一緒に歩き、励ましてくれる優しい存在。
言葉に出す事はなかったけれど、神楽はすぐ新八が好きになったし、新八も神楽を好きになってくれた。


「──家族ってね、血の繋がりだけじゃないと思うんだ。全然血の繋がらない男の人と女の人が結婚して、夫婦になって、家族になるでしょ? そんなふうに、お互いを大切だと思ってる人たちが集まって、寄り添って暮らしていくのが、家族だって僕は思うんだ」
「新八は、私と銀ちゃんが大切アルか?」
「もちろんだよ」
「姐御と同じくらい?」
「同じくらい。だから神楽ちゃんと銀さんは、僕の家族なんだよ?」


そう言って笑った新八。
そして……出逢った瞬間から、新八以上に神楽の興味を惹いて離さなかった、やさしい人。銀ちゃん…。


「まぁ・・・なんだ、自分のことは自分でやれよ。これは絶対条件だからな」


この年で根無し草だった神楽に、何も聞かず棲家を与えてくれた人は、どこかパピーのような包容力もあった。パピーや本当の兄よりもガタイがよく背も高かった。
トレードマークの白い着流しに身を包み、少し面倒臭そうに、それでも些かぎこちなく、でも精一杯の優しさで、神楽に片手を差し出してくれた人。


「てことで、俺に迷惑かけんなよ。神楽。」


おずおずと握手に応じ、触れたその手は、とても大きく肉厚で、節くれだっていて。さらりと乾いた熱っぽさを持っていた。
少しうつむくようにして神楽を見つめてくれたあの瞳を、神楽は決して忘れない。死んだ魚のようだなんていわれるが、呑み込まれそうに深い、ふしぎと優しい色の瞳を。



そして住み着いた新しい住み心地のいい家。
そこで暮らした日々は、とても幸せだった。
新八がいつも手入れをして、清潔に保たれている部屋の数々。押し入れだったけれど神楽だけの部屋もあった。
下に住んでいるお登勢やキャサリンも、しょっちゅう神楽にお節介を焼いてくれた。お古の着物をくれたり、お小遣いをこっそりくれたり…と、年頃のくせにあまり女の子っぽくない神楽に、まるで母親のような忠告までしてくれた。
それがくすぐったくて、恥ずかしくて、素直になれないことも多かったけど、内心ではとても嬉しかった。
何よりも、神楽の世界の中心だった銀時。
彼がいるだけでそれだけで日々が輝いてみえた。
大好きだった。
糖尿一歩手前の極度の甘党だとか、捻くれた性格まんまの天パだとか、その年で定職にもつかない税金未納のプーだとか、金もないのにギャンブル好きで酒好きで人間失格だと、周囲から散々言われようとも、神楽は彼以上に素敵な生きものを見た事がなかった。
いつの間にか、「うちの神楽ちゃんは〜…」なんて口癖のように言う銀時に、素直に甘える事ができた自分。
そんな甘ったれな自分を、いつも、「しょうがねぇな」と笑って受け入れてくれた人。
家族がいないと言った彼は、何事も要領よくこなす性質なのか、お菓子作りなどそれこそ職人技のようだった。
神楽がせがむと、ポケットマネーが余っている時などは、いつも彼女の知らない珍しいお菓子を、「新八には内緒だぞ」と、プロ顔負けのテクニックで作ってくれた。
定春を拾ってきた時だって、初めは絶対ダメだと怒りまくっていたのに、結局は飼うことを許してくれた。
そう… 彼は、いつも、最終的には神楽のわがままを聞いてくれた。


「神楽ちゃんと一緒に住んでる人って、お兄さん? いいなぁ、年の離れたお兄さんがいてー。ちょっとニートっぽいけど。でも私、一人っ子で兄弟とかいないから、すっごく羨ましい!」
「あたしんちなんかさ、弟でさァ。も〜うるさいし手間かかるし、すげーイヤ! 私もお兄ちゃんが欲しかったなぁ!」


遅くなると、遊んでいた公園まで迎えに来てくれることの多い銀時や新八に、そんな憧れの声が降りかかることもあった。


「だけどさー、ほんとは血の繋がった兄妹じゃないんでしょ? ニセモノじゃん」


やきもちから、そんな意地の悪いことを言う子がいても、


「じゃあ同棲ってこと? キャー!!いいんじゃんいいじゃん! ほんとに血の繋がった兄妹じゃ結婚とかできないもんね!」


神楽が何か言う前に、知ったかぶりした他の子が得意気に言い返す。


「わ、私、そんなこと考えてないアル!だって銀ちゃんは──…」


神楽はあわてて首を横に振り、それを否定したけれど。
でも──本当にそうなればいい、と、心のどこかで思っていた。
そうすれば、銀時といつまでも一緒にいられる。大好きな銀時と。
そう思うだけで、胸の中が沸騰するように熱くなった。
じっとうずくまって体を押さえていなければ、逆に手も足も、神楽の考えなんか考えなしに、勝手に動き出してしまいそうだった。
たとえば、新八が説明してくれたように、血の繋がらない男のヒトと女のヒトが、結婚して夫婦になって、家族になる。
銀ちゃんと、そんなふうになれるなら……。
みんな一緒。あの家で、万事屋トリオで、ずっと一緒。
神楽が願ったことは、ただそれだけだ。そしてそれは、銀時がいてくれる限り、絶対失われることはないと思っていたのだ。
だって馬鹿みたいにそう信じこめるほど、三人は一心同体で。要である彼はあまりにも強く、優しく、あたたかかったから。
けれど……。
その幸福は、たった一年あまりしか続かなかった。


神楽が十四歳になった冬の始まり。
突然の交通事故で、一台の大型トラックが定春の命を簡単に奪い取ってしまった。
知らせにきた新八と、神楽が公園から病院へ駆けつけた時にはもう、定春は白い布にくるまれて、もの言わぬ姿になっていた。そっと触れてみた鼻先は、まだ湿ってやわらかかったのに、すでに無機物の冷たさだった。
神楽がどんなに呼んでも、泣きながら揺さぶっても、定春は決して目を覚ましてくれなかったのだ。


「っ…お、起きるネっ定春…!! …ねぇッ、起きてヨっ…ッ! 定春っっ…定春ッ!定春ぅぅッ…!!」
「……神楽」


泣きじゃくりながら定春にしがみつく神楽を、後ろからそっと強い手が抱きとめる。
振り返ると、銀時の顔があった。
悲壮な表情の中、ぐっと引き結んだ唇で、何かを懸命にこらえている。


「銀ちゃ……」


銀時はそのまま、神楽を胸に包み込んだ。
抱きしめてくれる、強い、優しい腕。
本当は、銀ちゃんだって私と同じぐらい悲しいのに。本当は、
泣きたいはずなのに───


「銀ちゃん──!」


神楽は自分から手を伸ばし、精一杯の力で銀時を抱きしめた。
ほかに、どうしていいかわからなかった。
ただ、こうして、ここに自分がいることで、銀時の優しい心が、痛みが、少しでも和らぐのなら。
銀時は唇が切れるほど強く噛みしめ、喉の奥からせりあがる嗚咽を必死に耐えている。
神楽を抱く腕が、小刻みに震え続ける。


───何でもしてあげる。


銀ちゃんのためにできること、私がみんなしてあげるから。
だから銀ちゃん。我慢しないで。
泣きたいなら、泣いてしまっていいから。


けれど神楽の想いは、一つとして言葉にならなかった。
銀時にもきっと、届いてはいなかっただろう。
神楽はただ、赤ん坊のように、銀時の腕にしがみついていることしかできなかった。
それが、神楽が望んでいた他愛ない幸福の絵が、さらさらと足元から崩れていってしまった日だった。








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01/19 17:50
[銀魂]




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