確かに恋だった







たぶん、神楽と初めて出会った時に俺の中の何かが震えた。
それまでも数え切れないくらい多くの女たちを見てきて、その中の何人かと関係を持ってきたが。 もちろんそういった意味で、単なるカラダを繋げる性のはけ口としてアイツを見てきたのではなく、一生徒としての人格を含めてそれを特別に想い、いつのまにやら愛情を───そうだ、それを愛情と呼んでいいのなら───傾けてきた。
だからこそ・・・、この年でプラトニックな執着に苦悩を費やしたのと同じくらい、それ以上に神楽と言葉を交わす歓びを、そして心を交わす一瞬を大切に想ってきた。
でもそれは、彼女たちにとっては、その年齢の、はるかに年上の男に対するあるべき信頼、その末に辿り着いた思慕のような博愛に近い想いに違いなかった。異性に対する特別な感情では…なかった、ように思う。
悔しいことに、それをはっきりと自覚していたぶん、時おりみせる曖昧な少女の態度がいかに残酷か、いかに不平等かと唇を噛みしめることになる。
俺自身も神楽に対する特別な思い入れと、彼女たちへの個人としての役職を含んだ父性にも似た小さくはない責任感を抱いてきた。
顔には出さないが、彼女たちがいつしかこの学び舎を離れる時、例えば娘を嫁に出すような気持ちで送りだす (いくぶん大袈裟だが)。
淋しさを感じることはあっても、同じくらいの喜びが心に満ちるからだ。


だが、神楽に対しては、年齢や時代を超えたただの男としての感情が生まれ、心が妙なうずきでいっぱいになった。
正直にいえば、おびえた。
それも年甲斐もなく、「恋」 と呼ぶべきものだったと知って…。 それまではある程度の距離を保ち、冷静に、合理的に、そして責任感を持って接してきた10代の女生徒に対して、初めて 「恋」 を知ったローティーンのように、余裕のない不安で狭量なオスに成り下がってしまったのだ。


『……服部先生は、教え方ヘタだったのか?』


神楽に、 『先生に…英語も教えてもらいたかったナ…』
とむっつり言われた時も、俺は気のきいたことも口にできずに、ただ胸の締めつけを悟られないようにして、そう返すのがせい一杯だった。
俺が神楽に異常なまでに駆られた理由のひとつは、神楽が水を吸い込むように誰の色にでもすぐ染まってしまいそうだったからだ。
無邪気というよりも、もっとずっと無色透明な水のように、神楽は色んなものに無防備で、とてもリュクスな危うさを持っている。
それでいて何者にもぶれない何かを、ふてぶてしいまでの何かを、誰にも負けない不適さで持っている。
少し世間知らずなお嬢さまか? …といったような育ちの高飛車さも、困ってしまう。
細かい詳細情報や、個人情報に繋がるようなことまで、SNSの自己アピールで曝しているのを見た時が、神楽に最初の危うさを感じた瞬間かもしれない…。最近変なメールがいっぱい届くのだと、職員室に日誌を持って来た神楽に、声をかけられたのが、運のつきだった。
会話の流れで、その時鳴ったスマホから思い出したように俺に相談してきて、よ〜く聞き出してみると、まさに元凶は神楽だったという話だ…。 そもそも、その危険性を真剣に教えたときでさえ、ニヤリとした返事とともに、 『でも、デートの申し出もいっぱいあったのヨ?』
…なんて、いきなりその内容を自慢する始末…。
油断できない馬鹿な無防備さがあった。
しかしこれをきっかけに、神楽とのスマホでのやりとりが始まった。とにかく意識しないように努めていたのにどんどん、厄介ごとが膨らんでいく…。
最初は今までと変わらない──…いや、最初っからただの生徒の一人としては見ていられなかった。
だから・・・


『パピーがネー、誕生日に〇〇〇〇のバッグ買ってくれたんだヨ? 先生、知ってる? 王冠がついててすっごいかわいーアル♪ もー見てるだけでも幸せ♪』


でも、ほんとうはお揃いのポーチも欲しかったのだと、内緒ヨ? なんて笑う神楽に、聞き捨てならない単語を問いつめると───


『パピー? パピーはパピーだヨ。 わたしのお父さんアル』


やーだ、先生、援交だって思ったアルか?
それこそケラケラ笑われて、、、もう───どうしようもない・・・。


『先生には、〇〇〇〇なんて高くて買えないアル〜』


そんな、バカにして調子づく態度にカチンときて。じゃあいくらなんだと聞き出しても、そこまで高くもないから拍子抜けする。
最低でも十何万もする海外の高級ブランドのバックを平気で持ち歩くような女子高生がいる昨今、少し割高とはいえ、父親からのプレゼントに大喜びしているほほえましさは、それを「幸せ」と言いきってしまう育ちの良さがにじみ出て、思わず頭を撫でてやりたくなるぐらい苦しかった。
そんな風に神楽のことを知るにつれて、その深みにハマっていった。




初めて、神楽を目にした時のいちシーンを今でも覚えている。 サラリ…と鳴った涼やかな音が、アイツの髪飾りから発されたものだと知ったのは、後日、はじめて間近で目を見て挨拶された時だった。
そんな神楽を俺は今日、当然のように自分のワンルームマンションへと連れていく。
部屋に入るやいなや、そわそわと無邪気にも歩きまわる神楽を好きにさせ、探検とばかりにそこらじゅう自由に見てまわる神楽をとうとう座らせる。 しばらく俺自身、生徒があがりこむ自分の部屋に茫然としていたのだが、 冷蔵庫の中まで覗こうとした小娘に、そろそろ勘弁してくれと苦笑った。
冷えたお茶のペットボトルを一本手渡し、その手を引きかけて──躊躇って。こっちだとローテーブルの辺りを指さす。
向かい合うのもどうかと思った。時計の針が三時になるみたいにお互いフローリングに腰をおろせば、神楽はしばらく首を捻ると、まだ部屋全体をうかがっている。
余裕がありすぎるわけでもなく。 狭すぎるわけでもない。
背広を脱いでその辺に置き、ネクタイもゆるめて取り払った。 暑いのでクーラーをつけ、襟のボタンを一つ、二つ外していると…、じっとこっちを見る視線に気づく。
そろえた桜色の前髪が、長いまつ毛をさらに重くしているような・・・見開いた、視線……。
俺のすぐ後ろには、グレーのシーツで整えたベッドがある。


子ども、だ。 そして俺だって、教師だ。
それを俺はしっかりと自覚している。 おそろしいほどに。


先ほどから、皮膚はまるで自分のものじゃないみたいに、感覚がどんどん蝕まれていくような掻痒感。
体が内側からむずむずしくじるような、妙な拘泥。
こんなに──…緊張しているのはいったい何年ぶりだろう。
けれど、たとえばコレが正しく緊張なのだとして、でも俺は面ほどにもそれを出さず、ワイシャツに覆われた皮膚の浮遊感さえ押さえつけている。
襟をくつろげる指先の末端は、かわいげなくぶれない。
少し汗ばみ、異様に喉が渇くだけだ。


白い夏服のセーラー服から伸びるか細い腕──…その小さな手の近くに放置されたペットボトルを取って、俺は頷いた。
──なにがって?
そういえばグラスを持ってくるのを忘れたなと思い、でもそのまま口をつける。

のろりと動いた瞬きにも似た瞬間に、神楽が 「ぁ…」 と小さく声を出すのを、じっと見返しながら。
俺は半分ほど飲み干して、にやりと息をつく。


「飲むか?」


手渡すと、神楽はむっと俺の手からそれを取りあげ、豪快に残りぜんぶを飲み干した。


「っ、関節ちゅーアルっ!」


見たか! とその度胸を誇るような言い分に、俺はもう思いっきり吹き出してしまった。
堪えきれるもんじゃない。


まったく・・・、先が思いやられるにも程があるだろう?








fin


more
08/26 17:45
[銀魂]




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