黄金の百合







一日のはじまりの、まっさらな光ではなくて、夜になる直前の、頼りない黄金色の光、その美しさに目を見張る。




すごい。一緒に暮らしはじめた男たちの、この見事な駄目っぷりはすごい。
従業員1は、たいそう所帯じみた主夫っぷりを発揮しているが、しかししょせん眼鏡だし、雇い主の銀髪天パは、日がな一日じゅうジャンプに夢中になり、仕事はせず、出かけたといえば賭け事で財布の中身をすり減らし、ほとんどプー太郎のような生活を送っている。
家賃滞納は当たり前、その日の食う飯すらも事欠き、大家にこしらえた借金は土下座だのみで待ってもらい、ぐだぐだ文句を言ってばかりいる。
それなのに数少ない仕事で金が入れば、三軒、四軒とはしごして飲み(しかもツケ)、従業員1と2の給料もはらわない。
しかも異常な甘党で、医者からドクターストップがかかるほどの糖尿寸前。
死んだ魚のような目をして、ぼさぼさくるくる頭の、口の悪い足の臭いダメダメな大人。
彼らに私が感じるのは、悲哀でなくて滑稽さである。


生活するお金がなくなり、ガスと水道を止められて家にひきこもり。それでもだれも働くことなく(というか仕事がこない)、生活はますます困窮し、眼鏡が預金通帳片手に天パに……


「どうしよう…明日からは雑草でも取りにいくしか・・・」


とひっそり罵っているのを訊いたとき、私は耳をふさいでギャーと叫びだしたくなる。せつなすぎるダロ。自分たちが生きていく明日は常にぎりぎり。本当にない。野タレ死ぬか、運よく仕事が入ってくるのを待つか。
かろうじてある道がもうひとつないではないが、今それをするとこの屋根のある場所からさえ追い出されかねない。
仕事を探しにいくか雑草を取りにいくかの選択に、とくにここに住んでる私とこの男、二人の生活がのしかかってくるのである。しかも、そのどちらも嫌だと言ってこの天パはちいさな子供のように騒ぎ出す。二十代も半ばを過ぎているのに、この男が、現実逃避するかのごとくわずかな身銭しか持たないマダオの懐をたよって博打に明日を賭けるにいたっては、せつなさも頂点を超え、笑い出したくなる。
この今の生活に私がもっとも感情移入するのが、この瞬間なのだ。
エンゲル係数を底上げしていると、私が此処に来たことで定期的に繰り返されるお決まりの愚痴も、ここに来る前の私からすれば、それでも真っ当なんだと思わざるをえないのが可笑しい。
第三者の目線になると、この仲間は非常に底辺の底辺に見える。
お願だから、だれか、働いてくれ、たのんます、と畳に頭をすりつけてお願いしたくなる。
まあ、彼らから見れば私自体がもう貧乏神みたいなもので、空のオヒツを前に土下座されかねないものだが。
しかし不思議なことに、そんな一日一日を終えて私は思うのだ。


なんて明るい毎日なんだろうと。


八方塞がりのせつなさ、ちらつくダンボール生活、ぐるぐる鳴るお腹、次々起こる騒動、巻き込まれる災厄、引っ掻き回す事件、死にそうな大怪我、それにもかかわらずこの場所はあたたかい。明るい。
この地球という星にかぎらず、世のなかは、制度も過去の混乱も、存在したことすら忘れようとしている。
生きることが壮絶であると、世のなかは忘れさせようとし、私たちは気づかないふりをする。
そんな今の私にこの場所はささやき続ける。
生きていく、ということがどれほど奇跡的なことなのか。
賞賛ではない、私にとってはほとんど驚愕だ。
この生活が、あるいはこの男たちがいる万事屋というこの場所が、それでも慕われ続けているのは、そうしていつ声がかかってもちっとも面倒くさく感じられないのは、そのあたりに理由があると私は思う。
懸命に私が忘れようとしていることをいともたやすく思い出させてくれるから。
思い出させ、私が日常にではなく、日常が私たちに共感してくれるから。
糖尿の死んだ魚の目をした男は、公園の水と雑草だけが入った腹をかかえてトイレに引きこもる。
そんなのお先真っ暗だ、と鉄の腹をもつ私でさえ不調を訴えながら、しかし不思議と、この家のなかのせつなさが姿を変えないまま不可思議な希望に転じるのを感じる。一日のはじまりの、まっさらな光ではなくて、夜になる直前の、頼りない黄金色の光、その美しさに目を見はる。




黄金の百合










fin


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08/04 01:12
[銀魂]




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