モルモットと愛







水兵服が好き 水浴びが好き 横顔が好き。








神楽は本来、狭いところが好きだったりする。


銀時は神楽がこの家に転がり込んできた時に与えた、押入れを、実は少女がひっそり酷く歓んだことを知っていた。その時の隠れた様子がリスみたいにあまりに可愛かったので、それで神楽の気持ちをついつい汲んでやることが増え、定春まで飼ってしまった。
神楽の気持ちを惹こうとして、日常的に好物の餌(酢昆布や卵)を与えたりもしだしたのだ。
ちょっとした小銭のこづかいも、かなり頻繁に渡していたはずである。


今では、愛の証明のために、神楽に高価な物を与えたり誂えたりまでしているが、もともと銀時は、神楽には甘かった。新八なぞにはお見通しだったが、甘やかしては駄目だと思いつつ、スイッチが入ってしまうともう駄目だった。とことん甘かった。神楽が小動物のように無心に銀時の愛情を欲しがるから、何をしても怒れないのも、きっとその辺のところからくるのだ。


小動物の習性は本当にかわいいもので、何時間観察していても飽きないものである。


神楽は白いコットンの手触りも大好きだった。干した布団も好きで、陽の匂いいっぱいのそれをよくクンカクンカしている。獣の仔のように上機嫌でごろんごろんしている。
だから押入れに、太陽の匂いいっぱいの、白木綿の厚い布団を敷き込んで、その厚い枠の中に嵌りこんでいること、それは神楽の生来大好きなことだった。

ふと、銀時が神楽がいないと思って探しだすと、もとの塒(ねぐら)である押入れにちょこんと隠れていたり、体を丸めてすぴすぴ寝入っていたりする。


「そういうのは、体内記憶が強く残ってるからなんですよ」


と、新八が面白そうに説明していたことがある。それを神楽は覚えていたようで、頑丈な木の枠の中に嵌まりこんだようになって転がっている時、ふと、その言葉を思い出すと、神楽のその喜びは一層強くなった。神楽は狭い子宮の中の、母親の中にいた頃の自分を想像すると、なつかしい温かな気持ちになる。


神楽はだから、温かいお湯も好きだった。
銀時と一緒に風呂に入るときも、銀時の自分の身体を見る時のねちっこさは感じているが、そんなことを念頭におくのは最初だけである。
銀時がいやらしいことをしない限り、ただ入浴が嬉しいだけだ。

夏の沐浴のときなど、昔から銀時に、水風呂に浸かる自分へと、生ぬるくした湯をかけさせることがあった。
銀時と家にいれば、何一つ叶えられないことのない神楽にとって、夏の暑中は天国である。
湯は捩れた紐のようになって皮膚の上を流れる。
それは銀時の掌が、背中を軽く撫で下ろす時のような──柔らかな愛撫のようなものに似ていて。それを知った神楽は、自分の皮膚の温度よりいくらか温かいお湯が好きだった。ある日、銀時に内緒で話してみたのだ。そうしてあの時分、夏の沐浴がどんなに好きであるかを訴えたが、あのとき銀時は、神楽がまだ見たことのない微笑いを頬の辺りに浮かべて、神楽を見て黙っていた。そして、


「銀さんと同じだな」


と、しばらくして言った。


そんな銀時のちいさな怪獣神楽は、毎日夏の暑い日には二度水浴びをする。今では普段から銀時は、神楽の裸に水や湯をかけたり、背中はもちろん神楽の上半身を洗っている間に、足を洗わせられたりする羽目にも陥っている。
そういう時、神楽は小さな王様のようになっている。
気が長いのか、気まぐれなのか、遊び半分で中途で洗うのを止め、足を組み換えたり、石鹸の泡を際限なく泡立ててみたりしている。
銀時が何でも神楽にしてやりたがっていて、甘えさせたくて、傅くのを、おもしろおかしく意地悪してくることもある。
綺麗なすらりとした、カモシカのような美しい脚を、銀時の目の前に突き出して洗わせるのだが、のんびりしてくると、遊んでいたいために何遍ももう一度洗えと命令する。そうかと思うと銀時の手を押しのけて、念入りに海綿で膝を擦るのだ。銀時が一緒に湯に浸かっていようがお構いなしに命令してくる。
猫族のような天鵞絨の髪の毛を洗うのもまた、ひそかな銀時のお気に入りタイムだった。
産毛に籠もったような稚さをどこかに残しながら、日に日に、熟していく果実のような魔の身体からは、あの頃から植物性の香りが立っている。

植物性のもので、清潔な香気だが、纏わるような粘着性は日増しに濃くなっていく。神楽の皮膚の上に、香水よりは幽かな程良さで、燻きこめたように常に迷っている。
無邪気なのか、わざとか、紅い百合の香りのたつ、赤子のような皮膚をした脚を、銀時の目の前に突きつける。
浴槽に入るとき、また立ち上がるとき、若い樹の枝のような神楽の身体は、動いたり交差したりする生きもののように、銀時の眼の前を塞ぐようになった。
あの頃の銀時は、神楽の身体を見る内に、それまでにはなかった別な眼を持つようになっていて、外の木の幹が雨に濡れて、水気をたっぷり持ってうねった形をしているのを見るだけで、女の脚を想像するようにもなっていた。そうした神楽の発育は胸や腰ばかりではなく、瑞々しい神楽の脚の枝と枝との間にも、熟していく、もう一つの果実があることを感じさせずにはいられなかったのだ。
神楽が本能的に行儀はよくしているとはいっても、驚くほど自由で大胆な動きを見ている銀時は、今でもドキドキする気持ちを抑えられない。


神楽が湯から上がって、脱衣所に入ってからも、一人の時はいつまでも洋服やパジャマを着ようとしないで、しばらくまったりしていることがある。銀時がいればきっとじりじりするほど、タオルにくるまったままでいるのは、神楽がタオルの感触も好きだからだ。
昔は銀時が飲みに行って居ない夜など、神楽ひとりだけの夜は、居間にもタオルだけで出てきて涼んだり、そのままアイスを食べたり、テレビを見たり、押入れでも裸で寝たり、と、しばらく好き勝手していた。
いまでは温かい季節は、銀時に裸のまま抱えられて和室に直行だから、これは複雑である。
基本的に裸族の習性がある神楽には、不都合はないと思われているのか、一日中裸で布団にいるのも、実はそれほど激しく怒り心頭ではないことは銀時にバレているのかもしれない。
だが、文句を言わないと、一日中、銀時は神楽を布団のなかで可哀がろうとするので、釘をささなければならないのも確かだった。
新八が来ないと、三日三晩でもずっと裸族なのはもうわかりきっている。三日目に神楽が本気でブチ切れるまで、セックス三昧だった事があるので、三日目以降は銀時も遠慮する癖がついていた。
ときどき張り倒したくなるが、銀時は神楽の凶暴性まで何やら愛しているらしく、殴ってもあまり効いてないのではないかと思うことがあった。復活が早い。鼻血を出しながら文句を言いつつ諦めないのだ。こいつ、本当はマゾじゃないのかと神楽は疑っている。


そんな神楽はまた、コットンの下着を銀時に脱がされたり、着させられたりするのも、実は嫌いじゃなかったりする。コットンの感触がやはり好きなのだ。こういう習性や天然じみた性格が銀時を悶えさせてるわけだが、神楽は好きなものは好きなのだ。コットンが。
ただ、自分では下着の着脱まで病みつきになるとは思わなかった。銀時にそうされると、必ず肩や腕がわずかにくねってしまって、どうにも敏感な顔になっている気がする。
神楽は暑くもなく、冷たくもない、暖かな空気の中で、裸でいるのを好いている。神楽の白魔の皮膚は、赤子のように、ナメした洋皮のように、分厚い花びらのように、柔らかい湯やタオル、コットンの下着、空気との触れ合いを悦んでいる。
銀時が触れる、掌の愛撫も、だから神楽は嫌いじゃない。正直に言うと、好いている。
意識が朦朧となってくると、神楽のそれは特に顕著だ。肩や腕をくねらせ、うっとりとしたようになる神楽の官能美を堪能して、銀時は恍惚とともに、絶賛の感動の嵐にいつも胸を打たれた。


銀時の神楽は、好きなものに一途である。
犬のように忠実に、一生ドッグフードを食べることのできる嗜好もしている、と銀時はにらんでいる。
その観察が、解明された謎の習性のごとく、一生正しくあってくれと銀時は思っている。




モルモットと愛











fin


more
02/20 13:01
[銀魂]




・・・・


-エムブロ-