爪にはダンデライオンの骰子








《子供の箪笥の中には、魔法の光、恐怖を抱かせる弾をこめたピストル、透きとおった泉、溢れ出た水がオパールの床に広がる石の水盤、靴をはかぬ狩人、髪のない少女、海に浮かぶ船と歌う船乗り、綾織りの馬、旅回りの一座、こおろぎ、雉鳩の巣から落ちた白い羽根、ばら色のクリームがいっぱい詰まったハート形にくぼんだ小さな籠、輝きを放つギター、いつまでも新品のままのドレスがある。》


───エリュアール













鏡に向かって、薄赤いリップクリームを、ゆっくりと唇に引いていく。
ごくわずかしか色のつかないそれは、神楽の透き通るような薄桃色のくちびるをふんわりと色どり、まるでもぎたてのサクランボのようにみずみずしく浮き立たせた。
神楽はほんのり満足して鏡の中の自分をじっと見つめた。


十五歳になる前の一時期、化粧やおしゃれに興味をもった神楽に、お妙や年上の女友達がいろいろと教えてくれたりしたのだが、いま神楽はそれほどの熱狂をもたずして、女としてあぐらをかかず銀時の傍にいる。
銀時は神楽が化粧をするのをやはりまだ嫌がった。
かわいい服や、髪飾りは、季節ごとに一緒に行く買い物でたいてい買ってくれるが、一緒にふたりだけでいる時でさえ、神楽の綺麗な膚に人工的な匂いや膜が貼るのを銀時は好まなかった。ことあるごとにキスしてくる唇は、甘いリップクリームでさえすぐにねぶりとってしまう。
いまのところ、銀時の意向を聞いてあげている神楽は、薄赤い色つきリップくらいでしか自分を飾れない。
それでさえ、日増しに美しさを増して、異様な神々しい成長を遂げつつある神楽には、危うい爆弾のような変化である。
美しい少女の唇を日々堪能している銀時は、それくらいならいいかと渋々溜飲を下げていた。


鏡の中の自分をしばらく無心に見つめて、神楽はリップクリームをそっと抽斗の中にしまった。


神楽は銀時が誂えたこの欅の鏡台を、ある時まで、自分の現在持っているものの中の何よりも最上級の、どれよりも大切なものにしていた。
その鏡台には日増しに、物が増えていて、それを銀時が時おり偸むような眼で見ていることはわかったが、神楽は事実は事実としてとらえている。
美しい彫刻の鏡の下に、二段の小さな箪笥があり、その中に、神楽は秘密の宝をいっぱい隠していた。


銀時の和室の一角を占領するここは、神楽だけの城である。


神楽はその銀時がくれた自分の城の中に、さっきのリップクリームや、お妙にもらった美しい平安絵巻が描かれた貝殻の京紅、わずかな化粧道具に、おりょうにもらった香水壜、そよにもらった金細工の簪や、キャサリンのお古のマニキュア、お登勢がくれた絹のハンカチなど、あとよく知らない人達からの手紙やブローチ、お気に入りのビー玉、河原でひろったキレイな石、引き出物についていたサテンのリボン、夏祭りで買ったおもちゃの腕輪───…などと、綺麗でチープでときに高価で、想い出の、ときにイケナイなものをいっぱい銀時から隠していた。
銀時がくれた可愛いピン留めや、むかし万事屋で撮ったプリクラ、自分で作った万事屋ストラップなどもしまってあるが、高価なものはどんどん増えていく。周囲の大人たちはみんな、女の子から女に成長しつつある美しい運命の娘に、何かしら贅沢なものを与えるのが好きだった。銀時を筆頭に、みんな神楽が大好きなのだ。
だからなのかしれないが、最近になって、銀時が買ってくれた銀の指環を、こっそりと、二段目の奥から出してきた神楽は、それをうっとりと眺めた。
露店で立ち止まった神楽が、ふと目について見ていたもので、銀時がそれに気づいてくれたのだ。
最初は隣にあった金色のほうに惹かれて見ていたが、銀時にこっちにしとけと言われた。
指環は、神楽の繊細な指に合うように非常に細くシンプルで、王冠造りになったシルバーの台は、小さいが丸く精巧にカッティングされたローズカットのクリスタルを、突き出た爪で啄ばむようにして咥えている。銀時はいっそダイヤモンドでもいいかと思ってしまったが、いま贈るには少々意味深すぎたし、かといってジルコニアのような贋物を贈るのは露店の物でも厭だった。
いわば婚約指環のようなものである。
神楽は全く気づいていないようだが、銀時はそれを黙って神楽に買い与えた。
小鳥が餌を啄むように神楽は嬉々として歓び、銀時の腕に手を絡ませ羽ばたくようにして歩くので、あまりの可愛らしさに、ポーカーフェイスを保つのに苦労した。
だから家に着くと銀時は、すかさず神楽を抱き上げて、自分の城のなかに幽閉した。贅沢な煌きで彩られた神楽は、とことんゴージャスが似合う女でもあった。豪華な暮らしを王者のように嗜むこともできる娘なのだ。その報いにと、跪いた臣下の男に手の甲を差し出し、慇懃に誓わせることだってできる娘だ。
銀時はすでにそういった神楽に贅沢をさせる自分が好きだった。
自分の出来る範囲以上のことをしてやりたくなる。
神楽が欲しいというなら、何でも買って与えてやりたい。高価なものでも何でも──。



(酷く似合う…)


帰るまでは右手の中指にはめていたそれを、銀時は情事の最中に左手に嵌めるようにと、自分からそうさせた。神楽の手を恭しくとり、誓うようにして嵌め込んだ。そうして何度も手を絡ませあい、当然の報酬だといわんばかりに一晩中、神楽を可哀がった。途中で簡単な夕食を挟み、それは神楽を少しだけ不逞にさせたが、長い執拗な銀時の幽閉にも神楽は声が嗄れるまで可愛くさえずった。


──神楽という肉の宝石。


それはどんな偉大な報酬にも勝る、銀時が授かった人生の黄金である。


だが、翌日の朝、神楽は指環をすぱんと外してしまったのだ。
普段からつけるのは少々高価すぎたため、神楽はあまり日常ではつけたくなかった。
銀時にそれを言うと、まぁごもっともだと納得していたが、どこか残念がっている気配もあり、神楽は 「失くしたら困るデショ?」と、もう一度銀時に説明しなければならなかった。


神楽はその、いま一番大事にしている指環を、お妙からもらった貝紅を入れる小さなタフタの巾着に入れていた。貝紅のほうは、新八が作ってくれた更紗のポシェットに移動させ、裏地も同じ銀色のタフタで出来ていているそれに指環を隠した。
しかし、それでも神楽はまだ気が済まないらしく、その巾着をさらにまた、白い兎の毛皮の帽子の中に押しこんでいた。ロシアの兵隊が被るような筒型のそれは、昨年の年明けに父親である星海坊主が贈ってくれたものだ。おそろいのマフラーもある。毛並みは緻密で柔らかく、色は真新しかった時には、神楽の肌のような新鮮なミルク色をしていたが、今ではミルクチョコレートになってしまった。うす〜く黄色いメーテル味が沈着してしまったのだ。毛並みも少しもろもろになり、秋先に洗濯した際にはピンク更紗の裏地を破ってしまった。
神楽がマシュマロのような肉付きの腕で、この巾着を毛皮の中へ一心に押しこんでいるのを脇から見ていると、下目使いの目はとろんと溶けたようになっていて、さくらんぼの唇は睡った赤子のように弛んでいる。
柔肉のついた百合の果腕は、相変わらず色素の沈着が見られないミルク色だが、夜の明かりの下で見ると、暖かな淡い橙色をしていて、オレンジシャーベットの色に似ている。
皮膚は撫でると、手のひらと皮膚との間に何かあるような、銀時が夏の間もずっと悶々としていた光沢以上のものを含み、今では触れると、特殊な、透明な練り物が擦り込まれているような神秘の手触りにまでなっている。本当に、異様に美しかった。
このような神楽の半獣神のような生態や、奇妙な様子や習性を、銀時は動物の癖を見るようにたまに観察していたが、この自分の城にものを隠す習性は、肉食獣が食いかけの餌や骨を土の中にいったん隠して、また後から食べたり遊んだりするという、それと酷く似ていた。
好奇心旺盛だが、興味のないものにはすぐ無関心になる。
一途でひたむきだが、次の瞬間には、すっぱり切り捨てられそうな不安もあり、神楽に気に入られたモノたちはどこか、気が気がじゃない気分にさせられるのだった。


「気に入ったものはすぐにしまいこむよな」


と、新八に困ったように言う銀時の顔の上には、小動物の習性を話す人のような、甘い苦笑いが昔から掠めている。


(可哀らしい、魔ものだ)


今ではそう心の中でつぶやいて、自分に向ける銀時の目の、苦しみを抑えている優しさに、神楽は黙って目をあてた。銀時が神楽を見て、“少女”だった頃から評していた──聖母の傍にいる天使たちに似ている目──今でさえほとんど無垢な目だ。


神楽の手の中の白い尻尾を見て、銀時はどこかいま、軽い微笑いがある。
愛情の揶揄る微笑いだが、その後ろには、 『しょうがないやつだ…』 という、銀時の置かれている位置を離れた、溺愛の眼もある。


神楽が気に入っている白兎の帽子は、銀時には本当に、雪で汚れた尻尾のように見えた。そのミルクチョコの兎の尻は、むかし、神楽の押入れの床のどこかしらんに転がっていて、布団を直しに入って来る銀時(や新八)をその度に、悩ました。
ミルク色の白い塊は、神楽が起きた後の捩れた敷布と掛布との間に顔を出しているかと思うと、脱いだ下着や靴下と一緒に、毛布や掛蒲団の上にこりこりした毛並みをして、しぶとく、蹲っていることもあった。


銀時はその白い塊を見る度に、それだけで、悶々とした。
今でもそうだが、銀時にはその白い塊が神楽に見える。妙に小憎たらしい可哀らしさのあるその兎の尻は、神楽自身のように無言で銀時を挑発していた。
神楽の起きた後の布団を干したり、直すのには、敷布や毛布に手を触れないわけにはいかないが、それらの布は神楽の体のアロマを繊維の中まで吸い込んでいた。それも銀時を刺激せずにはおかない。洗濯から返って来た時でさえ、そのアロマはまだ執念深く繊維の中に残っていた。そこへもってきて、神楽そのもののような朦朧とした白い塊が自分を嘲笑うように出没しているのだ。


夏の間、銀時はときどき、神楽と一緒に水風呂をプールがわりに使って涼んでいたが、日々成長していく神楽の体の隅々まで透視するような眼を当てていた。
まだ幼いがある意味充分に、エデンの蛇が隠すことを教えた、悪魔の果実が、胸にも腰にも熟しはじめていたのだ。
その円みのある白い塊の手触りと、銀時がどうかした拍子に触れたことのある神楽の体の一部とが、毛並みの密なのと、疎らなのとの違いがあるだけで、ひどく類似しているのではないかと、感じていたのだ。
じっさい類似したとこは無く、神楽は神楽で、神楽でしかありえない黄金だったわけだが。当時は、兎の毛皮が現すものが、銀時には一生触ることさえ出来ない、神楽の幻の黄金の果実だという気分にさせられて、鬱々としていたのは本当だった。

ある日など、整え終わったシーツをもう一度、じっとりと、分厚い手で大きく撫でまわすと、枕もとの上に放ってあった白い毛の塊をつい掴んで下に投げつけたりもしたが、たちまち柔らかなそれは床から跳ね返った。手応えのなさに溜息を吐いて、きゅっと疼いた心臓とともに、大切に再びそれを拾い上げて、銀時は枕の脇に置いたりもしたのだった──…。






「綺麗」


少しうわずった、とろりと掠れたような声で、神楽がつぶやいてるのを聞いて。
銀時は足の先からムズムズとするむず痒さに声をあげそうになった。非常に尻の据わりが悪い。

だが嬉しい。


「そんなに気に入ったの?」


神楽は、ぴくん、として銀時が居たことに一瞬おどろいたが、すぐ獲物を視る目で銀時をじっと見上げると。その目を落とし、美しい指環に魂を奪われたように、また見入った。指環を右手の中指に嵌めて、その手のひらを窓の光の方にかざしている。
そうして再びしばらくして銀時を見あげ、すこし口籠り、それからようよう、「うん、宝物」 と言った。
一連の仕草がもう…、何というか言葉にならないぐらい銀時を打ちのめした。


「──ち、ちゃんと、、いずれ本物もやるよ」


神楽は唇の端に窪みを造って、嬉しげな微笑いの影を見せ、そのキラキラと光るクリスタルに薄赤い唇をあてた。
“本物”の、という意味をちゃんとわかってないな、と噛んでしまった銀時はうなだれたが、今の神楽の周りを形づくる空気の濃密さに、銀時は口をつぐんだ。
これを買ってやった時はまだ衝動的で、なんとなく自分が、自分でない奴の行動をとっているような気がしていた。神楽を嫁にするのは決定事項だが、指環を買うとか、そういう事までは考えが及んでなかったのだ。段階を踏んでいくよりまず、既成事実か、婚姻届けか、という略奪の意識が根底にあった。
だが、今は本物を見たときの神楽が見たいし、その時も今と同じように歓んでくれるだろうかと、銀時はわずかに不安にもなるが、希望を大きくして胸を膨らませた。
銀時は神楽のそばにしゃがみ、大きな掌で神楽の頬を、軽く愛撫するようにしてくちづけた。ほのかに、甘い人工の味がしたが、このリップクリームだって酷く似合っている。あまり褒めて調子に乗らせることはしたくないので言わないが、まじめに食べてしまいたくなる、という感情が銀時には常にあった。それぐらい可愛い。


「かぐら…」
「…んっ」
「かぐら…」
「はぁ…」



(酷く似合う。買ってやってよかった…)


ときに神楽が怖く思うほど鋭い、けれど今はぬかるんだ目で神楽を見てから微笑った銀時は、細い肩をしっかりと捉まえて、最後に額にくちづけた。
神楽は銀時をどこまでも擒にする目で、もう一度見上げると、きゅっと指環を毛皮の中に直して、抽斗にしまい込んだ。




爪にはダンデライオンの骰子












fin


「しょうがないな」って小さく笑ってあげる。



more
07/21 18:58
[銀魂]




・・・・


-エムブロ-