死と贅沢と白侘助







上の階に住みついたちゃらんぽらんのロクデナシは、数年前には行き倒れのようになっていた男である。
どこの馬の骨とも知れぬ根無し草の浪人風情で、愛する旦那の墓の前でいまにも死にそうになっていた縁起の悪い男だった。
しかし、一言言葉を交わしただけで妙に気に入り、お登勢のオメガネに適ったのも事実である。
生来の面倒見の良さが祟ったのもあるが、店の二階の部屋を格安で貸し与えると、男は図太く、恩人のお登勢にさえ暴言を吐きながら今日まで生きてきた。
そんな男の生活は、ある時期まで全く変わり映えのしない、その日暮らしの昼行燈で、何でも屋といえば聞こえはいいが、要はプー太郎のやはり根無し草でしかなかった。ギャンブルに酒に、金さえ入れば夜遊びに豪遊と、お登勢はこの男、坂田銀時という名の青年の将来がいささか心配にもなるほどだった。まるで一日、一日を、無駄に過ごすことに生命を削っているような、あるいは孤独な、デタラメでふしだらで不真面目な、無鉄砲な男だった。


そんな銀時が、十三、四の家出娘を拾って来て、まさか一緒に暮らしだすなどとは夢にも思わない。
思いもよらぬ展開に、さすがのお登勢も自分の目が黒いうちは、妙なことになっては困ると戸惑ったほどだ。
ちょっと待てと。アンタは何を考えてんだいと。捨て猫や捨て犬を拾ってくるのとは訳が違うんだよと。当時はお登勢ですらいい顔をしなかった。
捨て猫──というよりは獰猛な猛獣の仔の一筋縄ではいかない──まったく異様に可哀らしい少女だったが、その可愛らしさが徒にならなければいいと思うほど、近所の者もさすがに見る目が変わってくる。
そりゃ職もない、二十代後半のしがない独身男(オッサン)が、愛玩ペット(従業員とはいえ手下)のように手許に置いて(囲って)いい存在ではないのだ。
訳ありの事情通が多いこの町でも、一際目立つ美少女の見た目も噂が噂を呼び、この界隈を牛耳るボスの一人でもあるお登勢でさえ、しがない噂に角が立つのを止めることはできなかった。


だが、しかしだ。思いのほか、といっていいのかはわからないが、この神楽という少女との暮らしは、銀時という男にいい効果も生み出した。
二階に増えた小娘一匹のおかげとしか言いようがないほど、銀時の生活態度は一変した。
あれでも、お登勢や新八には、目に見えるほどの変化だったわけだ。
さすがにちゃんとしっかり生活しなければという自覚が湧いたのか、朝、昼、晩とだらけた中にもある程度、規則正しい暮らしをはじめ、娘の食費を稼ぐために、仕事まで自ら率先して探すようになった。
時々それでも生活費が追いつかなくて、お登勢のところに喰いぶちを恵んでもらいに来たり、「コイツにだけは何か食べさせてやってくれ」と、こっそり頼みこまれたりもしたが、数年前のあまりに自堕落で身勝手な態度とはこれも徐々に変わってきて、責任感という、一人の男の立派な生活臭なるものが銀時に漂いはじめたのにはビックリした。
もちろん朝帰りなども一切しなくなり、一晩中飲み明かすことさえほとんど無くなった。しかも飲みに行くときは、必ずお登勢の店に寄り一言言って出て行く。少女を独りぼっちで家に残すことが心配なのか、近場にしか飲みに行かないのだ。お登勢のところで酒を飲んで、そのまま二階に帰って行くこともあった。
朝早いうちに家賃を取り立てに行っても、ふたりソファーにパジャマのまま並んで座って、のんびり朝食を食べていたりする。一緒に新聞を読んであーだのこーだの言っていたり、仲睦まじい様子がそこかしこに日常に溢れていた。
ペットのペット(大きな犬)を飼い出した頃にはもう、銀時は神楽のふてぶてしさすら可哀くてならないのか、ついつい甘やかしてしまう自分を自覚しはじめているようだった。


懐に入れてしまった守るべき可哀い存在、愛すべき存在に、日増しに銀時が愛情を募らせていくのも、だからお登勢の目からすると解りやすいぐらいだった。
少女を甘やかしているのも、可愛がっているのも、目に余るほどになる将来が待ち受けているとは、さすがに信じがたかったが、お登勢にはずっと何かしら確信めいたものがあったのも確かだ。年の功という、長く生きて色々な経験をしてきただけ、当人たちより見えてくるものもある。


以前と同じように金が無いながらも、どこか生き生きとハリのある生活をするようになった男は、怠惰な生き方も、若いにしては老獪でひねくれた様子も、前と変わりはなかった。
だが、次第に銀時の額の辺りには、暗さが付き纏うようになる。その額を晴れ晴れとさせてニヤリと笑う嫌な顔さえ、ほとんど見ることが出来なくなった一時期もあったことを、お登勢はずっと見てきて知っている。


いつの頃からか、銀時は神楽への熱い塊のようなものを押さえつけて、宥め、賺し、懸命に柔らげて、男本来の優しい感情を、静かな燈火のように、胸の中に点していた。
その銀時の、ようよう静めている胸の中を掻き毟って、底にある熱いものを、抑え難い苦しいものにしたのは──そこら中に潜んでいる害虫や湧いてくる外敵だったが、その害虫や外敵というものが、神楽の周辺から逐一自分で取り除いた状態になっているのにも拘わらず、銀時の胸の中は、静かにはならなかった。
生涯 静かにはならない。
そういった救い難い、見ていて他人を息苦しくさせるほどの、渾身の愛情をなげうつ男の圧倒的な愛の耐えなさ、苦しみ、というものを目の当たりにして、お登勢はおおいに面食らったほどだ。
こんな愛し方をする男だとは思わなかった。
こんな、何もかも投げ擲つおそろしい愛し方を。
むしろ愛し方も可愛がり方も、わからなくなっているのではないかと……いや、たぶん知らないのだろう。知らなかったからこそ、全感情がたった一人の少女に向かっていく。


銀時はある時期まで、神楽をあまりに大切なものとして、自分の胸のなかに、周囲に何一つおかずに、据えてあったようにお登勢には思えた。
その神楽を、自分の知らない僅かな間に、害虫どもの餌食にされたというだけで、今でもなんともいえない恨みまであるようだ。
男の厚い胸の中には、神楽を汚さずにおきたい強い願望があった一方、他人には見せないが煮え滾るものが中にあった。

お登勢が知るかぎり、銀時は傍若無人なダメ人間だが、残酷な男ではなかったはずである。
銀時は心の中で、その欲望をできるだけ懸命に抑圧して、最小限の夢を添えて、描いていたはずだ。


あの神楽を、自分のモノに、せずにはいられなかったのはわかる。


アレを手許に置いて、自分のモノにしない、できずにいられる男などいるだろうか。いるわけがない。
女のお登勢でさえ、アレを野放しにしておくのは忍びないし、無理だということはわかっている。
アレは、そういう“女”だった。
まだ幼いが男には毒な少女なのだ。
男が一生に一度は足もとに膝まずいて、せめて少女の足を抱きたいと。接吻などは思いもよらぬ、と想わせておいて、神楽がひとたび欲しいと口にすれば、全てを投げだす覚悟のある男がどれだけ大勢いるだろう。きっとこれからも増え続ける。そういった魔モノである。可哀らしい魔モノ。まだ少女の──。


神楽が銀時のもとに来た当初から、お登勢はそういったモノを察知していたからこそ、危機感に駆られたわけだが、まんまと犯罪一色の銀時には閉口せずにはいられなかった。


『もう少し我慢できなかったのかい』


と、一言ぐらい釘を刺してやりたくなる。だが、ようやく額の暗いものがマシになり、抑えに抑えつけていた欲望を全開にした男を留める術など、一人のババアにあるはずがない。
まだ十五歳になりたての、ネンネな娘を寵愛ゆえに手籠めにするなど、聞けば酷い話だが、実際はあの神楽が赦したとなれば、お登勢も周囲の事情を知る者も、無暗に騒ぎ立てて口出しできないのは当然だった。

何よりお登勢といえども、自分たちの邪魔をする第三者の存在に、銀時が我慢できないのは目に見えている。
見えない敵や害虫にも、蜘蛛の巣のように神経を尖らせながら、神楽を雁字搦めに溺愛しはじめた銀時には、額の暗さの代わりに、絶対的な残酷な誓いがうかがえるようになった。

お登勢は一度、神楽の唇の鬱血の痕を見てしまっている。
あの日の朝、和室でぼんやり、銀時の話を聴きながら毛布にくるまっていた神楽を見て、風邪でも引いたのかと聞いた。
ちょうど客からもらった秋林檎を持っていってやったので、すりおろしてやろうかと。
むっくり起き上がった神楽が、「違う。大丈夫」 と首をふり、うっとりと開いていた唇を慌てて固く結んだが、お登勢の目の方が一瞬速かった。銀時はさり気なく神楽に林檎を渡していたが、お登勢が神楽の憐れな疵痕を見てしまったのを知った。






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02/25 06:01
[銀魂]




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