遥かなる白骨のアーチ -2-







「遅かったアルネ」


服を着替えて風呂場へ下りていくと、階段の下にシャツのままの神楽が立っていた。


「ダチに誘われて飲んで来たんだよ」
「珍しいアルな…」


お茶を入れるから少し話そうヨ、と神楽は先に立って居間へ入った。自分のあとから銀時がついてくることを信じて疑わないような、相変わらず無自覚な暴挙ふりまく信頼だ。
少女の真向かいに、銀時は腰を落着けた。
神楽のシャツはあきらかにサイズがぶかぶかで、上に羽織ったカーディガンの薄いグレイがなければ下着のラインも透けそうなほどヨレヨレだった。生っちろい足が裾から大胆に伸びている。
照明の場所によってはかなり露骨に華奢な姿態があらわになる。
銀時は、ふと、この少女を妻にしている兄の年齢を思った。
三十路近い夫には、世間体からいって重荷の妻ではないかと思う。
お茶を入れると言ったくせに、神楽はフルーツ牛乳をグラスに注いだ。二つの中の一つを銀時へ渡す。


「どこで飲んで来たアルか?」
「新宿。二丁目のキャバレー……」
「キャバレー?」


ソファに深く身を沈めて、神楽は足をお行儀悪くあぐらにし、グラスを銀時より早くに空にした。食うのも飲むのも相変わらず早い。


「キャバレーって……何か場末っぽいアルなー」
「実際、場末だしな」
「そんなに面白いものアルか?」


ちらと見下したような表情だ。


「独り者にとっては面白いわな、まぁ。スナックよりも、万事手っ取り早いもん」
「あきれたー……あれだけ女ばっか相手にして、まだお目当てがいるアルか、銀兄ちゃん」
「とんでもねえ。いいと思う子には大抵パトロンがいるか、ヒモがついてるって」
「両方ついているのが多いんじゃないアルか?」
「まぁね。そういえば──…神楽の友達で銀座のBARのホステスがいたよな」
あー…新八の姐御? それ、銀ちゃんには内緒アルヨ?」


神楽が中学の時の先輩が、高校を卒業して水商売の道に入っていたが、いいパトロンを掴んで銀座の店に移ったという話を、もうだいぶ前に聞いたことがある。
『お登勢』という店だった。
いわゆる有名BARではないが、銀座通りの遊び人には好まれている。


「女の子を一人、紹介してくんねーかな」
「女の子……?」
「銀座へ移りたいって、頼まれてんだ」
「新宿のキャバレーにいる女アルか?」
「そう……」
「ふ〜ん。恋人アルか〜?」


あどけない少女の顔がにやにや笑う。


「恋人なら、水商売はさせねえって」


その話があるから、二階の寝室にいる兄を気にしながら、神楽との深夜の“密会”をしているのだ。
生活習慣が違うため、めったにこうして顔を会わせることのないずっと年下の義理の妹 = 幼妻と。


「つーか客だ客。俺の客。」
「ホストが客の女の世話とかするもんアルか? まさか、銀兄ちゃん…!」
「まさかって何だよまさかって! 言っとくけど、俺は兄貴とは違って危ねー橋は渡んないのっ。なんだって高校教師のくせに奥さん16歳とかやらかしてんだよ。AVじゃねーってんだよ。自分の生徒とかありえねーよ。
しかも手ぇ出したの14の時とかナメてね? つーか自分の兄貴が性犯罪者ってせつねー」
「24にもなってプラプラしてる、職ナシ・金ナシ・能ナシの銀兄ちゃんに言われたくないアル、銀ちゃんも。せっかく大学出たのにいつまで就職浪人してんダヨ。職探す気ないダロ。しかも新婚の兄貴の家に居候とかマジなめてんだろテメー」
「──…スンマセン。」
「っていうか、ほんとに大丈夫アルかいろいろ」
「心配すんなって、人助けみたいなもんだから」
「ほんとに……?」
「神楽ちゃんに嘘ついてもはじまんないだろ?」
「そりゃそうネ」


淡い唇がグラスをはなれた。


「まぁ…話だけは今度会うから言ってみるヨ。でも銀兄ちゃんとどういう関係アルか?」
「ダチの恋人だったんだよ」


するりと嘘が出た。


「友達の恋人……」
「高校時代のさ。結婚する意志もあるみてーだが、二丁目のキャバレーじゃ、親の心象も悪いってこと……」
「銀座のクラブなら、いいってわけカヨ……」
「まぁね。そいつの家もサービス業だから、そう堅いことはいわねーだろうがよ」


ふふんと鼻の先で笑ったが、神楽は満更でもない表情をしている。


「どんな子アルか……?」
「……そうだなぁー。美人じゃねーが、かわいい顔してるわ。現代むきの顔だな。チャーミングといえばチャーミングかな」
「今はチンケな時代だから、ちょっとぐらい変わってる子の方がいいのヨ」


その筆頭ともいえる義理の妹に、にっこり必殺スマイル。


「男好きのするタイプかなー。変なヒモはついてないけど」
「ヒモ…?」
「ん、大丈夫でしょ」
「無責任な言いかたアル」
「そこまでは保証しかねマスー」
「正直な銀兄ちゃん……」


クスクスと笑い声が、ひっそりした夜に響いて、銀時は神経を使った。はたして、二階の寝室からドアが開く音がした。
兄が神楽を探しにきたのだ。


「銀八のヤツ、神楽ちゃんがいないとすーぐ寂しがるみたいね。オッサンのくせに、ヤキモチだけは人一倍だなぁ」


首をすくめて、神楽は笑った。


「行っておやりなさいよ。痛くもない腹を探られるのは困るな、俺も」
「バーカ……」


立って、部屋を出かけに、ふざけたように銀時は神楽に抱きついた。
あっと思ったときにはもう離れて、ドアの外に押し出してみるが。


「…お、おやすみヨ」


少女が少し焦って階段を上がっていくのを聞きながら、銀時は飲み残りのフルーツ牛乳を傾けた。
むっくりと立ちあがって、グラスを片付け、さっさと風呂場へ行った。
仄暗い情動はあったが、我慢することにも慣れていた。
蛾に触れられたと割り切ってくれればいい。そういうふてぶてしさというか、生きるための知恵を、あの少女は若くして一人の男のモノになるという代償を払って身につけていた。
銀時にしたって朽ちゆく青春を捨てきれず、義妹と妥協して生きるための知恵だった。
だが、銀時のそういう気持ちが、兄の銀八に通じているかどうかは疑問だ。
世間を敵に廻しかねない聖職者は、幼い妻の無自覚(無神経)な言動に、神経を高ぶらせることが多くなっている。
神楽にはそれを知らずとも、故意に無神経に振る舞ってみせるようなところがあった。
銀時に対しても、相変わらず無意識に甘えてきたり、昔馴染みゆえに馴れ馴れしく振る舞ったり、時には挑発的な態度に出たりする。
銀時のほうは今更、兄ひとりのモノになった少女によからぬ悪意は湧かなかったが、そういうことのあった後は、兄の機嫌の悪さに辟易とした。
二、三日はむっとしていて、銀時と視線を合わせない。
こういう時思い知らされる。昔も今も大概自分たち兄弟は近親憎悪の間柄だと。
血の繋がった兄と弟でも、間にメスが入ると男対男になるのかと、銀時は情けない気になった。
大抵は唯一つ、家の中で神楽と顔を合わせないようにする他はない。
銀時は連日、歌舞伎町の自分が働く店に入り浸っていた。
帰宅すると、酔ったふりをして自室へ閉じこもって寝てしまう。うっかり、風呂へ下りて行くと、今回のような破目になる。
風呂は朝、シャワーを浴びることで代用した。
その日も、帰ってくると台所のテーブルの上に封書が乗っていた。頼んでいた女に関する、仲介のメモだった。












fin


more
05/08 18:00
[銀魂]




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