ロードスター








「ジイさんのことを話そうか──」

「……ジイさん?」



突然、あらわれたスーツ姿の男にちいさな少女は怪訝な顔をする。…当たり前だ。こんな貧民街にはふさわしくない男の出で立ちに、夕暮れの路地裏を歩いていた少女は、幼いながらも自分の身は自分で守ろうと警戒を強める。
数メートルいけば少女の家がちゃんとある。廃屋のように崩れかかっているが、れっきとした彼女の家だ。
薄汚れたお気に入りのうさぎのぬいぐるみを盾に、不安そうにそれをぎゅっと抱きしめ、少女は一歩、また一歩と男から距離をとる。


「エロジジイのこと。」
「……。」


男は何度か間をもてあそぶように咥えていた煙草を手にし、煙を吐き出した。


「お前はここの希望の星だろ。注目のまと」
「………。」
「昔の俺だよ。プレッシャーだろ?」


みんなの期待にこたえなきゃって。そう言って皮肉にも笑いかけてきた男の顔は、今度こそ少女にだからどうしたという反感を買った。


「ふん、大丈夫ネ」
「だろーな」


暗い街灯の中、まじまじと見上げる男の表情はどことなく薄気味悪い。死んだ魚のような目だと思った。
色素の抜けた銀髪だけが目に眩しいほど痛かった。身なりはよくても覇気がなくだらしないこの男の目的がみえず、だからこそよけい気味が悪いと少女は感じた。
男のいったジイさんとは、訊ねずとも彼女が世話になっている相手のことだろう。会話の流れからしてそれ以外ない。
ここらのスラムを束ねる有力者で、青少年の支援や育成に力を入れている地域の貢献者。彼のおかげで何十人もの貧しい者たちがその生活を救われ、正しい道に導かれ、若き才能を開花させて羽ばたいていった。少女もその中の一人になろうとしている。
彼女の鈍く光る才能の芽を見つけだしてくれたのもその彼なのだ。学費の援助も生活保護も彼が支援してくれている。多大な恩と将来への希望がそこにはある。何も見えなかった未来が今は彼のおかげで輝いている。


「……別荘には行ったのか?」
「ぇ…?」


唐突に今度も喋りだした男に、少女が不快な顔をさらけだすのに理由はいらなかった。


「うまいもん食べさせてもらったり、綺麗な森を散歩したり、本当のジイちゃんみたいに、」


いい人なんだよな…。


みんなそう言ってる。


男はその癖の強い前髪で目元を隠すようにしてまた皮肉げに哂った。


「……ときどきネ。」


俯いたままうなずく男の仕草に、少女は何度か口ごもるように瞳を揺らした。


「……別荘に行ったアルか?」


死んだ魚のような目が少女を映す。


「お前は昔の俺なんだよ」

「……どういう意味ネ」







……


………



────最初は何だかよくわからなかった。


軽く触るだけだし…、ただの偶然だと思った。


別荘で酒を飲ませてもらったりしたか? …うれしかったよな。


大人みたいに…ワインをつがれて。…もっと強い酒も。


……それから近くの川に泳ぎに行く。水着をきないで飛び込まされて────





つらつらと能面のような顔をして述べる男がそこで重く息を吸い込んだ。
立ちふさがるように静かに近づいてきた男との距離にしかし、少女は凍ったように動けなかった。ことさら低い声が彼女に迫る。



「何かされたんだろ?」



みんなやられたんだ。
父親みたいな存在だから、言うことを聞いて喜ばせなきゃって思ったんだろ。


「だけどアイツは間違ってる。このままでいる必要はないんだ…!」


初めて男の声に感情が爆発したように感じられた。激情。うって変わって恐ろしいほど突き刺さる瞳の色に少女はとっさに顔を背ける。唇を噛みしめた。だって…


「しっ、仕方ないアル!!」
「ダメだ、もうやめろ!」
「だっ…て………ぁ、兄貴は刑務所に入ってるし、パピーは死んじゃったし…っ、マミーはギャングの撃ち合いに巻き込まれて歩けないアル! マミーには私しかいないネ。私が頑張らなきゃ。ジジイは私を学校に入れて・・・一人前にしてくれる!」
「お前は十分立派だよ。アイツなしでもやっていける。自信を持てよ。アイツは今どこだ? いねえじゃねーか。暗いなか必死で走っているのはお前だ、アイツじゃない!!」


暗い路地裏を見渡して、必死に訴えかけてくるこの男は、いったい誰なんだろう。
少女は茫然と男を見上げたままだった。


何者かわからない、正体不明の男だ。
いきなり現れて頼んでもいないのに余計なお世話だ。
この期におよんで不審すぎて信用に足るかどうかもわからない。
けれど..


不思議と大丈夫だと思った。
死んだ魚のような目が、声が、真剣に少女を説得しようとしている。彼女の不遇に抑えきれない怒りを感じている。
差し出された大きな手を、今度こそ裏切らない大人として頼ってもいいのだと切実に応えようとしてくれている。
苦しいぐらい導こうとしてくれている。
どうしようもなく思わせる。
彼女の為なのだと。



「この中に入ってるものがお前の人生を変えるんだ」



鎖骨の上、心臓をさしてコツンと拳をのせられた。



「俺はお前の見方だ。永遠に」




どうして。



どうして…?




あなたは誰?








まるで予期せぬヒーローみたいだったと
今でもわらえないよ。










fin


more
03/11 17:25
[銀魂]




・・・・


-エムブロ-