シュレーディンガーの子猫 -2-






我ながら単純だとは思うが、機嫌が一気に氷点下まで落ち込んだ。
そうなってしまうのだから仕方ない。
神楽は確かに黙っていればそれなりに見えるし…、実際一緒に街を歩いている時もあからさまに男の視線を感じることも多い。
だが、神楽本人はまだまだ惚気より食い気がお盛んなお年頃、こちらが不安になるほど男に興味など持ってはいなかった。
そのはずだった。
今のところは、それを認識しているのは彼女ではなく、自分たち他人だったりする。
ただ、いささか無防備が過ぎるところ、物怖じしない性格を考慮して、常々知らない男には関わるな・話すな・近づくなと、腋がすっぱくなるほど注意もしてきた。
…というより、けっして惚気たいわけではないが、どちらかというと、俺が気を許す者以外と、神楽がアイツから懐いた例はごくわずかなのだ。そもそも神楽は、他人の心はピンポイントで絡め取るくせに、彼等を己の心に入り込ませる隙を持つ性質ではない。
もう一年以上一緒に暮らしている自分にさえ、いまだ過去のことを詳しく語りたがらないのが何よりの証拠だろう。
時折見せる少女らしい仕草に見蕩れる者は確かに多い、が、真顔で放射能級の猛毒をぶっ放す神々しさには、再起不能の一歩手前まで葬られかける男も少なくないのも…神楽だ。
そんな十六歳のアイツに──数々の浮いた噂があるなんて──じっさい考えられない。考えるだけでも、おぞましい。
そういえば最近、長谷川さんにお気に入りのホステスができて、誘われるまま、頻繁に夜家から出かけることが多かったのは認める(つまり朝帰りが多い)。
新八が帰った後、神楽との時間をあまり過ごせていない日が続いているといえば、続いている。
思春期の少女を家に一人残して自分は女遊びに行く。情操教育上最悪と言われればそうだが、自分だってまだまだ若いし、この年で処理を右手だけに委ねるのは寂しすぎる。ガキじゃないんだ。性欲が枯れはてたジジイでもない。これだけはどうしようもないと思いたい。
だいたいが、新八や神楽が万事屋にやって来る前も夜はほとんど出かける生活を繰り返していたのだ。
一人でいると自分のことを考えすぎるし、昔の記憶……攘夷時代の記憶も蘇る。
それはもちろんやかましい神楽と一緒にいればそんな事を考える暇はないし、気の合う者同士楽しい時間を過ごせる。
だが、夜も九時を過ぎると、どうしても有意義な時間の使い方に差が出てくるわけで…。まぁ、歴然というほどでもないが、毎日一緒に月九やら火曜サスペンス、木曜洋画劇場、などなどテレビにかじりつくだけにも限度がある。
晩酌しようにも、子供相手に酒を注がせるのは些か萎えるし、酔っ払いすぎないように気を引き締めてちょびちょびやるのも気が重い。
やはり彼女は子供で、同居人である保護者の俺は大人、といった問題が浮上してくる。もっとシビアに表現すれば、部下と上司。それ以下でもなく、けっしてそれ以上であってはならない。そう思っている。
考えることすら禁忌に近い。そう思ってる。
性欲処理の女はたくさんいるが、神楽ほど確かで、気の合う存在などどこを探したって他にいないのだ。
今の関係を壊すなどできやしない。
俺からアクションは起こせない。不確かなものを確認することなどできない。
流れを止めることはできない。変えることも、逆らうことも、できない。
そういうことだ。
たとえこの意地汚い本心が、羽化する前の神楽を蝶のように捕らえ、標本じみた狭隘さで閉じ込めてしまいたいと願っても、それを上回る恐怖心がその願いなど一笑に付してしまう。
…そう、変革は望めない。閉じ込めることなどできないのだ。
しかも、他の女と会っているような自分が、神楽を非難する権利など持ち合わせない。
分かっている。ちゃんと分かってはいる。
が、約束させた帰宅時間を大幅に破っている神楽が帰ってきたら、新八を追い出し、鍵をかけて押し倒して、チャイナ服でも隠せない場所に吸い付いて、痕を付けてしまいたいと思う自分の心はどうしたらいいのか…。
正直、予想していなかったのだ。考えたことすらなかった。出逢ってから、俺にだけ忠実な神楽を見過ぎている。
他の男となんて、想像もできない。
以前、仕事で秋葉原に行った時、神楽に写真撮影目的で近づいたオタク野郎がいたが、そいつがあの丸く滑らかな肩をノースリーブの上から抱いた時は頭に血が上り、『なんで振り払わなかったんだ!?』と一方的に神楽を責めた記憶がある。さっきは新八の手前どうにか普段の会話でやり過ごしたが、本音を言えば情報の出所と信憑性を胸倉掴んで問い詰めたかった。


居間の時計を見上げれば、もうすぐ七時半。
すでに門限を軽く一時間は過ぎていることになる。遅ければ遅いほど、新八の言っていた噂の信憑性が生まれてくるわけだ。
自分のなかでいったん否定しきった可能性も、さっき話を聞いた直後から到って、大幅にアップしてきている。
イライラした。それが伝わるのか、新八は台所から引きこもってこっちに来ない。
苛立った状態で内心動揺しているらしい新八の機嫌など取りたくはなかったが、実際に自分より詳しい新八がいなければ質問にすら答えてもらえない可能性も高い。仮にその噂が本当だとして、怒りを抑えきれるかといった自信もない。
むしろ新八がいてくれなければどうなるか、どうなってしまうのか、自分でもわからない。
仕方なくテレビの雑音を右から左に流しながら、新聞を手に取り、無心に第一面を読み漁ることにした。






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02/08 14:43
[銀魂]




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