落とし穴と振り子







膝上25センチの短いチャイナドレスに、それに被さる程度の、これも短いフェイクファーのケープ風コート。毛足の短いそのコートは、首元に紐で結ぶ形のぼんぼりがついていて、可愛く蝶々結びにされている。そのコートの下から、膝上10センチほどを覆った長靴下の脚を見せて、神楽は面倒くさそうに立っていた。
襟飾りと縁取りに簡単な刺繍を施したローズピンクのベルベットの冬服(ミニチャイナ)の他は、靴下まで全部ミルク色で統一されて、お団子にした二つの髪にはコートと同じく、白いボンボリの紐飾りが結ばれている。
思わず目につく…鼻にもつくその姿は、どこか思い上がったような気品があって、大変こまっしゃくれていた。
立っているというよりは寄りかかっている藤の木の下に、神楽はいた。傘の先で足許の砂を掘り返し、なんとなくつまらなそうにしている。
それでもここは、数ある公園の中で、特に神楽のお気に入りの場所だった。もう花の季節はとうに過ぎてしまったけれど、藤棚にもなっているのだ。下は砂場になっていて、波のようになだらかな砂凸の小世界が広がっている。
足許に降り注ぐ斑紋状の斜陽は、秋晴れの空から絡まった藤枝を通して、ゆっくりと降りてきたものだ。
まるで浅い海底の砂場から、空を見上げているような揺蕩いさえある。
枯れた藤の豆殻がそこら中に散らばり、浅い海底に沈む小船の残骸にも見える。時おり強い北風が吹いてきて、それらをこの小世界から攫ってゆく───。
長閑な夕刻前のひとときだった。



「神楽ちゃ〜ん、入らないの?」


豆殻が混じった砂利をけたたましく鳴らし、駆けまわっている七、八人の同年代の群れから声がかかった。ほとんどが少年だ。ぼんやり見ている神楽の方へ、時おりそっちへ向く顔が、袖を振り乱しながら一瞬止まっては、


「おぅ、神楽」


と、顎をしゃくられたり、


「入らねーの?」


と、目で誘ってくる。
けれど、どの顔もいくらか神楽を面白がっているような、ニヤニヤ冷笑しているような色もある。一瞬、偸み見るようにする顔もあった。
いつも超然として、なにをやっても目を魅くこの大胆な女の子が、じっと人を見つめる癖のある大きな瞳を自分たちに向けているのが、彼らの興味と冷やかしの原因だろう。
神楽は少なからずそれを不快に思うこともあるので、仲間の誘いにもまったく心が動かない時だってある。
仲間外れは嫌いだ。するのもされるのも気分が悪い。でも、自分から遊び仲間に入りたくないときだってある。
そういう時は敢えてこうして、彼らを観察することにしているのだ。
そして、そういう時にこそする神楽の表情が、男の子たちの心を些か掻き乱すまでになっていることは、神楽も気づかないのだろう。
今、神楽はぼんやり目を開いている。その潤んだようなガラス玉の目は、美しく整った愛くるしい鼻梁へとかかり、接吻けを待っているような──少し開いた薄桃色の唇に続いている。ぼんやりとしているのに、どこかに取り澄ましたような表情がある。
これは、自分を奇異なものでも見るような目をする人間に向かう時に、神楽がよくする表情でもある。
どこからか湧いてくる本能に忠実な、自己の誇りと気高さ、そして自分を可愛がってくれる、受け入れてくれる、護ってくれる、そんな人たちからの礼讃と執着、その他いろいろな可愛い自信から出る顔なのだ。


(ガキは家に帰って、母ちゃんの乳でもしゃぶってナ……)


不機嫌ではないのに、神楽はなんとなくそんな毒舌も心の中で呟く。
────最初の頃……少年たちの中の悪童連中が、神楽の一人だけ変わった容姿や服装、言葉遣いを面白がり、大声で 「天人、天人!」 と囃しながら後を尾いてまわった事があった。普通の女の子だったら、大勢の男の子にイジメられたら怖いだろうし、イジメに耐えかねて親に泣きつくか、逃げ隠れしてしまうだろう。だが、そこは神楽に目を付けた彼らの運の尽きで、男の子たちは悉く制裁を喰らった。それこそ、彼らの親が万事屋に怒鳴り込んできたほどである。
しかし、結局は制裁もその一回きりで、後はどれほど囃したてられても、仲間はずれにされても、神楽はもう何も言わなかったし、仕返しもしなかった。そのうち──、陰口をたたいて歩いていた仲間の首領分のボスが、神楽の綺麗な髪や、顔や、肌、珍しい色彩、超然とした性格、毒舌、馬鹿力、……そのすべての様子にだんだん一種の畏敬のようなものを抱くようになったので、その騒ぎはやんだ。
男の子たちは、この珍しい女の子に驚異の目を向けるとともに、けっして無視できない引力を感じていた。こうして彼女に黙って見つめられているのかと思うと、なぜか異様に胸がドキドキして落ち着かなくなるのだ。



「おーい、神楽〜。 明日どっか行くんか?」


首領分の太った男の子が、生意気そうな顔で神楽に近づいて来た。 「あ、よっちゃん…!」 と呼ばれたその少年は、後ろに他の子分をわらわら引き連れてやってくる。
神楽はいつものように平然として、周囲をぐるっと取り巻かれる情況にも動じない。傍にあった藤の木に、体を寄せ掛けながら、その「よっちゃん」なる少年を見上げた。


「……明日?」
「お、おう…、日曜日だろ? ターミナルの広場で面白いことやるつってたぜ」


白すぎる指が、皺しわの枯れ枝をきゅっと握り、適度に身体を木に巻きつけては、左右に揺らしたりして遊びだす神楽を、少年たちは落ち着かない気分で眺めていた。
じっとしない神楽は、あくまでその話に興味を引かれないらしく、不熱心なその様子に、じっとりと彼らの手のひらには汗が滲んでくる。どうしてそうなるのかがわからなくて、でも何故か不安で、ことさら少年たちは焦ってしまう。


「明日ヒマならよォ、お前も連れてってやろーか!!」


突然叫ぶように言われて、神楽はきょとんと動作を止めた。


「なんの、イベントアルか?」
「それは見てのお楽しみだなっ」
「明日見てのお楽しみだなっ」


脇から違う子が追従してくる。


「明日ヒマなんだろ、お前」
「よっちゃん、聞かなくてもコイツはいっつも暇だって」
「そうだよ、こいつほっとんど公園に日参してるしよォ」
「めっちゃ暇人じゃん!」
「いいよなぁ、寺子屋に通わなくていいんだから」


一人を皮切りに口々に言い募る餓鬼どもを、神楽は面倒くさそうに無視した。定春を連れてくればよかったと後悔する。そうしたら追っ払えるのに。
くるりと向きを変えた。
公園の入口の方へ歩き出すと、よっちゃんを筆頭にまたばらばら付いてくる。


「おい、神楽ァ! ヒマだったら明日10時にここで待っててやってもいいぜぇっ!」


神楽はケープコートの前の開いた隙間から、腕を長く出し、五月蝿そうに少年たちを押しのけた。ピンク色のベルベットが、いつの間にか傾きかけていた落陽に赤くキラキラと輝く。


「おい、神楽!」
「わかんないアル」


ひとこと言い置いて、神楽はそのまま入口へとぴょんぴょんスキップしながら駆け出した。約束なんてしない。


(……だって、いつ仕事が入るかわかんないネ。勝手にプー扱いすんなっ)





縦に長い公園は、入り口まで広いイチョウ並木が通っている。
さくさくと黄色い落ち葉を踏み締めながら、神楽は軽い足どりで並木道をじぐざぐ歩いていく。
と、その途中で 「あっ!」 と足を止めた。
道に沿って両側に並ぶベンチのひとつに、透明な赤いゴム鞠がぽつんと乗っているのを見つけたからだ。
それは、二週間前に、この公園で失くしたとばかり思っていた神楽の手鞠だった。金色のグリッターが入ったゴムの中は空洞になっていて、小さな鈴がひとつ入っている。蹴るたびにリンリンと鳴り響く音が可愛いのだ。


(戻ってきたのネ…おまえ…)


どれだけ探しても見つからなかったから、誰かが持って帰ったとばかり思っていたのに……まるで神楽を待ち伏せていたかのように、赤い鞠はベンチに座っている。
そっと鞠を拾って胸に抱き、リンっと鳴き声をあげるその可愛い音を耳に噛みしめ、神楽はニッコリご満悦に微笑んだ。
その時、ふと、見知った人影を見たように思った。
屈みこんだまま──右斜め後ろを偸み見てみる。と、藤棚のある広い遊戯場の遥か向こうに二人の影があった。
すぐ誰だかわかった。
徐々に明度を落とす落日のなか、銀色の髪がキラリと黄昏を反射する。


(銀ちゃんと…、もう一人は…………姉御……?)


二人は向かい合って立ち、なにか喋っている。お妙は上半身を前に屈めるようにして顎を反らし、何度か銀時を見上げながら笑っている。銀時の表情はわからないが、お妙のころころと笑う、澄んだ声がここまで聴こえてくるようだった。
あたりはいつの間にか薄暮れの中、すでにぼんやりとしている。
神楽は何故か二人がこっちを見ないうちに、行かなくてはいけない、という気持ちに追い立てられた。並木道はもうすぐ終わる。前を向き直ったところで、後ろから大量の下駄の音がした。さっきの連中が入口へ向かっているのだ。急いで鞠を抱えなおして神楽も一本道を駆け出した。


「あれ〜、まだ帰ってなかったのかよ?」


よっちゃんとその子分のひとりが声を揃えたが、神楽は、「これヨ、失くした鞠、さっき見つけたネ」、そう言って無表情に振り返っただけだ。
声をかけた二人は首を寄せ、何か言ったらしい。二人はもう一度神楽に寄ると、


「じゃーな、明日来いよ。10分なら待っててやるぜ!」


返事も聞かずそう押しつけて、今度こそ全速力で駆け出していった。巻き上がる落ち葉が風に遊ぶ。
神楽はその後から、とん…、とんっ…、とやや重い跳躍で走った。胸に抱かれた鞠がその度に、リン、リンッ、と音を弾けさせる。
なんとなく足が縺れるような感じが厭だった。








more
09/26 13:20
[銀魂]




・・・・


-エムブロ-