愛は雨のなかの微笑み







いま笑わずに取られた手を掴まれて、神楽は自分の同居人が、いつもこうじゃなければいいのにと思った。


有無をいわせず、暑苦しくて、少し重々しく、そして優しい……。


掴まれた肘から先の腕を、どうしていいかわからなくて、神楽はまるで男の手のあるところから先の自分の腕が、死んでいるように感じた。抑えていなければ、奥歯がむずむずといいそうな妙な緊張が肌をうずまいている。


ふだん銀時が、ふつうに神楽の手や頭に触れる時はどうだったろう。
思い出せないほど、もはやどこか現実とは掛け離れたところで──肌がチリチリ痺れる感覚に、息がつまりそうになった。
間近で掠れる呼吸の音に、意識すればするほど喉の奥から渇いていって、せりあがってくるものがある。
ぎこちないのは最初だけで、ゆっくりと顔の輪郭をなぞるように動きだした銀時のやわらかな唇の愛撫に、神楽の目はやり場がなく伏せっていった。
狭まる視界に、ご近所にけぶるペドロの冬の森が見える…。
銀時の影が、天気雨に揺れる木漏れ日を呑み込んでいる。


『……晴れてるのに、しとしとと変な天気アル』
『しぐれ雨にしてはめずらしいな』
『どうして』
『こーいうのな、夏は“狐の嫁入り”って言うんだよ』


こんな会話から突然はじまってしまった。
お互い窓辺にたたずんでの、微妙な距離感。放射される熱のすべてが、寄り添う顔に集まってゆく。


酷く…やさしい…


愛撫。


ほのかな乳飲料の甘ったるい匂いが、鼻の奥に生ぬるくのしかかった。
さっきまではそうじゃなかったのに、いまはその中にかすかに混じる銀時自身の匂いにも、敏感に反応する。
頬を掠めるそれらを吸い込んで、ひどく感情が昂った。
鼻先だけの呼吸だったのが…たまらず細く漏れだした吐息に、歯の慄えが引きずられて奥歯を噛みしめる。


腕だけじゃなく、呼吸までわからなくなりそうだ……。


いっそ押し倒してくれればいいのに。
そうしたら、こんなにまでおだやかな追跡に動揺しなくてすむ。
普段の銀時からは考えられないような、厳かな、神聖な触れ方に。
この日だまりと、雨糸のなかに、なぜか自分が今にもかき消えてしまいそうなそんな妙な気分が神楽に押し寄せる。
意味がわからない…。
でも、いっそかき消えてしまいたい…。
初めてじゃないのに、どうしてこんなに動揺するのか。
自分でもわからない…。
自分自身がこわい。
ぎんちゃんが、こわい。


疼きを覚えはじめた喉の熱が、じわじわとこめかみにまで侵食し、タイミングよくもたらされたやさしい感触に、思わず身震いした。
うめき声をあげそうになって、咄嗟にひきつった喉が渇きを訴える。


もはや肌はチクチク、全身が変な気もする。
立ちすくんだままの足先は感覚すらない…。
静電気の罠にかかったような末端神経が、あわ立つ背筋を鬱蒼とさせる。
こもっていた息をすべて、小さく、細く、時間をかけて吐き出した。


触れては離れ…、離れては触れを繰りかえし…、核心を避けてばかりの熱に、何度もこのまま縋りつきたくなる。
けれど、妙に固まった身体は梃子のように動かない。
強く引き寄せられることを信じて、また微かに熱い吐息を漏らし、耳朶を食むか食まないかの瀬戸際で、弄ぶようにしていく意地悪な唇に慄いた。


(こわいヨ…)



その瞬間でないすべてのものが怖いだなんて。
















「ぎんちゃ…──い…」


眩暈をおこしそうな神経のざわめきに、ほとんど無意識によろめいた。
気づいたときには───…信じた支えの中に。
大きな両手の指が神楽の顔の上に置かれ、やさしく締めつけられる行方の中に埋没する。
この瞬間の前では、過去は一つの長い敗走でしかなかった。神楽の顔を持ち上げているその手、その熱くじれったい唇が、あんなに柔らかいと思っていたのに、少し乾いている。
その瞬間でないすべてのものが、怖いだなんて…。


銀時は相変わらず一言もしゃべらない。
普段は無駄なほどだらだらと口達者なのに、こういう時はほとんどしゃべらないのだ。ときどき息をつくために顔を持ち上げながら、ただ、神楽にキスしつづける。
まるで夢からさめたみたいに、自分の顔の上にある銀時の顔をおずおず覗いた。
ちらばる銀色の影が…やけにまぶしい…──。


じっとりと放心したと同時に、火のようなそれ…。その顔が、また酷くゆっくりと神楽の上に戻ってくる。
すぐに銀時の顔を見分けることが出来なくなる。
自分のこめかみや、瞼や、喉を襲う熱のもとに眼をつぶってしまう。
何かが自分の内に、神楽がまだ知らなかった、欲望の持つ性急さや焦慮でもなく、幸福でゆるやかな、ざわめきを持った何かが芽生えてきた。


銀時が自分から離れ、神楽はまた少しよろめいた。
先ほど死んでいた腕をふたたび取られ、無言のまましっとりと刺す雨の傍に向かい合う。
冬の雨は空気をやわらかくする。
ふたり同時に、ほうっと息をついた。


いま初めて気づいたみたいに、遠くの木陰が、外からかさかさと揺れる音が聞こえてくる。


窓の空に浮いたその陽ざしの影に、触れ得るすべてにキスされたいと思う反面、他のことは何もせずに、明け方までただこれだけをしていたいと思った。
すぐにくちづけでは物足りなくなり、欲望がくちづけを不要なものに変えてしまうのが、少しもったいない。──そんなふうにも思う。
今までの場合も、キスは快楽への一段階であると同時に、それは銀時が神楽に教えてくれたような、なにか尽きることのない、満ち足りたものではあったのかもしれない。
他のすべてが怖ろしくなるような、そんな愛しさ(かなしさ)も貴重ではあっても。


銀時は窓際にもたれ、神楽を腕のなかに閉じ込めた。
そうして目をつぶったまま、神楽もしばらくその胸に寄りかかっていた。












fin

愛は雨のなかの微笑みという人もいる。
でもほとんどの人が知っている、愛は痛みだということを。



more
02/18 00:04
[銀魂]




・・・・


-エムブロ-