濡れた純情をころすように








涙でいっぱいの青い瞳を見て自分がどう神楽を傷つけるべきかわからなくなった。



傷つける──?


これは危険な思想だ。けれどその時の銀時には、“叱りつける”ではなく、最もふさわしい自分の素直な感情の現れだった。
一旦、衝撃を受けた銀時はやがて気を取り直すと、泣いている神楽に近づきそっと肩を撫でてやった。
神楽が泣いたのは、また悪いことをして父親を悲しませてしまった、悪さをした子供の後悔の涙に近い。
してはいけないと何度もいわれ、自分も気をつけていながら、つい間違いを犯してしまった、そういう自分への苛立ちともいえる。
もちろん、現場を目撃した銀時は衝撃を受けたが、次の瞬間、これが自分の神楽だ、愛してやらなきゃいけない神楽だと思うと許せる気になってきた。悪さをしてはいけないといっておいたのに、また悪さをして見つかってしまった、そんな子供を慰め救うのは、母親や父親である存在しかいない。
そう思ったとき、銀時はごく自然に、神楽の頬を撫でることができた。
あんな見ず知らずの青年などが決して与えてやれないものだ。手紙でもお金でも与えてやれないもの。暑苦しさを振り払うように男に乱暴した神楽の、その鬱屈した後悔の涙を銀時はそっとさすってやる。
結婚した男女が母親と少年という関係になったとき、妻はより大きな存在になって夫のすべてを許すことができるというが、
このように時に父親と娘に似せた──自分たちの親愛関係としてある場合にも、例外ではないのかと銀時はうなだれた。
というか、例えがおかしくないかと銀時はさらにうなだれた。
自分と神楽はべつに男と女の関係ではないし、熟年夫婦でもないし、恋人でもないし、本当の父と娘でもないのに、世間一般のパターンに当てはめてみて思考するなど自分らしくない。
一緒に生活するうちに、神楽をどこか小さな奥さんのように思っていた自分に、銀時は今更ながら愕然となった。
その考えに至ってだらだらと尋常ではない汗が全身から噴き出してゆく。
往々にして、自分たちは距離が近すぎるのだと馬鹿みたいに思った。


二人のあいだには、親愛などという名称ではどこか生ぬるい感情も確かに存在していて、それを保護欲や何かしら運命めいたものに対する驚きや、執着や、責任といった言葉で自分を納得させてきた銀時だが、だからといっていつまでも今の状態のまま、ずっと変わらず共にあれるとは当たり前だが思っていなかった。
ふたりは結局は赤の他人なのだ。ずっと一緒にいられる、自分の傍に置いておけるなどという身勝手な幻想は当然許されない。
そういう普段考えるのも面倒なあらゆるしがらみを確認しだすと、もはやひりひりと胸が痛くなってくるので、銀時はますます困り果てた。
父親のような、娘のような、こういう自分たちのひとつの形を固定したまま、これからもずっと何か色んなことを救済されていくとは信じがたかった。
父親と娘に似せた形でなくとも自分たちは和解できるし、許しあえるし───大切にしあえるからだ。もっというなら、愛しあえるからだ。というか自分は神楽をたぶん愛しているんだろうと銀時は思った。愛してやらなければいけないのではなく、もうすでに愛しているのだと。


どうやら、人が愛を理解するのに、経験やら教えやらというものは関係ないらしい。
こういうふうにある時ふと一瞬で悟ったり、心臓を鷲掴みされるような命を握られる想いが愛なのかと、銀時は目の前が急に開けたような、自分の背後に、人生に、後光が差し込んだようにも感じた。
きっと何度生まれ変わっても、また出逢えるだろうという変な確信すらあるのだ。
しかしこんなたわ言を持ち出せば持ち出すほど、今の関係があやふやになっていく。
いや、それだけではない。とりもなおさず自分たちの未来が更に正常な男女を否定することにつながる気までしてきた。
あるいはそういう形でしか平穏を保てないのかもしれないと思うと、今度は泣きたくなってきた。目の前の神楽はまだぐずぐず泣いているし、それを慰めてやっている銀時がもらい泣きのような状態になったら目も当てられない。
要するに、銀時は男であり、神楽はまぎれもなく女なのである。
そこには理解はあっても納得は生まれない。
それは、銀時の愛が多分に純粋なだけの愛ではないからだろう。
おおいに下心があるのだ、いろいろと。


銀時の愛が、多分に純粋なだけの愛ではないのも、それ故だろう。










fin


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08/11 02:41
[銀魂]




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