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胸を貼って、顔を上げて

久しぶりに長文。

今日、田村市で市民講座があって元原子力対策委員会の委員長さんのお話を聞く機会がありました。福島復興の為に放射線の知識を持って前向きに頑張っていこう。
という内容だったのですが、いろいろと思う事が。
市民講座の内容とか、その他に不満があるわけではありません。
とても有意義で会ったとは思います。
そこは間違いなく。
ただ、まあ、ちょっといろいろと考えてしまいました。

お話の約半分が「福島県の放射能汚染による健康被害は出ないだろう」ということでした。
福島県の事故後の食品、農産物の基準は世界的に厳しいものであること。
自然放射能や医療放射能などで人間は常に被曝している。
それに比べたら福島が原子力発電所の事故で被った放射能被害は健康に影響するものでは無いというのは結構前から言われている話です。
ただ、私が気になったのは
「だから、基準値を上げた方がいい」
「福島が検査をしているから安心だ。というのは風評被害を助長する」
(検査しなければならないということは危険だからだ、避けようという考えを広めてしまう)
という話のあたりでした。
約9年ブログをやってきて身に染みて解ったことですけれでも、放射脳の方にいくら福島が安全だと主張しても無駄なのと同じく、不安な人にいくら安全だ、大丈夫、と説明しても完全に不安を取り除くことはできないということです。
人の心は除染はできないもの。
いくら万の言葉を尽くしても、誠実に品物を作り、数字を出したとしても「そう思う人」にとっては「隠ぺい」「改竄」「危険」になってしまうのです。

福島県が原発被害を受けたのは事実で、もう変えようはない事。
当たり前に、何も不安を感じずに自然の中で生きられた生活が返ってこないという事があの大震災と原発事故に寄って福島県民が負わされた大きな十字架であると思います。
でも、福島で前向きに生きようと決めた人たちは、その十字架と向き合い、ある人は土壌調査や品種改良をして美味しいお米や野菜を作り、ある人はそれを使って第六次産業を広げ地域を盛り上げ、そしてある人はそれを知らせようと様々な広報や展開に工夫を凝らしてきました。
戻ってこない人、既に別の場所で生活基盤を持った人を無理に引き戻す事は出来なくても、新しい産業や環境に興味を持った人たちに魅力的な福島を指し示し、新しく呼び寄せる事は出来ない話ではないように思います。
結局のところ、私達にできるのは
「私達はこれだけのことをやっています。
 その上で福島のモノを選ぶかどうかは貴方が決めて下さい」
と選択肢の一つを提示するだけだと思うのです。
私達は何も恥ずべき事はしていないのですから検査数値もちゃんと出し、経過なども知らせ、顔を上げて胸を貼って福島で生きる。
そうすれば、支えてくれる人、助けてくれる人はいます。
それを私達はちゃんと知っています。

福島は良くも悪くも世界に名を知られる存在になりました。
前にも何度も書いていますが、それを受け止め、理解し、逆に活用していく、元に戻す、ではなくもっと良くする、くらいで考えた方がいいのではないかでしょうか。

元の生活に戻りたい高齢者の方々や、各自治体の思惑とかも含めてそう簡単にいく問題ではありませんので忘れず、もっとしっかり考えて行かないといけないですね。

それを再確認するうえでも有意義な講義だったと思います。
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