初っ端から、字幕スーパーが入りました。
【名馬の流儀】
カッコイイなぁ〜プロ意識が見えるよ!
毎年12月、一年の締めくくりに開催されるG1レース。それが有馬記念。
“今から27年前、この華やかな舞台駆け抜けた一頭の地方競馬出身の馬がいた。”
【格差を乗り越えて】
“二流の血統でありながら、エリートの馬たちと互角に渡り合い、勝利する。その走りその姿に、人々は自らの人生を重ね合わせ、胸を熱くした”
“今夜の主人公は伝説の名馬、オグリキャップ”
キター(*゚∀゚*)!様々な関係者に取材を行い、その生き様に迫ります。
武豊騎手「まるで口笛吹いて走っているような感じでしたからね」
岡部幸雄元騎手「心がぶれないっていうか、安定してるんですよね。もう淡々と仕事をしてるっていう」
そしてテレビ画面にオグリキャップの映像と、“職業 競走馬”の字幕が(*´ω`*)。
本当に、オグリキャップの特集なんだと実感。
“競走馬の世界は、血統が圧倒的にモノを言う、言わば厳しい格差社会”
“なぜオグリキャップは、その格差を乗り越えることが出来たのか”
そう、私が競馬を好きなのは、あからさまに血統が優先される現実です。人間社会ではありえないし、小説で言うと、設定に惹かれるからです←つまり萌えです(笑)。
でも、ギャンブルはしません。ただ見るだけで満足です。
あと、妄想(*´ω`*)。サラブレッドを、いわゆる貴族的なものに見立てたり、G1優勝馬が勝てない馬に・・・とか、2着の馬が優勝馬に・・・とか。擬人化で。
私の妄想はさておき、関係者の証言からオグリキャップの強さは、性格と環境とトレーニングによるものだと分かりました。
ーーーところが。
“晩年、突然、惨敗を重ねた”
そう、オグリキャップも調子を崩し、もう勝てないならと引退が決まります。
引退レースは、オグリキャップらしく走ればいい。そんなファンの心情とは裏腹に、関係者たちは誰も諦めてはいなかったのです。
泣ける〜。゚(゚´ω`゚)゚。
演歌にも似た、オグリキャップの生き様は、日本人の胸を熱くさせました。
【ただ、ひたすら前へ】競走馬 オグリキャップ
岐阜県にある地方競馬場、笠松競馬場。その入り口には、一頭のブロンズ像が立っているそうです。ここから羽ばたいた、オグリキャップの像です。
オグリキャップは昭和62年、北海道からこの地にやって来ました。オグリキャップが暮らしていた厩舎が、今もあります。
大人しくて手がかからなかったオグリキャップに、活躍を期待する人は、いなかったそうです。
デビュー前の調教で走ると手応えの無い走りで、周囲の人から低い評価を受けます。
その上、血統もあまり良くありません。
オグリキャップの父親が、ダンシングキャップという馬で、二流の血統だったからです。20戦中、僅か5勝、それも大きなレースでは一度も勝てなかった馬でした。
そのため、オグリキャップが生まれた時の評価額は、たったの500万円。
一方、G1を7勝したディープインパクト。父親がアメリカのレースで優勝したこともある名馬サンデーサイレンス。だからディープインパクトが0歳の時の競りでの落札額は、7,000万円。
オグリキャップの10倍以上で、既にスタートから違います。さらに、ディープインパクトの子どもたちの取引額が、1億円を超えることもあるそうです。
血統の良い馬ほど活躍する可能性が高く、期待も注目も集まる=競馬界の常識。
そこに殴り込みをかけたのが、オグリキャップなわけで、つまりは下剋上です。
でもまだ評価が低い、血統が二流の馬の馬主に誰がなったかというと、小栗さんという人でした。
小栗さんは若い頃に苦労をし、やがて事業を興して成功して、地方競馬の馬主になります。
人の意に従うしかない競争馬に対し、小栗さんは幼い頃の自分と重ね合わせ、血統が二流の馬であればあるほど、愛着を感じました。
やがて、オグリキャップのデビューが近づき、関係者から期待が寄せられるようになりました。
一流馬特有の、スピードが乗ってくると重心が下がる姿勢を見せたのです。
そしてデビュー戦。僅かな差で2着でしたが、悪くない走りで、次のレースでは見事1着。
その後、地方競馬特有の環境で強さを磨きます。
普通、レースが続くと競争馬は食欲が落ち、体重が減ることが多い中、オグリキャップは逆に体重が20sも増えたという(笑)。
レースではゴール前で逆転したりと、闘争心や根性、意地を持っていた馬だと、騎乗した騎手が語ります。
オグリキャップの強さは本物でした。
デビューから8ヶ月で、12戦10勝という破竹の快進撃を続けました。
オグリキャップの活躍を喜ぶ反面、馬主さんは複雑な思いを抱いていました。
地方競馬のオグリキャップに、中央競馬への移籍話しが出ていたのです。
しかし、馬主さんは中央競馬の所有資格がなく、オグリキャップの活躍の舞台を中央に移した場合、誰かに譲らないといけません。
馬主さんは悩んだ末、オグリキャップのためを思い、手放すことに決めました。
名前だけは変えないで欲しいと、1つだけ条件を出して。
そして、オグリキャップにとって中央競馬でのデビュー戦は、見事1着。元の馬主さんは競馬場で見守っていて、万歳をしたそうです( ;∀;)。
中央競馬でに移籍して、6連勝。マジ強いです。
ここからは、なぜオグリキャップは強かったのか、検証に入ります。
人間を含む他の哺乳の心臓が体重の0.6%なのに対し、サラブレッドの心臓は体重の約1%。ほぼ2倍もあり、安静時の心拍数は1分間に30から40と言われています。
ではオグリキャップはというと、24から27ぐらいの間の心拍数。低いです。
つまり、一回のポンプで送り出す血液が多く、大量の酸素を全身に運べる、持久系に強い“スポーツ心臓”に、鍛えられていた証しだそうです。
さらに、オンとオフ。レースと厩舎での気持ちの切り替えがうまかったことも、強さに繋がりました。
厩舎では寝返りをうったりリラックスして、レースではゲートに入る前に、武者震いをするなど気合いを入れる。
“このメリハリこそが【芦毛の怪物】、オグリキャップの仕事の流儀なのだ”
カッコイイ〜(≧∇≦)。
そして中央競馬に移籍して半年。昭和63年(1988年)10月、初のG1レースとなる秋の天皇賞。
タマモクロスにさされ、初めて敗北を喫しました。
現役最強のタマモクロスに勝つため、騎手を変え、リベンジをすることに。2ヶ月後の、タマモクロスにとって最後のレース、第33回有馬記念にオグリキャップも出場します。
発走1分前。ゲート入り前に、武者震いをするオグリキャップ。レース前のルーティンです。
レースはオグリキャップが先行して、追うタマモクロス。外からタマモクロスが並びましたが、オグリキャップが逃げ切りました。
(´;ω;`)リベンジー!
皆が興奮する中で、オグリキャップは“いつも通り淡々と”平静な姿でいられる、稀な馬でした。
“オグリキャップが見せた、プロフェッショナルの姿だった。”
。゚(゚´ω`゚)゚。シビれるよおおおおお。
その後も、中央競馬で戦いを重ねるオグリキャップ。格差に負けず走るオグリキャップに、人々は共感します。
クラッシックに出場していたら、どうだったんだろうな。
やがてオグリキャップも体調を崩し、温泉療法などをして休養を取ります。
温泉に身体を浸し、頭にはタオルをのせてもらい、気持ちよさそうに目元を緩めているオグリキャップ。かわいいよ〜!
デビューしてから三年、酷使してきた身体です。痛みを抱え、走るのも大変だったでしょう。
その前も、レース→故障→休養→レースを繰り返しています。
ところが、この1ヶ月に渡る温泉療法が、オグリキャップの強さの一つだったスポーツ心臓を、普通の心臓に戻す結果になったそうです。
心拍数が、普通の心臓になっていました。卓越した心肺機能が、衰えてしまったというのです。
復帰初戦のレース平成02年(1990年)10月天皇賞・秋。ラスト200で失速して6着。
翌月平成02年(1990年)11月ジャパンカップ。11着と大敗。
関係者は年末の有馬記念を最後に、引退させることに決めました。
マスコミはもうダメだという論調の中、関係者は最後に勝たせようと懸命に調教を行いました。ファンからも、熱いファンレターが届きました。
有馬記念は条件がありますが主に、ファン投票によって出走馬が選ばれます。
前年のファン投票1位だったオグリキャップは、5着という結果でした。
引退レースとなる平成02年(1990年)12月23日有馬記念。ファン投票1位は、やはりオグリキャップ。
調子が悪いのに、オグリキャップを応援するファン。泣ける〜!
でもオッズは一番人気じゃなかったという、シビアなギャンブルの世界(笑)。
中山競馬場のスタンドには、史上最多の177,000人の人が詰め掛けました。
競争馬としてのオグリキャップに最後に騎乗するのは、武豊騎手でした。
レース前の騎乗でもまだ、オグリキャップの調子がいいとは言えない状態だと思いながら、オグリキャップらしい走りをさせようと、レースに臨みます。
ゲートが開き、各馬一斉にスタート。
その直後、武豊騎手はオグリキャップの走りの良さに気付きました。
気持ちよさそうに走るオグリキャップ。
オグリキャップは頭の後ろに、丸い飾りを着けて走るから、かわいい。
残り800mの最終コーナーを回ります。この時はまだ、先頭を走る馬がいます。
そして最後の直線。スタンドにも、馬たちが駆ける足音が響き渡り、歓声が上がりました。
残り200mを切り、外からオグリキャップが先頭に並びました。
追う後続の馬、逃げるオグリキャップ。
「オグリ先頭、オグリ先頭、オグリ1着!」
「スーパーホースです!」
「オグリキャップです!」
アナウンサーも思わず絶叫。
ウィニングランの中、スタンドからのオグリコールの大合唱。泣くファンたち。
私もテレビで見てたよ〜憶えてる〜。
引退後は北海道の牧場で、余生を過ごし、7年前にこの世を去りました(>_<)。
種牡馬として遺伝子を残しましたが、子どもたちの成績は奮わず。
他の生産者からは懐疑的に見られている中、オグリキャップの孫に夢が託されています。
新たな伝説が生まれるのか。
これからも、競争馬を応援したいと思います。
さて、ここからはド素人の私なりに、印象に残っている他のレースについて。
それは、トウカイテイオーの引退レース、有馬記念です。
トウカイテイオーは、スラーッとした馬体が綺麗で、子供心にカッコイイなぁ〜と。父親がシンボリルドルフで、オグリキャップとは、もう雲泥の差。
表現が悪いですが、エリートと庶民です。
なんやかんやあって、トウカイテイオーの引退となったレースは、その後、私の人生を変えた小説にも顔を出し、決定的になりました。
「炎の蜃気楼シリーズ」『アウディ・ノス』
ダメ押しです。
萌えの魂に、焼き印を押された感じです。
競争馬に萌える人、他にもいらっしゃいませんか(笑)?
end
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