今日は海辺で研修会に参加していました。私もちゃんとした指導者になろうと思って。

ほとんどが何らかのスポーツをされている人々なんですが、私のとなりに座っていた人はスポーツマンというよりはアパレル業界の人のようで……おしゃれだし、休憩中には文庫本を読んでいたり。
なんとダンサーなんですって〜
なるほど!

ダンサーのポケットには文庫本が入っていた。
いいですね〜すてきです。


◆ここから私が読んだ本のこと◆

〈あの子の心の叫びが聞こえないのですか?〉
青木和雄『ハッピーバースデー』

子どものころから幾度となく読み返している本です。先日文庫本をたまたま手にする機会があって、また読みました。上に引用しているのはおわりの解説に書かれていた青木さんの言葉です。カウンセリングの場面で、相談者ははじめからすべてをさらけだすわけではなくて、必ず隠された心の声がある。ただそれは、見えない叫びとして会話のなかに示されている。ということらしい。
私のところにもたまに、本当の言葉を隠して会いに来る人たちがいます。なんで隠しているのかわかるかというと、何か言いたそうにしているけど口を閉ざしてしまうから。聞いても言ってくれないことのほうが多いんです。心を開いてもらえないことはさみしい、悔しいと思うときもあるけど、何も語らなくても「訪れる」ということじたいが最初のメッセージなんだろうなと最近は思います。来てくれるだけいいよね。


肥田美代子『森の本やさん』

『山のとしょかん』みたいにふしぎなしかけがなかった!


『山の粥』

どう説明するべきかとまどうのですが、被差別部落とされていた地域につたわる伝承話をあつめたものです。
山の粥というのはホルモンの入った雑炊のことです。飢饉で餓えた民たちは、ふだんは閉ざされた集落へ山の粥をめぐんでもらいに行く……ひそかな助け合いと交流があった、というむかしのお話。

だからどう、という物語ではなくて、ただ他の人と違うように扱われることのつらさや切なさ、やるせなさを語りかけてくる、シンプルな話が多いです。
問題の核心は本当に単純なことであって、人をわけへだてしているということ。ただそれだけなんだけれど、それだけのことがずっと解決されなかった。読みながらそういうことを思い知らされる気持ち。





最近読んだ本