大変ご無沙汰しております、椿で御座います。

2019年になり暫く経ちましたが
まだこのブログに読者は居るのか。
日々の記録用として消せず
大切な想いも総て綴ってきた場所です
SNS時代が変わろうと
私の場所は変わらないのです。

2018年、
私にとって大切な大切な人が亡くなりました
葵さんのお父さんです。
桜がもう咲きそうな春先のことです。
最期まで恋人だと言えなかったけれど
そんな私を娘みたいなもんだと言ってくれた
優しくて大好きなお父さんです。
未成年の頃からずっと、ずっと
私のことも愛情で包んでくれた人です。


夏、大阪北部地震がありました。
発生当時は会議に向かうための地下鉄内で
扉が閉まる直前でした。
これは大変な事が起こったのかもしれないと
規制がかかる前に地上に上がってみたら
被害は見えずとも物凄い人の海で。
総ての交通機関が麻痺し、電波もほぼ繋がらず
取り敢えず中心の大阪駅に向かって
途方も無い距離を歩くしか無い人達が印象的でした。

当時の勤務地が震源地であり、
店は勿論のこと働く人の家庭にも甚大な被害を受けました。
次第に視えてくる被害と実態。
皆生活を再構築する為に必死でした
防災意識が高まったのも、ここから。

それから僅か3ヶ月後
台風21号の被害。
勤務地が変わり着任一週間後のことでした。
此処も地震被害が酷く深く
ブルーシートをかけた修復途中の家が多くありました。
そんな最中の台風直撃。

私の勤務する店舗は
倒壊した建物に電線を断線され停電。
断水、電話線も断線、ネットも繋がらず。
そのまま数日、暗闇の中で普及作業をしました。
物凄く綺麗事だけど
私のしている仕事は誰かの生活をサポートする事だから
可能な限り早期復旧を目指していました。

今、また日常を過ごせることを
本当に有難いと思えるし
まだまだ深い傷跡が残っている場所に
早く安心出来る環境がくることを祈ります。

それから少しして、ずっと張り詰めた緊張感が
緩められなくて心身共に崩れました。
慣れない職場で大災害に対応し、
職場での人間関係に責任に疲れてしまって
何でもいいから死にたくて
会社の偉い人達と何度も話し合いをしました。
辞めるつもりで総て気持ちを話し
嫌だったこと、ジレンマも葛藤も

そこから少しずつですが環境が変わり
自身の心持ちも変わり
少し楽になれた気がしています。
相変わらず苦しい事だらけだけど
楽しいと思える日も増えた。

そして北部地震から数日後に
私にとって何よりも大切なバンド
アンティック-珈琲店-の活動休止が発表されました。
過去にも活動休止はあったけれど
今回はボーカルみく以外が脱退
事実上の解散発表です。
それもあって、毎日ギリギリの心でした。

多方面からのサポートを受けて
可能な限り全国のライヴを巡って
とても幸せなラストツアーだった。
こんなに泣けるのかと思うような半年間。

そして2019年1月5.6日のgrand finale
私の一生分の大好きを込めて
長い長いアンカフェ生活が終わりました。
メンバーが生きていてくれることだけ祈って
また いつかを願って。


時系列がアレなんですけれど。
2018年12月25日で葵さんと交際10年になりました
色濃くも不鮮明な日々の中で
不安定になりながらも支え合ってこれた事
間違いなく私の宝物です。
葵さんと出逢えたから繋がった縁も含めて。

今もまだ遠距離中ではありますが
定期的に違いの地域に行き来して
欠かさず連絡を取り合って
昔と変わらずくっだらないことで笑いあっています

歳を重ねて、同性と付き合うことを
一種のステータスという部類と人とも出会わなくなり
そちら関係ではとても穏やか。笑
誰が誰とでも良いんだけれど
私たちを流行りの一部にしないで。


色々あった2018年。
久々に長文を打つと疲れる。けど
吐露したかったんだ、この気持ちを。
大切な気持ち、記憶はどうしたって薄れる。
引き出して浸れるような時間も欲しいのです。
いつまでも此処はそうで在りたい。

読み辛くてごめんなさい、
読んでくれてありがとう。
読みやすい短文も良いけれど
たまには会話、してみませんか?

まだまだ寒い日が続きます
風邪をひかないようにご自愛くださいね
では、また+