以下部分抜粋
未完成サンプルです。

和光基地内には、さらに警備の厳重な区画がある。
箱庭ともいえるその一角は分厚く高いコンクリート・ブロックで囲まれ、中の様子を窺い知ることはできない。
複数箇所の出入り口を通過するには身分証明書と専用のパスの提示が必要で、実弾を装填した銃を持つ兵士が常時そこを警備していた。
それだけではなく、ジャーマン・シェパードを携えた兵士が常に塀沿いを巡回している。
ただ一箇所開放されたゲートは航空機用の出入り口で、飛行場に直結している。
ここには扉はないが、常時複数台の監視カメラが周囲を睥睨していた。ーー基本的に安全を保証されることが前提の基地の中で、である。
1機が数十億と言われる戦闘機の格納庫でさえ、区画を囲うものはないのだ。
通常、武器・弾薬庫やレーダー施設などを除き基本的にブロックのない軍の基地において、この場所は誓にさえ威圧的な印象を与えた。
ずっと塀沿いに歩きながら、3人、2人と連なる海兵隊員とすれ違う。
紺色をベースに、引き裂いた跡のように黒と濃紺を重ねた迷彩服。
軍隊の中で飛び抜けて気の荒いと言われる彼らを流し見ながら歩く。まだ幼さが感じられる兵卒から飄々とした下士官まで、面立ちは様々だ。
それでも、彼らは一様に海兵隊員の顔をしている。まるで、共通の遺伝を継いでいるかのように。
その彼らに、空軍の自分はどう見えているのだろう。
誓の着る、灰色の濃淡をピクセル状に重ねた迷彩服は、春の日射しに白っぽく浮かびあがる。
関東一円を覆う高気圧が、基地内に暖かい春風を呼ぶ。濃い草緑に揺れる沢山のタンポポに、誓は目を細めた。
規則正しく碁盤に設計された基地と、真っ直ぐに整備された道、白い建造物。その合間の草地だけが、軍隊らしくない自然の造形を保っている。
道端の草地は、殺伐とした基地内に小さく季節を運んでくる。昼休みの気だるさに浸りながら、誓はその傍を歩いた。
その先に、コンクリート・ブロックの切れ目に設置されたセキュリティ・ゲートが見えてくる。
民間人の見学はもちろん、議員でさえ理由なしには入れない場所。
ーー飛行開発実験団、略称ADEX。
和光基地に設置された、陸海空軍を統べる統合軍直轄の部隊。
厚い機密の壁に阻まれたその場所で、次世代の高度な技術は生まれる。
胸ポケットには、誓がそこに勤務する一員であることを証明するパスが入っていた。
ゲートに近づくと、兵士のヘルメットの庇の下の目がこちらを捉える。ぼーっと周囲を見渡すかのような彼らの瞳は、それでいて絶えず異常を探るレーダーだった。
肉眼のX線ゲートが、それとなく誓の爪先から顔までを通過するのを探知する。
車両の突破を防ぐために、いつでもそこには巨大な棘を備えた移動式の障害物が設置されていた。

「どうも」

一等兵に軽く目礼をすると、パスと身分証明書を提示する。胸に縫い付けられたネームに視線が走った。
氏名階級、そして顔写真を確認した兵士がもう一度誓の顔を見た。
顎に目立つ黒子がある。小鼻が赤く、黒目がちな、まだ十代らしさを残す顔。

「お疲れ様です」

おざなりな敬礼をした兵士に、おざなりな敬礼を返すと、誓はゲートを通過する。
そして、壁ひとつを隔てて守られている世界に足を踏み入れた。
ここに来てから数日が経ったが、未だにこの風景には慣れない。
3階程度の、飾り気も全くない白塗りの建造物が続く風景は軍隊的であると言えるだろう。
だが、合間に存在するコンクリート壁の建造物はそれらを軽く凌駕するほどに大きく、窓もないその様は周囲を圧迫するようだった。
高さは5階にも届くだろうか。正方形に近く、備えられたシャッターは閉ざされている。
灰色のコンクリは筋状に黒ずみ、廃虚を思わせる。似たような施設がそこかしこに点在していた。
新型戦車や航空電子機器の実験を行っているのだというが、当事者でない限りどこになにがあるのかは把握できない。
箱庭のなかに漂う独特の閉鎖感と非現実感は、悪趣味なシュルレアリスムの絵画に入ったような感覚を呼び覚ます。
道を歩きながら、海軍の少佐とすれ違う。彼は白衣の技術者と連れ立っていた。
向かいには軍事企業のロゴが入ったツナギを着た技師。だらしない格好の科学者は大学からの出向だろうか。
高級な指揮官と、彼らを気にするでもない技師や科学者の混在する風景は、一種独特の空気を作り出していた。
塀の外と内で変わらないのは、風とタンポポだけだ。
そのまま飛行場に向かって歩み続けると、航空機セクションになる。
飛行場エリアに走る道に沿って、かまぼこ状の格納庫がいくつも連なるのが特徴的だった。
アリーナひとつ分はある格納庫は日射しに光り、カーブした屋根から立ち昇る熱が空気を歪めている。
その上空で風に乗るカラスが、塀や格納庫に歪められた風の動きを忠実にトレスしていた。
風洞実験だ。誓は小さく呟く。
ちょうど道路の中央を飛行場に向け、牽引車に曳航された偵察ヘリコプターが向かう。
川魚のような、丸みを帯びてすらりとしたフォルムはOHー1だ。川崎重工が開発し、陸軍で運用されている現在も尚改修が行われている。
ブラックの陸軍塗装を施されてはいるが、機体はすんなりとした優しげな印象を与えた。
それを見送り、誓は周囲と同じく無個性な建造物に入る。
今時軍隊にしかないリノリウムの床が、よく磨かれて廊下の景色を映していた。
ふと、誓はそこに珍しく漂う土と汗の臭いを感じ取った。湿った土の塊がぽろぽろとそこかしこに落ちている。
生の土の臭いと、薄まってもムッと湿り気を残す汗の臭いが混じり、見えない軌跡を残していた。
それを追いかけると、階段を上がり、廊下の中程に行き当たる。パイロットの更衣室だ。
入り口には、表面に乾いた泥と湿った泥がこびりついたナイロンのバッグが置かれている。膨らみが大きいのはヘルメットバッグだからだ。
数枚のワッペンが貼られ、それはNATO軍の多国籍訓練参加や大規模演習参加などの持ち主の戦歴を示していたが、それも今は泥にまみれている。
時計を見れば、まだ10分ほど時間があった。掃除用具入れから箒を取り出し、誓はとりあえず廊下を掃き始める。




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