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【短編】左手

ひとつめ
とある雨の夜、歩兵の小隊が基地内を行進していた。
ポンチョのフードを被ると、視界は狭くなる。暗夜に降る雨がポンチョに当たってポッ、ポッと当たるのを聞きながら歩いていた。
前を歩く背中だけを見ながら進む。ザック、ザックと背嚢が音を立てる。
その日はいつもより疲れるのが早く、どうということのない道でさえ酷く長く感じられた。
(おかしいな、昨日酒を飲んだわけでもないのに・・・)
肩に背嚢の重みが食い込む。やけに足が重く、肩が痺れる。休憩になった時には既にヘトヘトになっていた。
這々の体で休んでいると、隣に座った先輩が顔を顰めて背嚢を見ている。
「おまえ、これ何だ?」
何を咎められているのかと、背嚢を降ろすとそこには見覚えのない長い髪の毛が何本も絡まっていた。

ふたつめ
霧の濃い朝に、ロープ降下訓練用の鉄塔の側を通ると、誰もいないのにブラブラとロープだけが揺れている時があるという。
ロープは訓練の時にしか設置しないのに、だ。
そのロープを触ってはいけない。触ると近いうちに大怪我をするという。
昔、そこでは訓練中に落下して死亡した歩兵がいたそうだ。

みっつめ
一年のうちのある一日だけ、とある機番の輸送機が飛行を自粛する日がある。
コックピットの液晶画面に、人の顔のような画面焼けが出るのだそうだ。整備員の中には、その顔が動いたのを見た者もいるらしい。
その機体は、数年前に起きた墜落事故の遺体を運んだもので、とある日とはその事故が起きた日らしい。

よっつめ
夜中に、兵舎のホールに設置されている内線電話の受話器が外れているとき、スピーカーに耳を当てると呻き声が聞こえてくる。
とても苦しそうな呻き声で、今にも死にそうに聞こえるのだそうだ。
呼吸はどんどん弱っていき、やがて大きくはぁーっと息を吐く。
そこまで聞くと、無機質な声で「20××年、某月某日」という日付が流れる。人によって日付はまちまちで、それはその人が死ぬ日らしい。

いつつめ
戦地から帰ってくる輸送機のカーゴハッチが開いて、怪我をした兵士がぞろぞろと降りて来たとき、それをじっと見てはいけない。
その輸送機が棺だけを積んで来ていた場合は、特に。

むっつめ
戦闘訓練場で、前を匍匐していた男が地面の溝に入った。だがいつまで経っても這い上がってこない。
溝まで進むと、そこには誰もいなかった。
同じ班の人間も、間近で訓練を監視していた教官でさえも、彼がいつ消えてどこに行ったのか分からなかった。
憲兵隊や基地中の人間が彼を探したが、結局彼は見つからなかった。
それから、夜中の戦闘訓練場にいくと、荒い息と地面を這いずる音が聞こえるようになったという。

ななつめ
メモリアル・ミュージアムに飾ってある旧式の銃剣は、夜中に覗き込むとどす黒い男の顔が映り込む。
突然発狂した士官が部下を刺し殺した曰く付きの銃剣で、その銃剣だけはいくら磨いても赤サビがつくのだそうだ。

「これが、うちの基地で有名な怪談ですねえ」と締めくくると、目の前の空軍軍曹はふうんと呟いた。
停電の夜の格納庫は、墨のように黒い。ランタンの明かりが空軍軍曹の、少女を残した顔を下からぼうっと照らす。
「どれも伝え聞きばっかりですし、正直信じちゃいないですけど」と言うと、「まぁ、そうですよね。私も、あんまりそういうの信じないですし」と彼女は相槌を打った。
それなら彼女の左肩に乗っている、血まみれでボロボロの、手袋を履いた手は何かと聞きかかったが、やめた。

続き。パスワード同じ

後編。引き続き微エロ注意


たらりと太腿に垂れて落ちる濁った雫を、息を整えながら感じた。
ぐったりと佐久の上に身体を投げ出したまま、誓は動かない。身体に触れる腹が、呼吸に合わせて上下する。
虚脱感が全身を襲い、同時に現実に引き戻される。
カーペットに落ちたボタン。床に転がるボトル。蛍光灯の光がやけに眩しく瞳孔に突き刺さる。
頭がぐらぐらする。どうしてこんなことをしてしまったのだろう。
しでかしてしまったことの重大さも、まだうまく考えられなかった。
この一発で孕む可能性だって充分にある。リスキー過ぎる行為だった。
それなのに、すぐに動けない。引き抜いてさえいなかった。
「ん・・・」
モゾモゾと動いた誓の太腿が、骨盤に当たる。敏感になった先端がまた肉壁に当たり、思わず短く声を漏らした。
あ、と呻きながら顔を上げた誓が、ぼーっとした目で佐久を見つめる。
髪の毛は乱れ、首筋にはいくつかの赤い斑が落ちている。
「・・・もう、パイロットってみんな強引なんだから・・・」
溜息混じりにそう呟く誓の声はまだ、湿り気を帯びていた。
そう言いながらも、佐久に体重を預けたまま動く気配もない。その唇に軽くキスをして、佐久は再び身体を抱き寄せた。
柔らかく、温かく、すべすべしたもの。ずっと忘れかけていた何か。
何ともいえない安心感と、猫を抱いたような眠気。
それが、苦い記憶と入り混じって何とも言えない気分になる。
絶頂の余韻が引くまで、佐久はその中に留まっていた。

誓が腕を上げると、ちゃぷ、と水音が響く。狭い湯舟は、2人入るとますます窮屈だった。
適温の湯からは、耐えず湯気が這い上がる。佐久の胸板に背中を預けた誓の、濡れ髪から漂う香りが鼻腔をくすぐる。
「みほさんがね」
「ん?」
「デキたらかなりレアケースなんだって。軍用サイボーグ手術した両親から子どもができたことって、まだないんだって。あんたなら父親もはっきりしてるでしょ、いいサンプルよって」
「ん」
「可笑しいよね」
誓は何が可笑しいのか、ケラケラと笑って水と戯れる。
あのみほならそういうことも平気で口にするだろう。
「そうなったら、色々頭を下げに行かないといけなくなるな・・・」
誓の両親。娘に怪我をさせた上に孕ませたとなれば激怒では済まないだろう。自分の両親にもどやされる。
鳥海。苦い顔をされる。自分の上官。在任中の職場内での交際ということで、いい顔はしないだろう。教え子たちは驚き、噂を囁きあうに違いない。
「でも、今じゃないとダメなんでしょう?」
「まぁな」
「今じゃないとまた、遠くなってしまうから」
そう呟いた一瞬、誓の声音が平坦になる。
戦争から途中で離脱し、戦争が終わるまで、誓がどんな気持ちでいたのか、計り知ることはできなかった。
いつかまた始まる争いを、どんな気持ちで待っているのかも。
血色で赤く染まった肌が、湯船の波に揺らぐ。
どんな表情をしているのか知りたくて、顔を横に向けさせた。
濡れた睫毛が湯気のせいなのか、それとも涙なのか、分からない。
身体を捻って佐久の首筋に額を寄せた誓が、黙って俯く。
「・・・一緒に行きたいな」
佐久はそれに答えなかった。
いくさ場で生き続けることを自らに課していた誓にとって、現場を離れることは耐えがたいことなのかもしれない。
それでも、佐久は誓の死体を見るのが嫌だと思う。
死が例え必然であっても、それでも尚失いたくなかった。
まぶたの裏に焼き付いたのは、女子供の死体がボロ布のように落ちている街角の景色。
両目を抉られた、全裸の捕虜の死体。痣の色で全身が黒ずみ、満足な関節は一つもなかった。
陵辱を受けた女が、発狂して半裸で泣き叫ぶ姿。重機関銃に引き千切られ、腸を露出した兵士の半身。
自らが死を与える立場でありながら、誓がそうなっているのを見るのは嫌だった。
それがただの我儘な願望だとは分かっている。
それでも思う。そんなことがあってはならない。そんなことが、罷り通ってなるものか、と。
佐久の鎖骨に垂れる誓の髪も、胸板に当たる丸い胸も、この手からすり抜けていくことを許せはしなかった。
身体をまさぐる。それは手の中に存在する。湯舟の中に、実体を持っている。
そこに生きて、実在することがひどく安心感を与えた。
表面に落ちる手に、誓は身じろぎをする。聞こえないほどの息混じりの声が、再び佐久を刺激した。
掌に溢れるほどの胸を掴み、捏ねると、ぶるりと誓が身震いする。
指の腹で、血色の塊を撫でてやると、わずかに唇が震えた。弱い力で、焦らすように優しくさする。
「あ、くっ」
揉みしだけば、零れそうな胸が指の中で形を変える。
骨がない、マシュマロのような肌触り。その奥に感じる、弾むような皮下組織の塊。
発情の密やかな旋律が、再び血液を熱くしていく。
神奈川の片隅、安アパートの狭い浴室で、最も精密な兵器たちが絡み合う。
人の道から堕ちてなお、人の本能の根源からは逃れられなかった。
身体の奥まで、蹂躙し尽くしたい。自分の遺伝子を、胎内に残したいという本能の声が脳裏に響く。
「また固くなってる」
筋のない指先が、充血し始めた屹立を包み込む。肌を合わせる安らぎと、その先に待つものが佐久を誘う。
青い脈が浮かんだ茎を包んで撫で下ろし、誓はふふっと鼻声で笑った。
「ねぇ、どうしたい?これ」
わざとそう聞く誓の声と、息が耳の中をザワザワと擽る。
下腹部に付く反り返りを、生殺しの緩い力でしごく掌。
それが先端を擦る度、腰が跳ねそうになる。今夜はとことん余裕が無かった。これでは、中卒で軍隊のパイロット養成過程に入った時と変わらない。
アルコールと湯の温度にのぼせているのか、またマトモな思考回路が溶け落ちていくようだ。
湯の表面が、誓が手を動かす度に波打つ。
尖った水面から水滴が跳ね、くぐもった声が漏れる。自分の喉が閉塞して、喉仏が動いた。
潤んだ瞳で佐久を見る誓の顔は、少し切なさを帯びていた。
横向きにしなだれかかる身体のライン。楕円の喫水線が引かれた胸。
見下ろせば、水の向こうで、少し太腿を持ち上げている。
「お前はどうしたい?」
誓の身体を抱き込む。湯船の壁に凭れさせて、向かい合ったまま腰を持ち上げた。
腕で大腿を持ち上げると、いくつかの襞に守られた入り口が露わになる。この期に及んで恥ずかしいのか、わずかに誓は顔を背けた。
尻の丸みから続く、緩やかなアーチは、二次関数の曲線のように無駄がなく、美しい。
問いかけに対する、ん、という答えにならない答えも聞かずに佐久は続ける。
「おれは挿れたい」
先端が、花弁を押し分けていく。裏返った声を聞きながら、ゆっくりと奥まで侵攻していく。
収まるべきものが収まるべき場所に収まっていく安息が、全身を満していく。
ふわふわしてツルツルした壁が佐久を圧迫し、半開きの唇から唾液が垂れたのに気付いた。
今度は挿れたまま暫く、留まった。胎内に続く肉の道はキツく、緩やかに湾曲している。
不意に、誓が手を延ばした。その指が、佐久の頬の傷に触れる。
その傷を愛おしむように、優しく指はその上を辿った。
何かを言おうとして動いた唇が、何も紡がずに閉ざされる。
ぐっと溢れて瞳を覆うものを、誓は光を遮るように顔ごと掌で隠した。
腰をゆっくりと押し当てると、尻肉の柔らかいクッションにぶつかる。
あ、ああ、と、緩やかな波に声が途切れる度、涙目を隠す横顔が覗く。
引き抜く寸前まで腰を離すと、段差が狭い入り口に引っかかり、余計に強く感じる。
あうっ、と漏れたひときわ大きな呻きと、激しさを増す息。絡まり合うそれらの合間に、誓が何かを呟く。
「・・・ないで」
「誓?」
聞き返すと、顔を背けながら、誓は涙と言葉を零す。
「お願いだから、思い出して、それだけで、いい、か、ら」
濡れ髪が張り付いた横顔は紅潮し、伏せた目の縁もまた血色に染まっている。
肉の道を奥まで滑る佐久に、腰を弓なりに反らせながら呟いた、たった一言の哀願。
いくさ場から消え、佐久の記憶の中で色を失っていく自分を、恐らく誓は知っていた。
「私が、消えて、も・・・」
その言葉の続きを、佐久は唇で塞ぐ。応えるように首に回された腕に、力が籠る。
腰を往復させる度に、湯船の表面は左右に揺れて砕けた。
強くねじり混んだ自身が、胎内まで突き刺さっていく。
くすぐったさを最大まで強くしたような、蕩けるような快感が腰椎を這い上がる。
孕ませるかもしれないな、と、どこか頭の片隅で他人事のように考えた。今さらどうにかしても無駄だ。既に一度中に放っているのだから。
唇を擦り合わせ、舌を舌で犯しながら、腹筋と大腿筋の力で女の最奥を突く。
血肉が、快楽に燃えていく。
水が揺れ、波がぶつかる度にバシャバシャと湯が溢れた。その音が響く度に、首筋を抱く力が強まる。
一度出し切ったものが、再び佐久を圧迫する。脳髄まで、鋭い電流が走ってくる。
「あ、やっ、ぁぁ」
重ねた唇から、悲鳴が漏れた。荒くぶつかりながら、せい、と吐息の中で呼んだ。
「やらぁ・・・!」
酸欠の頭の中で、快楽の針が暴れる。限界が近い。
骨がビリビリと帯電し、腰が壊れそうな過電流が流れる。
誓が、太腿で腰を捕まえ、はっと息を漏らした。
瞬間、内圧が抜け、再び胎内に液状化した本能を放った。
抜けていくトロみを感じながら、佐久は、ひとときの安心感に溺れていった。



朝になったら、タクシーで帰りますから
半ばうつらうつらとしながら、その言葉を佐久は聞いていた。
ベッドの隣で、ジッと天井を見る誓の横顔はまた、青白く冴えている。
猫がグルグルと喉を鳴らす音だけが、部屋に響いていた。
働かない頭を巡らせて、佐久は答える。
「朝になったら家まで送る」
今車に乗れば、飲酒運転だ。まさか教官が飲酒運転をするわけにはいかない。
それに、衣類をまとわずに触れ合う肌の心地よさに、もう少し満たされていたかった。
寝返りを打ってこちらを向いた誓が、じっと瞳を向けてくる。さすがに誓の顔にも、少し疲労が浮かんでいた。
床に落ちたままのブラウスを思い出す。
「あの服じゃ、タクシーなんか乗れないだろ」
「お陰様で」
寝床の中で、緩慢に会話を続ける。涙の残滓も、もうそこにはない。
壁の時計が、ちょうど11時を指す。同じ温もりを共有しながら、とろとろとした夜が過ぎていくのを眺めていた。
「なあ」
「何ですか」
また、科目教官の谷川に戻った誓の口調。
「本当に、デキてたらどうする」
「・・・明日、病院でアフターピル貰って来ますから。それが失敗したら、心配してください」
断ち切るように、誓が答える。
「主任教官が、部下を妊娠させたらマズイでしょう」
「良かろうと悪かろうと、行動の結果だ」
カーテンの端から、ヘッドライトのハイビームが射し込んでは消える。
その光から守るように、今晩何度目か、誓の身体を抱き寄せた。
「もう寝ろ」
「・・・はい」
小さな背中に色々な想いと、不安と、悲しみとを背負って生きてきたのだろう。どうして、その苦しみをこの手から放してしまったのだろう。
佐久は自問する。
軍用サイボーグの平均寿命は50年ほどしかない。そして大きなリスクを抱えている。今日明日をも知れぬ身だ。
暫くして寝息を立て始めた誓の身体を暖めながら、佐久はぼんやりと考えた。
戦友として戦場に立ち、恋人として夜を共にした。
そして離れて、その後は何と呼べばいいのだろう。
触れ合って想いを確かめずにはいられないのならば、また幾度でも身体を求めるだろう。
忘れないでほしい、というたった一つの哀願に、自分はどう答えればいいのか。
曖昧な関係も、潮時なのかもしれない。ふたりの間に過ぎた時間を、形に残す時期が来ている。新しい、立場と名前として。
佐久は目を閉じた。

明日、朝が来たら誓に聞いてみよう。彼女がそれを望むかどうかを。


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の続きです。雰囲気ですがエロあり注意。前編です。まだ終わりません。
more...!

〈VERTIGO〉1ST PHASE:BOGGY-3

時刻は6時50分になっていた。
混雑する朝の道が、佐久の朝を苛立たせる。毎日のこととはいえ、未だにこの無駄な時間が惜しかった。
和光基地周辺は住宅街のため、当然朝の通勤時には交通渋滞が起きる。
信号に堰き止められた車の列の中で、佐久はステアリングを指先でタップした。
差す朝日が、迷彩服を金色に照らし出す。
ラジオから流れる、女性アナウンサーの明るい声。流行の洋楽。
女性アナウンサーの声が、不意に佐久の記憶を呼び起こす。
その下士官は、入間から来た。
エイワックスのクルー。軍曹。若いが「砂漠の夜明け」作戦での戦歴がある。
そう聞いていたのに、実際に和光基地に来たのは背の低い、まだ子供みたいな女だった。
丸みを帯びた童顔に、大きく円らな瞳。150半ばに満たない身長に、胸だけは立派に備わっている。
眉で切り揃えた黒髪は、一層幼さを強調していた。
しかし態度は胸くらい立派で、佐久を相手にまるで対等のように振舞っている。
空軍の悪い冗談に、佐久の口許は引きつった。
信号が青に変わる。ギアをニュートラルから2速に入れ、クラッチを離す。
いくらサイボーグとはいえ、適性がなければエイワックスのクルーには選抜されないだろう。
そう知っていても尚、頼りなさは消えない。それに、あのいかにも空軍らしい鉄面皮が気に食わなかった。
渋滞はギアを3速に押しとどめる。その苛立ちと、誓の俤が佐久の神経を刺激した。
佐久の乗る、メタリック・ブルーのRXー8は、とろとろと進む。渋滞がなければ数分で着く道のりだ。
缶コーヒーとともに不快感を飲み下すと、大きな溜息が漏れた。
愛車のステアリングの感触、ほのかな消臭剤の香り、心地よいロータリー・エンジンの駆動音がいくらか心を慰めた。
馬が合わない、という言葉がある。誓はきっと、それに該当するに違いない。
ようやく車の列が流れ出し、佐久はギアを変えた。
朝早くから和光基地に到着する輸送機が、最後の直線コースで降下する。巨鯨の腹が頭上を掠めていく。

「おはよう、Cー130」

ジェット・エンジンとプロペラを組み合わせたターボ・プロップの重低音を後に残し、建物の向こうに消えていく。
視界に現れる基地の柵沿いに走り、基地ゲートの手前で右ウィンカーを上げた。
外の世界とは一線を画す基地の内部が、ゲートの向こうに広がる。
飛行場に近づくにつれ、灯油が燃えるような臭い、ヘリコプターの羽音が空気に満ちてきた。
駐車場に車を停め、佐久は研究エリアへ向かう。飛行場の朝が始まり、昇っていく陽が格納庫の蒲鉾の屋根を輝かせる。
帽子の庇を持ち上げ、その朝日に目を細めた。
スクーターで出勤した彦根が佐久を追い抜き、クラクションを鳴らした。
芝の匂い。朝日の色。エンジンの音。朝早くから行き交う整備員たち。
事務室に入ると、すでに出勤していた整備員たちに挨拶を返す。
8時きっちりに出勤してくる持内重工の社員たちとは違い、軍人は朝夕の多少の時間外勤務を厭わない。
今時、病院か軍隊くらいしか使っていないリノリウムの床が、今日も清掃されて光沢を保っていた。
整理された書棚。オレンジ色の取扱説明書のファイルは揃えられ、期限の切れた書類はシュレッダーにかけられている。
デスクの島の、自席に座る。部屋中に広がる、ドリップのキリマンジャロの香りが鼻腔を擽る。
その中に、嗅ぎなれないムスクの柔軟剤の匂いがふと近付いた。

「おはようございます」

灰色の迷彩服。佐久の、光学器機メーカーのロゴが入ったマグカップをトレーに載せ、艶然と微笑む朱の唇。
コーヒーを置く瞬間、誓の黒い瞳が佐久を見た。
微笑んでいながら、その表情には感情がない。ほんの一瞬で、佐久はそう感じる。
コーヒーの円い水際は透明から黒を増しながら、ゆらゆらと揺れる。
そこに映る自分の顔は波に崩れ、霧散した。
顔を上げると、彦根にコーヒーを運んでいた女の整備員と目が合う。
すらりとした長身の相模ーー相模あやめ伍長は、佐久にごく自然に微笑んだ。
顎で切り揃えた赤毛が、窓際で光に染まる。
中世的で、どこか美少年めいた顔立ちが綻ぶと、その眩さが心を照らした。

「おーありがと」

カップを受け取った彦根が、美味そうにコーヒーを啜る。
特に親しい訳ではなくとも、あやめには安心感と信頼感がある。同じ女でも、どうしてこうも誓とは違うのだろう。
表面的に女らしくとも、本質的に性的な垣根を感じさせないあやめ。
表面的に性を封じ込めていても、本質的に女を感じさせる誓。
目を細めて、ちらりと誓を覗き見る。
丸みを帯びた尻のラインに、締めたベルトが強調する腰のしなり。斜め後ろからでも見える、豊かに突き出た胸。
向かいのデスクに座る彦根が、佐久の視線の先をちらりと伺って笑う。
男なら、皆感じることは一緒だろう。どれだけ本人が無性的に振舞っても、身体から溢れるセクシャル・アピールは目を引く。
翳りと湿り気のある雰囲気は、誓の実体を遠く霧の向こうに隠しているような気さえした。
視線を引き剥がした佐久は、コーヒーを飲み込んで気分を切り替える。
国防省ネットワーク回線を開き、新着メールをチェックする。
ざっと目を通し、担当の人間を呼ぶ頃には、佐久はもう誓のことを忘れていた。
そうしているうちにあっという間に朝礼の時間になり、佐久は格納庫前の路上に整列した。
蒲鉾型の屋根。剥き出しの鉄筋が構成するアーチ。
矩形に切り取られた朝日が、格納庫の中に流れ込んで来る。
その白さに洗われたアパッチの機体は、静謐さと始まりの予感を伴って佇むのだった。
きっちり等間隔に整列した整備員たちの影が、アスファルトに伸びる。
部隊の指揮官である前森中佐が前に立つと、朝礼が始まる。
今日も一日が始まるのだ。今日の予定や中佐の話を聞き、体操をするという決まった儀式が繰り返される。
それが終わると、間もなく飛行前ブリーフィングが始まる。
研究エリアの滑走路側にブリーフィング・ルームがあり、時間になると、研究エリアに勤務するADEXgのパイロットたちが続々と集まる。
普段は別々の部署で働いているパイロット達が顔を合わせるのは、このブリーフィング・ルームと飛行指揮所と呼ばれる二箇所くらいだ。
折り畳み椅子に座って呻吟するのは、各軍のパイロットたち。
陸・海・空、海兵隊のそれぞれの迷彩服を着たパイロットたちが垣根もなく集まる様子はここの名物風景だった。
戦闘機から偵察機、ヘリコプター、そして無人機のオペレーターまで、ここにはあらゆる種類のパイロットが集まる。
彼らが着席した、8時ちょうどにブリーフィングは始まる。
パイロットの長である空軍の大佐が正面に出ると、全員が起立して敬礼をした。
無事故の願掛けをした神棚がブリーフィング・ルームには設置されており、その下、パイロット達の正面にはスクリーンやホワイトボードがある。
二枚のホワイトボードのうち一枚には、所属機の機体番号が表に記入されている。今日乗る機体番号の欄に、名前のマグネットを動かすようにされていた。
挨拶が終わると、中堅の海軍少佐がブリーフィングを取り仕切る。
まず基地の気象予報士がスクリーンに気象情報を映し出した。
眼鏡をかけたインテリそうな細面は、海兵隊員には稀な面立ちだ。
佐久は彼の説明を手帳のメモに取りながら聞いた。
衛星からの雲の映像、地上から上空への大気の変化、今日一日の風向きと気象の変化。
今日一日は高気圧に覆われ、終日南風が拭く。
ここ数日、安定していた天候は週末まで続くようだ。
気象の次は、各部隊の飛行情報。各部隊がどこの空域を使うのか、事前に調整がされている。
次に他所の部隊から来る航空機の情報が与えられ、それから部隊内の各機の飛行情報に入る。
佐久の今日のフライトは、午後だ。隣で手帳の表紙をボールペンで叩いている彦根は、午前からフライトだった。
太陽にジワジワとうなじを焼かれながら、必要な情報をメモする。
関東地域の地図に蛍光ペンで訓練空域が示され、その上にヘリコプターの機体番号を記入したマグネットが貼られている。
群馬・筑波・埼玉・富士周辺には陸軍、海兵隊、空軍は新潟や茨城沿岸、海軍は千葉県沖に多くマグネットが分布している。
佐久の機を示す青色の「589」は、神奈・湘南の海兵隊演習場に置かれていた。彦根機は筑波の山間である。
最後に、ノータムと呼ばれる航空情報の抜粋が読み上げられる。
航空機に対する注意として各空港・飛行場が発行するものであり、空港の設備の異常や花火大会、気球の打ち上げ等、飛行に影響のあるあらゆる情報を網羅していた。
日々更新されていくそれらの情報の中から、ブリーフィングでは特に重要なものを選んで読み上げる。
海軍少佐は、その他に「埼玉の行田で国賓が出席する行事が予定されているので、県警から会場付近5マイルの飛行場を自粛してくれと要請がきている」と付け加えた。
それが終わると再び挨拶が行われ、ブリーフィングは解散する。

more...!

〈VERTIGO〉1ST PSHASE:BOGGY-2

奇妙な緊張感の沈黙。 佐久が誓の瞳を見つめていた数秒間が、長く感じた。
冷たく澄んだ水晶体の奥に、禍々しい赤が光る。それは、燃焼する炭のように熱い色だった。それは明瞭でありながら遠い。
透明な闇の水底の向こうで、冷たい熱を放つアンタレスの瞳の奥を、誓はまっすぐに覗き込んだ。
あらゆる感情を含み、呑み込んだ闇が誓を捉える。抗い見返したその瞳に、引きずりこまれそうになるのを堪えた。
沈黙。質量のある視線がぶつかり、周囲が帯電する。
身長差のある佐久に見下ろされながら、尚も誓は踏みとどまった。
閉じた拳の中に、汗が浮かぶ。壁のような長身の圧迫感が、誓を押し返した。
暫くの対峙のあと、ふいっと佐久が目を逸らす。帽子を被った佐久が整備員に話しかけるのと同時に、誓は肩を叩かれた。
 
「あいつ、いつ帰ってきたのよ」
 
たった今起きたばかり、というようなあくび混じりの声に振り向く。
声の主が、声音と違わぬ寝ぼけ眼で誓を見ていた。長い亜麻色の髪の毛が少し乱れている。
御嶽(おんたけ)みほ。生体工学のエキスパートである専属軍医で、苦労せず名前を覚えた人間の一人だ。
その美貌は一際目を引く。一般人のレベルを軽く飛び越えた容姿は、多種多様な人種が集まるADEXgの中でもみほを目立たせていた。
ストンと落ちるストレート・ヘアは日を浴びると金色を帯びる程細く、無造作に団子に束ねた髪でさえたっぷりと艶が乗っている。
細面の中心には、真っ直ぐに通った鼻筋。メスの刃の形をした目を彩るのは絹糸のように柔らかい睫毛で、琥珀色の温かみを持った瞳は生命力に満ちている。
コケティッシュさとセクシーさを併せ持つその美貌は、周囲をドラマの撮影の雰囲気に変えてしまう。
歪みなく伸びた脚と、形良く膨らんだ胸を白衣の下のワンピースから惜しげもなく覗かせ、みほは思いっきり伸びをした。
髪の毛が揺れると、優しい花の香りが格納庫に淡く漂う。
 
「あー眠い眠い」
 
熟れたさくらんぼのような唇に、彦根の視線が釘付けになっている。
内心苦笑しながら、誓はそっと彦根から目を逸らした。
最初はみほの美貌とその特別待遇ぶりに驚きもしたが、今となってはそれが普通になっている。
神はみほに美貌と知性という二物と、その代償としてナルコレプシーという体質を与えた。
みほは一日15時間以上の睡眠を必要とし、8時間の仕事時間のうち断続的に3時間は仮眠をとる。
専用折り畳みベッドまでもが完備されているが、それは最初から彼女に与えられた待遇だった。
ベージュのカシミアワンピースと、華奢な鎖骨を飾るダイヤのネックレスは、軍が充分な給与を彼女に与えていることを示していた。
遠巻きにみほを見ていた女性の整備員が、今日もわずかに眉を顰める。
それを全く意に介さず、快晴の笑顔でみほは彦根の方を向いた。
 
「今日、導入教育って私だっけ」
「そうです」
 
彦根の返事を聞くと、そっか、そいじゃ一丁やりますか、とみほは肩を回す。
ここ数日、誓はまずは実際の開発の内容や技術に関するレクチャーを受けている。そのどれもが、機密に該当する内容だった。
誓自身が、既に機密中の機密なのだ。
軍がサイボーグ手術を施すのは表向き、傷痍軍人に対する身体機能回復という名目になっている。
 
「それじゃあ、第1教場借りるから」
 
春の蝶のようにひらひらと振られた彦根の手が、了解の意を告げる。
タブレットを片手に歩き出したみほの、パンプスの音が格納庫に響いた。その後に残る花の香りを追いながら、誓は歩く。


「あんたもサイボーグなら、もう散々教育は受けてきたでしょう」
 
格納庫から棟続きの廊下を歩きながら、みほは振り向かずに尋ねた。
それは、今まで新たなサイボーグが誕生し、そしてサイボーグを運用する部隊に度々生体工学の授業を行ってきた経験に基づいた言葉だった。
自らであるサイボーグという定義を知ることもまた、不可欠だからこそ繰り返される。
 
二十世紀末から急激に発展し、二十一世紀初頭には実用の域に達したサイボーグ技術。
単に欠損した神経・身体の機能補填に留まらず、やがては軍事分野において新たな進化を始める。
人間と機械が融合することにより、兵器は新たな地平線を見た。
そして、現在。
選ばれた傷痍軍人の中から、異能が生まれ、戦場へと送り出されている。
 
スクリーンに映されたその説明は、予想と違わず幾度も繰り返されたものだった。見た回数では、「軍人の任務とは何か」という教育のスライドショーと同程度と言える。
 
「ここまでは飽きるくらい見たでしょ」
 
説明をする側のみほも、飽きたような口調で言った。
画面が写真に切り替わる。ヘリコプターのコックピットに収まった佐久の横顔だった。
 
「うちの研究よ」
 
中心に攻撃ヘリとサイボーグを据えて始まった、この部隊の研究内容を説明し始めた。
AH―
64、通称アパッチ・ロングボウと呼ばれる攻撃ヘリコプターは当初から高度な情報処理能力を付与されたヘリコプターだった。
その名に冠されたロングボウという言葉は、戦闘ヘリコプターに革命を起こした新型レーダーの名前に由来する。
その最大の強みは、強固な武装でも抜きん出た運動性能でもない。
レーダーによる広範囲・高詳細な情報獲得能力だった。
半径8キロ以内の、百を超える車両や移動目標を探知・捕捉し、敵味方の識別・ターゲットの追尾を行う。
ミサイルを撃てば、自動的にマークした目標に向かい飛んでいく。
湾岸戦争・イラク戦争というふたつの戦でアパッチ・ロングボウの性能はより洗練され、今もなおヘリコプターの頂点に君臨していた。
 
「ここまでは、普通の人間が操縦するアパッチの話ね」
 
なぜ、サイボーグのために特別なアパッチが用意されたのか。
佐久や誓は、第二世代と呼ばれる、軍事用に特化したサイボーグだった。
基礎的な運動機能に加え、特殊な情報処理能力が強化されている。
レーダーやデータリンクから送られてくる情報を脳内で直接表示することにより、視力・聴力の限界を超えた情報処理を実現した。
視野の限界と、ディスプレイの狭さから解放された先には、垣根のない世界が広がる。
そしてもう一つ、パイロットのサイボーグ化は同時に複数の無人機を操縦することをも可能にした。
 
「んで、彦根中尉の機は主に地上指揮官の指揮系統を兼ねる機として、佐久の機は攻撃とUAV(無人機)の研究機として開発されてるわけ」
「へぇ」
「実際に国境警備とか演習にも何度か出ているの。まぁ、明日から実際に見てもらうわ」
 
みほは説明を終える。誓は首を傾げた。
彦根と佐久が何をしているのかは分かった。だが、自分は何のためにここに呼ばれたのだろう。
一瞬迷って聞こうとした瞬間に、誓の顔を見たみほがハッとした。
 
「そうそう、あんたの任務よね」
 
軽く言ったみほが指先でレーザーポインターを弄ぶ。
エイワックスーー早期警戒機と呼ばれる航空機は、それ自体が高性能なレーダーとなっている。
旅客機を元にした機体にレーダーを設置し、敵機の侵入を探知したり、また味方の航空機を誘導、更には地上部隊の動向を指揮官に伝え、又は上空から地上部隊を指揮することもある。
 
「・・・そうよね?谷川軍曹」
「大体そんな感じです」
 
地上部隊の情報を広範囲に取得できるアパッチ。そして、上空から戦場の大局をリアルタイムで処理できるエイワックス。
互換性を持たせることにより、より効率的な運用が可能になる。
具体的には、アパッチがデータリンクした地上部隊・UAVの情報をさらにエイワックスが受信し、作戦地域の情報と統合させた上でアパッチに送り返すというものだった。
だが、あまりに広域な情報はかえって余計な情報となるため、エイワックス側でオペレーターが適切な情報を選択する。
そのことにより、相互を補う運用が可能になるのだ。
勿論、そのためにはエイワックスのクルーも第二世代以降のサイボーグであることが必要条件になる。
 
「それで、そのシステム開発のためにあんたが呼ばれたのよ。こっちにエイワックスのシミュレーターは用意してあるわ」
 
そこまで言って、みほはふと入り口の方を見た。
その視線の先を追って振り向くと、何時の間にか壁際に彦根が腕を組んで立っている。
 
「・・・で、まぁ、いずれは攻撃ヘリの部隊も全面的にエイワックスと関わっていくだろうから、パイプ作りも兼ねてね」
 
そう言って、彦根がふっと笑った。
 
「何しに来たの?」
 
プロジェクターを片付けながら、みほが片眉を吊り上げる。彦根の好意を受け流すのには慣れているようだった。
 
「いやね、そういえばまだ座席に誓ちゃん座らせたことなかったなって」
「ああ、そういうことね。教育終わったから、行っていいわ」
 
伸長式のスクリーンを片付けようとするみほに、彦根がひょいと手を貸す。板についた紳士ぶりを眺めながら、誓は長机と椅子を畳んだ。
彦根と違い、佐久は友好的な人間ではないようだ。拒絶的な態度と、攻撃的な眼差しを思い出す。
軍歴の中で、当然職場での敵対を経験したこともある。それでどれだけの労力を費やすのかも、当然わかっていた。
ため息が知らぬ間に漏れる。
すぐに終わった片付けの後、彦根に追従した誓は再び格納庫に向かった。


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