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インビジ表紙用

燃えてるっぽい(無駄にエフェクト)

INVISIBLE RED/INVISIBLE


INVISIBLE RED


喉が、焼ける。
太い針が刺すような激痛が全身を襲い、悲鳴にならない悲鳴を上げた。 薄暗い視界の中で、青や赤の光が溢れてせめぎ合い、焦げた黒点が焼き付く。
焼けた喉の粘膜が収縮し、呼吸が詰まって肺が悲鳴を上げる。心臓が鳩尾で暴れ出し、手足がビリビリと痺れていく。
見えない炎に巻かれて、佐久はもがいていた。天と地の区別も失いながら、ひたすらに掌を伸ばそうとする。
だが、極彩色の闇に染まった視界には自らの手足さえも映らなかった。消えていく酸素と、やがて体の中心をも蝕んでいく痺れ。
風の音なのか、それとも炎の音なのか、ごうごうという音が耳元に流れた。
指先が炭になっていく。高熱は佐久を外から内から蹂躙し、命を変質させていく。意識が遠のいていき、視界がピンホールのように狭まっていった。業火は佐久を絡め取り、決して逃がさない。
身動きもできないまま、感じることのできる痛みを超えた痛みに溺れていく。

それは、記憶の中から溢れ出る炎。そして何度も繰り返す夢だった。
口許から呼吸の息は絶え、無感覚の闇が広がってくる。

そして佐久の意識は墜ち、四散した。


*
 
INVISIBLE


火柱のように、白い飛沫が舞い上がる。
黒に近い青色の巨躯が、湖水の飛沫を螺旋状に巻き上げて浮いている。
ヘリコプターの重さを支える太く強靭な空気の渦が、水面を圧して削る。
剃刀の刃のような4枚の翅は折れそうなほどしなりながらも、8トンを越える機体を支える浮力を生み出す。
湖を囲む森までも薙ぎながら、その攻撃ヘリコプターは周囲を睥睨していた。
バイクのエンジンに直接耳を押し当てたような音の衝撃波が、鼓膜のみならず内臓までも震わせる。
見るからに重そうなシャチのような巨躯に、ミサイルを吊る為の小さな翼、そして生身の人間では支えられないような機関銃が取り付けられている。
軍用ヘリの無骨さの中に、しかしスポーツカーのような滑らかさをもった姿は、ヘリコプター自体に攻撃的な意志があるかのように思わせる。
コックピットの風防の一面が、陽光を反射して輝いた。その場で向き直った真正面が、電子の目でこちらを見据える。
パイロットの視線を追う機関銃が、まっすぐこちらを狙う。
機体の腹部に取り付けられたそれを向けられるのは、威力を知っていれば愉快なことではなかった。
直径7.62ミリの弾頭が直撃すれば四肢は吹き飛ぶが、この機関銃の30ミリの弾頭は人体を粉砕する。
掠めただけで肉体は吹き飛び、戦車や装甲車さえも紙くずのように屠る。
その銃口がぴたりとこちらを見つめ、無機質な30ミリの暗闇が瞳孔を捉える。
キャンバス地の折りたたみ椅子に座りながら、それを直視した。
帽子のつばが風で押し上げられ、顎紐をしていなければ飛ばされてしまう。
睫毛も、後ろで括った髪も、強風で揉み洗いされて乱れる。灰色の迷彩服が風で張り付き、小さな身体ごと下降気流に飲み込まれていく。
夏草の海が白く波打ち、自身の存在などあのシャチに比べれば泡沫のような存在だと思わされる。
AH―64D、アパッチ・ロングボウと渾名される世界最強のヘリコプターを目前に、谷川軍曹――谷川 誓はぼんやりと座っていた。
30メートルも離れていないこの距離では、逃れることも隠れることも出来ないまま斃されるだろう。
たとえ実弾を装填していなくても、身を震わすような無機質な殺気が血を熱くする。
森の枝が擦れあう音、ブレードの出す低い蜂の羽音、エンジンの機械音、草のざわめきを目を閉じて感じる。
機体を傾け、シャープな弧を描くアパッチの背を、湖の航跡が追う。
対岸の景色を、エンジンからの排気が熱に歪める。日本指折りの面積を持つこの湖は、軍のヘリコプターの訓練場さえも擁していた。
関東平野の北部に位置し、訓練場は空軍の百里基地の管轄下にある。
頭上を、戦闘機が轟音を上げて飛んでいく。二機編隊のそれらは、流れ星が瓦解するように分かたれる。
夏の風が湿気を含んで頬を撫で、じんわりと汗を誘う。
気が付けば眉間に汗の玉が膨らみ、誓はそれを手袋の甲で拭った。
「おー、そんなとこにいると熱中症になるぞ」
注意するような声に振り向くと、見慣れた姿が思ったよりも近くにあった。濃い紺色の迷彩服が青空を背景に立っている。
「あまり肉眼で飛行を見る機会がないので、つい・・・」
アパッチから目を離し、羽音に負けないようにやや大きめの声で返す。
畳み、捲った袖から伸びる焼けた腕。締まり、筋肉で膨らんだ肘下は毛に絡まる汗で光っている。
細い目が印象的な、親しみやすい童顔が陽光を受けている。
誓と同じ所属の帽子を被っていながら、着ている迷彩服の色は違う。しかし、この男は紺色の迷彩服の集団の中で、空軍の灰色を着る誓の垣根を取り払った。
この彦根はアメリカ海兵隊の中尉だ。そして彼もまた、アパッチ・ロングボウのパイロットだった。
167センチと大柄とは言えないが、目に宿る輝きの鋭さは間違いなく軍人のものだ。腰に吊るした拳銃に見合う太股が、ホルスターのベルトで強調される。
「いっつもレーダー画面と睨みあいだもんな」
「ええ」
椅子に縛り付けられるレーダー手の任務を想像したのか、彦根は首を伸ばし肩を回した。
「パイロットの視界は共有できますが、こういう風に間近で機動を見ることはなかなかできませんから」
「真面目だね、相変わらず。そんなことよりあっちでコーラ飲もうぜ」
日差しに赤みを帯びた健康的な笑顔から、白い歯が零れる。
彼の身体が、半分以上は作り物だとは信じられないくらいの笑顔だった。
促されるまま、椅子を折りたたむ。サクサクと草の海を割って歩く彦根の背を、小走りで追った。
ジジジ、と擦れるような叫びを上げるセミの声が、遠くなったヘリの羽音と混じる。
彦根がこうやって普通に歩いていること自体が、禁断の領域を超えた、再生医学と生物工学の賜物なのだ。それはあたかも、生命の錬金術にも思えた。
顎を滴る汗を拭いながら、彦根がふと遠くに霞む山を見た。
優美な峰が名高い山が、彦根の視線の先で僅かな雲をまとって佇んでいる。
山にまとわり付くように飛ぶ、他所のヘリコプターの小さな機影を彦根は一瞥した。
小さな砂粒くらいにしか見えなかったが、彦根はそのシルエットから瞬時に機種を判定する。
「・・・スーパーコブラか」
「さすが、よく分かりますね」
そう問うと、彦根は吐く息混じりに肩をすくめた。
「俺、前はあれに乗っていたからな」
平坦な口調に、何故か咎められたような気がして言葉が詰まった。草に埋もれる足許から思わず視線を上げたときには、もう彦根は歩き出していた。
その向こうで、ぶんぶんと首を振り回す移動式レーダーのシルエットが、暑気にぼやける。
大型の幌トラックや、移動レーダー装置、トラックに載ったコンテナが散在する指揮所地区に向かって歩く。
遠くの人々が陽炎に揺れ、夢の中のように不確かに思えた。
背後で、水上を荒らすアパッチの羽音が、遠のいたり近付いたりを繰り返す。
周囲の地形や空気の流れを、感覚で触って、脳の中で手にとる。木の高さや、揚力の変化。地表を流れる風の動きを。
両手と両脚で操作する機体で、その合間をすり抜ける。
水上のアパッチのパイロットは、いつもそうしていた。
暗夜の中でも視覚に投影される地形の起伏。風景の中に点滅する、敵や味方の逆三角錐のアイコン。
その視覚は、空間に存在するレーダーの波さえ捉え、コクピットの死角さえも透過する。
レーダーやセンサーが捉えた情報を脳神経に直接伝達し、視覚に投影して再構築させる。
「彼」は、左右の眼球を経由してしか情報を処理できない、生身の限界を超越した存在だった。
肉体の枷を抜け出したような、独特の浮遊感を思い出す。
その感覚を知っているのは、誓と「彼」だけだ。
佐久少尉。水上のアパッチを操縦する海兵隊のパイロット。そして、脳をも兵器の一部にした精密なサイボーグ。
同程度の脳開発を受け、自らも兵器の部品となった誓だけが、彼の視界を共有することができる。
空軍所属の誓は、元々空中で情報収集・警戒・指揮を行う航空機の乗組員だった。
脳開発により付与された桁外れの情報処理能力は、敵味方が接近し、地形や部隊で入り組む戦闘ヘリコプター部隊の統制に最も適すると判断され、この部隊へと出向してきた。
操縦者をも部品としたアパッチと密接なデータリンクを設定し、空軍と海兵隊の連携をより容易にするための核になる。
戦争という巨大な構造を構成する、一本のネジ。
それだけが誓の正体だ。
夏草が揺れる。精密な機械をその内に覆った皮膚を、晩夏がじりじりと焼く。
佐久もまた、この日差しに皮膚を焦がされているだろう。
頬の削げた面長な顔立ちを思い浮かべた。ヘルメットの陰の下の、どこか異国情緒のある目鼻立ち。奥二重の静かな眼差し。その瞳の奥までも差し込む湖水の反射。
姿かたちを持った「闘争」。人間を演じる「兵器」。ふと、そんな事を考えた。
草の根に踏み込めば、僅かに湿った土のにおいが鼻に届く。
レーダーやコンテナ、テントが散在する目の前の飛行支援所は、場違いなサーカスのようだ。
刈り払った草地に、数億を下らないレーダーを搭載した車両が無造作に配置されている景色は非現実的だった。
電源を供給するためのトラックがそのレーダーに寄り添い、冷蔵庫のような唸りを放っている。
軍用塗装の黒いトラック、薄灰色のコンテナ。紺色の迷彩服。足許でそよぐ草。その景色は何故か異国のパノラマに思えた。
綿を千切ったような薄い雲が風に流れ、陽光を時折遮る。
「足許、気をつけなー」
振り向いた彦根は、いつの間にかスポーツタイプのサングラスを掛けていた。流線型をしたシルバーのフレームに、ブラウンのレンズが填まっている。
やたらと太いフレームも、何故か彦根には似合った。
丸顔の誓には絶対に似合わないデザインだった。大体、空軍の技術屋にはそんなサングラスなんてそぐわない。
十時間以上、窓のない航空機内に乗り組んでレーダーとにらみ合う仕事なのだ。バイザー型のディスプレイか、温かいおしぼりを瞼に乗せている時間のほうが裸眼のそれより多い。
レーダー地区を行き交う人々は、バインダーや工具を片手にいそいそと動き回る。目の前の、図のうを提げた技術士官の瞳は、視線の向こうに数式を追っていた。
手持ち無沙汰でアパッチを眺めていた誓はどことなく居辛さを覚える。未だ調整の終わらない誓の器材が詰まったコンテナが、その鉄の膚から陽炎を立ち昇らせた。
空軍の、星のマークが塗装された灰白色のコンテナは、誓の殻であり身体の一部だった。これが、誓を部品のマスターピースに、要求された機能全てを賄っている。
眩暈がするような熱気に、汗と鉄と、ガソリンの燃える臭いが混じる。トラックの荷台に積載された大型の発電機は、ガソリンを糧に必要な電力を賄っていた。
立ち木のない平野に開設された支援拠点は太陽の光に野ざらしで、今にも色あせてしまいそうだ。
大型の幌トラックの足許に生まれる僅かな影に人が集まり、使い捨てのカップに注いだ麦茶を回し飲みしている。
彼らの海兵隊の紺色の迷彩は、きっと日を吸収して熱いだろう。
「せーい!」
頑強な体躯の海兵隊員の中で、ひときわ細身の影がこちらに手を振る。よく馴染んだ、弾むような声が誓を呼んだ。
小さく手を振り返すと、「麦茶ぬるくなっちゃうよー」という声が続いた。
日陰に入った彦根が、帽子を脱ぐとピンクのハート柄のハンカチで汗を拭う。赤銅色の肌に押し当てられたファンシーなハンカチは、汗の滴りを吸い取った。
「もう氷溶けちゃいそうだよ」
ハートのハンカチを凝視していた誓に、伍長の相模あやめがプラスティックのカップを差し出す。
残った氷の温度が掌に心地よく、誓はあやめに礼を言った。十数人で、士官から下士官まで回し飲みしたカップの麦茶を飲み干すと、冷たい刺激が喉を滑り落ちる。
この部隊に何とか馴染めたのは、あやめと彦根のお陰だった。今でもあやめは友人であり、階級は下でありながらも誓を助けてくれることが多い。
耳元で切りそろえた髪に彩られた、健康的な笑顔が空気に彩を与える。一瞬の空気の動きに、その赤茶色の髪の毛と、瞳が光を含んだ。
「誓ちゃん、次俺も」
乞われるまま、ポリタンクから彦根に茶を注いで差し出す。間接キスじゃん、とおどける彦根に、あやめの隣の柔道家風の伍長が「俺ともですね」と返した。
「お前それ飲む前に言うなよ」と彦根が呟くと、「間接キスがいやなら、ディープキスで問題ないですよね!」と、軍曹が笑った。
「そりゃ拷問だろうがよぉ」
彦根が半分真顔で麦茶を飲み干すと、突き出た喉仏がごくごくと動く。一息にカップを干したあとに、彦根は生ビールのCMのような声を上げた。
「お前らぁー、ちゃんと塩分も摂れよ」
ベテラン整備員の藤枝が声を掛けると、うぃーす、と低い返事が返ってくる。今日は既にふたり、熱中症で具合の悪い者が出ていた。
しばしの休憩に浸る、アパッチの整備員たちに混じりながら誓は空を見上げた。五感を包むのは、知らない空と、知らないにおいと、肌に馴染んだ器械の唸りだった。
「・・・少尉は、暑くないでしょうか」
誰に問うでもなく、呟く。水に垂らしたインクのように消えた声を、聞いたものはいなかった。
顎を上げて空を眺めると、日差しの白い針が瞳孔を突き抜けた。きっと佐久も、その肌と瞳を灼いている。
休憩の終わりに、整備員達はコンバットブーツの靴紐を締め、服装を整え始める。彼らの眼差しが硬くなり、スイッチが切り替わる。
「レーダー室行きます」
無理にでも仕事を始めれば、体に残っている休憩が消えていく。僅かなだるさを押し切って、誓は歩き出した。
銃や弾倉を持たなくてもいい今日の訓練は、いつもよりは動きやすい。そのことに、少し安堵した。
点在するコンテナや、資材、車両の無機質さと、少し萎びた夏草が、SF映画にも似た空気を出す。
海兵隊員たちの間をすり抜け、誓はぽつんと置かれた白いコンテナに向かう。灰色の迷彩服と、灰白色のコンテナは、紺色に塗られた海兵隊の世界の中で異質だ。数十メートル向こうのレーダーから、延伸されたケーブルを経由して情報を取り込む、誓の母胎。
映画の、宇宙船の脱出ポッドみたいだ。そう思いながら、湯のような温度のレバーを押し下げる。力を加えると、気密が抜けるぷしゅっという音と、重い感触がしてドアが開いた。その瞬間、内部の空調の効いた空気が肌に触れる。
「お疲れ様です。同期は取れそうですか」
人工光が満たされた部屋の中で、作業を続ける男に声を掛ける。薄緑の作業着を着た眼鏡の男は、こちらを見ずに「まぁなんとかできそうです」と答えた。
化野(あだしの)というネームプレートを付けたその男は、企業お抱えのレーダー技術者だった。実験開発を行う飛行隊であるここでは、特に珍しいことではない。
体躯は海兵隊員には見劣りするが、30代半ばの神経質そうな横顔は既に職人の頑固さが差していた。前髪の下の黒い瞳と、眼鏡がノートパソコンの画面を反射する。
化野の、草地を歩くためのゴム長靴が、コンソールを備え付けたコンテナ内でひどく浮いていた。
コンソールには、液晶画面、キーボード、トラックボール式のマウスが備え付けられているが、化野はどれも使っていない。
コンソールと、その上に広げたノートパソコンを接続し、器材の設定を行っていた。
旅客機のものを流用した座席に深々と腰かけ、片耳にイヤホンマイクを差し、外の作業員に何かを指示している。
誓は、化野の背中越しに、パソコンの画面に流れるプログラムの英文を眺めていた。
誓からすれば、彼らのほうがよほど精密機械に思える。膨大なプログラムを読み解き、組み立てるさまは魔法を見ているようだった。
エクセルの関数にさえ苦労した誓自身が、半分は精密機械で出来ているとは自分でも思えない。
化野の背中は誓の存在を忘れ、夢中でパズルを解く子供のように見えた。
キーボードの音、化野の声、空調の唸り。
それらが、コンテナの中で重なって満たす。単調な音のさざめきが眠気さえ誘う。
この世界には、季節も昼夜もない。
窓もなく、風もなく、音もなく、誓の五感は佐久を通してのみ働く。
相性の悪い佐久と、どれほど諍いを起こしたかは分からないが、ここでは彼の感覚に依存するより他はない。
「バイスタティック・レーダーっていうのは理論で言うほど簡単じゃなくて」
思考に沈んでいると、不意に、化野が言葉を発した。一瞬、独り言かと疑うが、どうやら話しかけているらしい。
「ふたつの異なるレーダーの同期を取るなんてことは、米粒に菩薩を描くくらい難しいんですよ」
その声音には、どこか詰問するような気配があった。どう返すべきか悩む誓の沈黙に、タイピングの音が響く。
発射した電波が航空機に当たると、電波の一部は跳ね返ってくる。発射されて跳ね返った電波がレーダーに戻ってくるまでの時間間隔で、航空機との距離が分かる。
また、レーダー波を発射した方位で、航空機の方角が判明する。回転しながらその送受信を絶えず行うことで、方位と距離を判定するのが基本的なレーダーの原理だ。
精度の差さえあれど、このレーダーの仕組みは変わらない。
航空機側の通信設備から送信される位置・高度・識別用の番号等を加えることで更に精度は増す。
電波を発信することなく、また機体に当たった電波を吸収・乱反射させることができれば、航空機はレーダーに映らない。
その機能を持ったステルス機に対抗して開発されているのがバイスタティック・レーダーだった。二つの離れたレーダーの間で相互に電波を送受信すれば、届くはずだった相手側のレーダー波が消えたことを観測できる。
ただ、コンマ0001秒の差異も許されないレーダーの仕組み上、二つのレーダーを同期させることは極めて困難だった。
そのため未だ実装には至っておらず、今回の実験でも調整にてこずっているというわけだ。
「冗談みたいですよ、そのバイスタティック・レーダーの実際のレーダー・オペレーターがこんな女の子みたいな軍曹で」
キーボードを叩きながら、振り返らずに話す化野の口調には棘があった。調整が長引くことへの苛立ちが彼を短気にさせていた。
最初から面白く思ってはいないのならば、壁があるのは当然だった。こんな女の子みたいな軍曹で、という言葉にふと誓は笑みを漏らす。
「パイロットも、同じことを言っていました」
最初に佐久が喧嘩を吹っかけてきたとき、女子供が、となじったことを思い出す。
壁に寄りかかり、誓は見えない空を見上げた。
「単純に、他に代わりはいないんです」
笑うしかない理由だった。
被占領国とはいえ、世界一の大国の軍隊にありながら、誓や佐久に匹敵する性能のサイボーグは両手で足りるほどだ。非アングロサクソンのアジア人を「実験体」にした、危険度の高いサイボーグ化手術であること、そして手術・運用に戦闘機1機分のコストが必要なことが大きな理由だった。
「私は逃げることも拒否することもできませんから、何かあったらあなた方の生み出した技術と心中する覚悟は出来ていますよ」
「寝起きが悪くなるようなことを言わないで下さい」
その声はやや辟易としていた。苛立ちの行き先を封じられた化野が黙り込み、また沈黙の帳が降りてくる。
「私は、あなた方の、そういう忌憚のないところ好きですけどね」
それは本心だった。誓にとっては飾る必要も隠す必要もなく、ただそうやって互いの在り方を探り当てればよかった。
無言が続く。
外の喧騒とも、ヘリコプターの爆音とも切り離されたこの空間を、化野と誓の吐いた息だけが埋めていく。
やがて、化野が目を擦り、頻繁に首を回すようになった頃には、時計は夕刻を示していた。
きっともうすぐ、食事の時間だ。軍隊は、飯と時間にはとにかく律儀な性質を持っている。
そんな事を考えていると、ひたすらに続いていた沈黙を、再び化野が破った。
「谷川軍曹」
「何でしょうか」
「どうして、簡単に心中なんて出来るんです?色恋沙汰も、遊びも、家族も仕事よりずっと大事でしょうが」
今度は心の奥底から出てきたような疑問だった。きっと、仕事を生きるための手段としている化野には答えが見つけられない問いだった。
「本懐を遂げられるなら、それがきっとこれ以上ない幸せなことですよ」
生きるための手段ではなく、生きるための目的。
軍により、軍用のサイボーグという身体を得た以上は、その使命を全うするより他にないのだった。
「どうしてですか。馬鹿げている。私には理解できない」
「化野さん、そんなに難しいことではありません。大げさなものでもありません」
国や大義を論じたことはなく、そんなことを案じるつもりもなかった。所詮は、ひとつの部品に過ぎないのだから。
「理解できない」
「本当に、もっと簡単な理由ですよ」
化野が、振り向いた。眼鏡越しの、軽く充血した目は異国の動物を見るように誓を観察していた。
液晶の光を吸ったそのレンズが、白く縁取られる。視線がぶつかり、初めて真っ向から化野は誓の目を見た。
瞳の奥を覗き込む化野に、誓は軽く微笑む。
それは、誰にも見えない。
ややあって、化野はようやく口を開いた。

「・・・レーダーの調整が、終わりました」

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