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《落書き》楽園の末娘 2

人目を引く容姿に、落ち着いて静かな雰囲気は、インチキの代名詞と言われる香具師らしからぬものだった。

「香具師か。ここで人を騙せば街から出られんぞ」
「僕のは治療用だ。そもそもむやみやたらに人には売れない」

のっそのっそと歩む鳥竜の横を歩きながら、フェイは興味本位で訪ねる。
見上げた香具師の顔に落ちる髪は白銀色で、まだ見ぬ地の果ての国を思わせる。
分けた前髪に、襟には届かない短い後ろ髪。
砂埃で衣は汚いが、どことなく身なりには品がある。
香具師というよりは医者、それも国の中央で見た宮廷医官を思い出させた。 

「少しは効くのか」
「病気次第だ。効くものもあれば鎮痛しかできないものもある。僕は香具師だ、医者のような治療はできない」

むしろ治療を拒否するような口振りに、フェイは好感を持った。

「街に着いたなら、兵の詰め所に来い。宿と食事は世話してやる。病の者がいる」
「分かった」

歩くのに飽きたフェイは、そう言い残す。飛び立つと、翼に風を受けて再び街を目指した。
再び香具師が遠い点になる。
見たことのない生き物、そして異邦人の香具師。
フェイは、一時の退屈しのぎの訪問に気分が紛れるのを感じた。


「ちょっとぉ、あんたいつまでここに居られるのよ?」

明るい笑い声が、部屋から漏れる。
娼婦のマリーナの甲高い声だ。
喋り声は五月蠅いのだが底抜けに明るく、どこか憎めない。
自由奔放で酒と楽しいことが大好きな、愛嬌のある顔立ちで人気の女だった。

「今は楽になっても、お酒を減らさない限りまた胸の痛みは再発しますよ」
「ええ、ええ」

聞いているのかいないのか、マリーナは調子の良い返事をする。

「いいですか、この香は今一度きりしか使えません。痛み止めが効いてるだけですからね」
「少し売ってくれないノォ」
「いけません。使いすぎればただの毒です」

部屋の入り口に集まる商人や兵が、香具師の様子を観察する。
香具師は革の鞄にぎっしりと硝子の小瓶を詰め、その中の薬草や香木を調合して処方しているようだ。
慢性的に胸の痛みを訴えていたマリーナには、香は効いたらしい。

「おい、香具師。俺も傷が痛むんだ。何か効くものはないか」

砦の古参兵がマリーナの後ろから声を掛ける。
何よ覗かないでよと言い返すマリーナに、古参兵が怒鳴り返す。
フェイは少し離れてそれを見ていた。
ここには医師も時折しか訪れない。それ故に慢性的な疾患にただ耐える者も多かった。
香具師は3日程滞在し、そしてその間に多くの病の痛みを安らげた。

フェイが再び香具師と言葉を交わしたのは、滞在最後の日の夜である。
体に点在する痣の治療が香具師にできるとは思わなかったが、数多くの疾病を見てきた香具師ならばあるいは、この病の原因を知っているかもしれない。
部屋を訪れたフェイに、香具師はぽつりと語りかけた。

「君の羽は東の国から来たものだね」

花の香りの茶を飲みながら、香具師は目を細めて羽を眺める。
フェイにも同じものを勧め、すこし和らいだ口許で香具師は雑談をする

「僕のいた国にも、君と同じ羽をもつ有翼人がいたよ。ここより遥かに東の国、緑と河が豊かな国から旅してきた一族だそうだ」

茶を含むと、花の蜜のほのかな甘味が口の中に広がる。

「鳥竜はお前の国では普通にいるのか」
「いいや」

香具師はやんわりと否定する。
フェイは3日間、香具師の鳥竜を暇さえあれば観察した。
鞍やハミ、アブミは金細工の施された立派なもので、複雑で華麗な蛇の刻印が刻まれている。
暇つぶしに片っ端から読んだ本には、あるはるか西の果ての国の国についての記述があった。
その国は砂漠の中のオアシス、水と緑の楽園の中に存在する。
興味もなく、大して真剣に読んでいなかったその記事。
しかし、記述に残る奇妙な竜は、王一族とその忠実な家臣一族だけが乗ることを許されるその小さな竜とは、香具師の鳥竜ではなかったのか。

「幾つもの山、幾つもの国を超えた西、僕の故郷はあった。そこにはあらゆる国から招かれた有翼人が王に仕えていたよ」

香具師はフェイの目を見据えた。
まるで、フェイの病を見透かすかのように。

「君の一族ははるばる東から訪れ、ある花の種をもたらした。それは生存の為に」

僅かな覚悟を滲ませる口調で、香具師は告げる。

「残念ですが、手の施しようがありません」

フェイの痣を見ずとも、香具師はフェイに何が起きているのか知っていた。
香具師の目は険しさを増す。
無言で袖を捲ったフェイに、その瞳はある種の事実を告げた。

「君の母なる国、大陸の東。そこに翡翠から生える白い花がある。その花が無くして、君の一族は生き長らえることはできない」
「お前の祖国には残っていないのか」
「祖国が残っていないのさ」

そして、王族は滅び王の植物園は焼け落ちた。
香具師はその先は語らなかったが、恐らくは命からがら逃げ延びたに違いない。

「命を繋げたくば、東に旅立つがいい」

黄色い痣を撫でて、症状を看る香具師。
このままでは、いずれ肉が腐り命が朽ちると言い切る。

「何もかも捨てて、旅立つ覚悟が君にはあるか?」

それが、王宮医官一族最後の生き残り、シーナイから促された最初の決断だった。

このとき、彼の祖国が滅びてから既に10年が経っていた。
彼がこのときをもってなお、追っ手に追われていたこと。
そして彼、いや彼女が、治癒能力に優れた魔女の一族の末娘だということ。
それを知ったのは、このときよりずっと後である。


《落書き》楽園の末娘 1

「大変お気の毒ですが、手の施しようがありません」

僅かな希望をきっぱりと断つように、目の前の男は言った。


延々と黄色い大地が続く中に、その街は作られた。
城壁を出れば、全方位に広がるのは枯渇した荒野。
ぽつりぽつりと散らばった草はいつも枯れかけ、辛うじて大地にへばりついている。
遥か彼方に連なる山々は赤錆の色をし、とうの昔に枯れた河の名残が山脈に陰影を刻んでいた。
強い日差しを遮る雲さえ、ここには届かない。荒れ地と緑地の境目、地平線より遥か遠くで雨となり、消えてしまうのだ。
風が吹くときに黄色くぼやける地平線から上を見上げれば、褪せた青が茫洋と広がっている。
水や緑など、本来街が発展するための条件を満たさないこの場所に街が作られたのは、交通と防衛の要衝としてのみのため。
出入りするラクダのキャラバンの他に、ここを訪れるものは殆どない。
もとよりここに湧く水の量では、今以上の人口を養うことは不可能である。
城壁の中でもざらついた風が吹き、干し煉瓦の建物がひたすら砂に煙る景色に、嫌気が差してここを去る者も後を絶たなかった。
そんなわけで、ここに留まるのは僅かな兵、他はそれを支える老いた商人たちである。
若い女は娼婦のみ、それもこの乾いた風に段々と萎びていくような気さえする。
生命の瑞々しすぎを奪うような乾燥に覆われたこの街に留まる兵たちは、多くは他に寄る辺のない辺境出身だった。
そして、フェイ・ショウもまたその一人、この忘れられた街に生きる兵であった。
今日もまた、フェイは陽炎に揺らぐ山脈を望む。
崖のような城壁の上に立ち、彼は吹き渡る風にその羽根を広げた。
背中に生えた鳶色の大きな翼が、風にふわふわと毛羽立つ。
そこだけ翡翠色の、淡い緑の風切り羽根は、有翼人種のなかでも珍しいものであった。
この地帯の多くの有翼人は、冴えた白い肌、そしてグレーや淡い栗色の羽根を持ち、そしてその特異な姿ゆえに差別を受ける。
フェイはその黄みを帯びた肌と鳶色の羽根故に、少数の人種である有翼人のなかでさえも馴染むことが出来なかった。
蔓で丸くまとめた黒髪は、明るい砂色の髪がが大多数のこの国ではよく目立ち、深い青の瞳がマイノリティの中では翡翠色の瞳は特異だった。
びゅうびゅうと音を立てる風が、街からスパイスと様々な香の原材料の香りを浚って去っていく。
その風に半袖の上衣の裾がはためくと、引き締まった上腕に散在する黄色い痣がちらりと覗く。
じわじわと濃くなるその痣を見て、フェイは羽根と同じ翡翠色の瞳を細めた。
使い慣れたボウガンを手に、城壁から飛び降りる。
漠然とした毎日に、ただ現れては濃くなる痣だけが時間が過ぎる証しだった。
翼が風を捉え、空気が揚力に変わる。
毎日同じ時間に行われる、毎日のパトロール。
フェイの散歩と渾名されるそれは、特に何も期待されない形だけのものだ。
時々遠くで商隊がくたばりかけていればそれを助けたり、時には道半ばで力尽きた旅人の死骸を発見するときもある。
それでさえも、とるに足らない繰り返しの一部に過ぎなかった。
草色の袴衣に括った単眼鏡が、羽ばたく度にカチャカチャと鳴る。
乾いた血の色の大地。斜め後ろに落ちる自分の影。
強い風に乗り、フェイは無限にさえ思える大地を見渡す。
眠気さえ催す不変が広がる中、瞳に刺さるのは強い西日。
時間が止まった中に、風だけが生きている。
どこへ向かってもひたすら不毛だけが続く。
翼を支える気流に乗りながら、フェイは街の周囲で弧を描いた。
上昇気流に乗り、ぐっと身体が引き上げられていくのに任せる。
目を凝らすと、地平線に黒い点が霞む。
芥子粒ほどのそれは、去る客か来る客かのいずれか。
影はひとつ、ということは単身の旅人だ。
この狭い街では、去る客は誰もが知っている。今日街を去った者はいない。
であれば、来る客だろう。単身の客は商隊と違い、多くは商品を持たない。
内心僅かにガッカリとしながら、フェイは仕方ないと思い直す。
他には人は見えない。旅人を迎えてやるのもいいだろう。フェイは羽ばたいた。
近付くにつれ、目を幾度も凝らす。
旅人は一般的なラクダではなく、何かもう少し小さな生き物に乗っている。
コブもなく、その動き方は上下動が大きい。
暇つぶしに客人の顔でも拝んでやるかと、フェイは降下を始めた。
羽音に気づいた男はフェイを見上げる。

「見たことのない馬だな」

行く先に立ちはだかるように降りたフェイは、そう声を掛けた。
それはラクダでも馬でもないのだが、どう表現すればいいのか分からなかったのだ。
それは駝鳥のように二足で動くが、全身に硬く白い鱗が生えている。
顔には嘴があるが、羽はなく鋭い爪のついた前脚があった。

「これは鳥竜だ。ここらでは見ないだろう」

目深に被った、幾何学の刺繍がされたスカーフの奥から、答えが帰ってくる。
ちらりと見える口許は浅黒い肌で、異邦の地からのまろうどであることが知れた。
左右の襟を重ね合わせ、腰紐で衣を縛る形の服を着ている。
緩いズボンは、時折訪れる騎馬民族のものによく似ていた。
慣れた様子で手綱を握る姿も、また彼らと同じルーツを思わせる。

「どこへ旅をするんだ」
「東へ」
「お前医者か」
「いや、香具師だ」

風が吹き、香具師のスカーフが揺れる。
影の下、銀色の細い眼鏡の奥に、ハシバミ色の瞳がキラリと光った。
涼しげな切れ長の瞳にすっと通った鼻筋、そして理知的な声音。
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