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だれよりも弱虫な少女は言うよほら、私は今日も転がります

やらない善よりやる偽善と言うけれど、
人間による好意の7割程は偽善だと思う
あくまで16年生きてきた私から見てね
一時期それが嫌で本当の善を探したこともあった
けどたどり着くことはなかったな
結論から言うと、
偽善は善より遥かに多いということだ
周りの言葉にね
よーく耳をすますと聞こえる
見返り求めのやさしさっていうのかな
そう思うとみんな偽善者だよなって思う
けどそれを否定することもないんじゃないかな


例えば、私がお菓子欲しさに母の手伝いをしたとして
これは偽善になるわけだ
けどその手伝いで母が助かったのは確かで
はたしてこれも否定するものなのか、些か疑問である
とは言ってもやさしい人はたくさんいます
もちろん親もそうだし、友達もそうだし他の人もそう
みんな、そのやさしさに気づいてないと思うんだよね
そのやさしさは無意識なものだから
だから「やさしいね」と言ってもイマイチぴんとこないのでしょう
けどそれは無意識なやさしさがある証拠なのです

私も然り
「もち田ちゃんやさしいね」
って言われたら、「あ、お前やさしさできてんだって」
そんな風にガッツポーズしながら褒めてあげてる
あほみたいだけどね、それが明日の元気になるから

だが人間はおもしろいもんで、
自分の中にある意識を大切にしようとする
意識的な偽善を使っちゃうのはだからなのかしら
でも意識的にやさしくできるのってすごい
だってそうでしょ?
無意識にもやさしくしてるのに意識的にもやさしさ出せるなんて、すばらしいじゃないかって
私は言いたいなぁ

いいじゃない
みんなエゴはもってるもの
エゴばんざいってことですかな
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