徒然なるままに
日産、復活の狼煙か?企業が日本に戻ってくる。ついに国家が動いた? | 小坪しんやのHP〜行橋市議会議員
2018/11/23 02:52
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日産、復活の狼煙か?企業が日本に戻ってくる。ついに国家が動いた? | 小坪しんやのHP〜行橋市議会議員


https://samurai20.jp/2018/11/nissan/





2018.11.22

冒頭において、ゴーン氏の経営手腕を評価しておきたい。

確かに日産自動車は傾いていた。手法はともかくとして、それを建て直したことには敬意を表すとともに感謝の言葉を述べておきたい。最低限の礼儀として。

その上で、私はゴーン氏らがしたことを、心から礼賛することはできない。
リストラとは単に人員整理を指す言葉ではなく、構造(ストラクチャー)を改変するという意味であり、組織を建て直すという意味だ。
結果的には解雇ばかりであり、泣かされた者も相当にいるのだろう。

その「恨み」みたいなものをもって、喜ぶかのような論調を記したいわけではない。
単にゴーン氏が海外の経営者であり、そしてルノーのトップも務めていたからである。すでに既報のように、ルノーは仏蘭西政府の企業である。しかも、ルノーよりも経営状態のよい日産を、ルノーに取りこもうとする計画まであったようだ。

これに対し、経産省は「絶対に無理」という強い意思を示していた。
今回の一幕は、あまりに手際が良すぎる、というのが私の認識。
何かあったのか、それともなかったのかはわからないが、
「あった」可能性は否定できないし、その影響は、無言の圧力として存在し続けるだろう。

東芝のメモリの際にも、同じような動きをとって欲しかった、何かやったのだとしたら、だけれども。
対・CHINA・韓国の場合には、企業防衛を国家が主導したことはない。
民業に対し、国家が介入することは余り誉められたことではないし、それを礼賛するばかりが政治家ではないのだとは思う。

だけれども、「日産」が他国の政府の資本に組み込まれることは、やはり私には容認できない。感情的に、どうしても受け入れがたい。
ゴーン氏は、三菱とも関連があったが、もしも日産・三菱がフランス政府の手に渡ったら、と。
そう考えるだけで胸がいたい。

 

ゴーン氏は、確かに日産を建て直した。
ゆえに、その点については敬意を示したい。繰り返すが、それは最低限のマナーとして。

 

 

私の愛車は、日産のER34型スカイライン。
4枚で、シャコタン。足回りはアラゴスタ。
ライトチューンで、吸排気系とエンジンが少し。
ポン付けタービンに軽めのカム、エアクリ・マフラーという仕様。

内装は、レカロのSR5(ラファールという古いモデル。一応限定品)に、一部をアルカンターラで張り替えたもの。ちなみに少しだけDIY。
以前に乗っていた仕様は、もっととんがった仕様だったが(以前はロータリーに乗っていた。)この車はエアコンもついているし、リアシートまで張り替えた快適仕様。

外装は、C-westのN1バンパー(GT-R用)に、F・Rともにフェンダーを交換。
現行のR35の純正色に全塗装している。

(※過去の愛車はFDを乗り継いだ。例えば助手席レスのワンシーター、エアコンレスのスパルタンな仕様も。ブーストアップにオーリンズのライト仕様も乗ったし、ビッグタービンにローコンプローターを組み合わせた600ps仕様。逆に、ハイコンプローターのビッグタービンでトルク50kgの加速重視のロータリーも乗った。最後の車は速すぎて制御できなかった。4速での旋回で、パワースライドするようなトルク。)

 

 

大半の方には理解されない単語を並べた。

端的に言うと、
ようは、車が好きなのだ。

 

なので、この章は、やや情緒的になっていることをお許し頂きたい。

どうしても、それが他国の手に渡ると言うのが納得できない。

例えば、かつて戦艦長門が核実験で葬られたが、それがどれほど日本国民を傷つけたか。
国家の誇りを傷つける、国民の心を折る、という行為。

 

私にとって。
日産という、日本の名を冠した企業が、フランスの手に渡ることは、どうしても許せない。
その情緒的な反応は、それが仮に政治家という立場であったとしても、感情の発露として容認して頂けると信じる。

もし経産省が動いたのだとしたら、そこに賞賛の声をあげたいし、
仮に政治判断を下した者がいるのだとしたら、誰かは知らないけれども、深くお礼を申し上げたい。

 

三菱自動車には、ランサーがある。
戦車を作っているだけではなくて、世界を席巻したラリーカーもある。
ライバルは、水平対向のインプレッサWRX。富士重工。

これを他国の手に渡すというのは、どうしても、どうしても嫌だ。
家紋を奪われるとか、そういうレベルの意味合いがある。
比較するのは不敬だとは思うけれども、抱く感情としては国旗を汚されることに近い感情。

 

私の乗るスカイラインは、かつてはプリンス自動車が作っていた。
このプリンスという言葉は、皇太子殿下という意味で、敗戦後に落胆した日本国民を鼓舞する願いが込められていると信じる。
沈んだ日本の世情において、明るい話題が飛び込む。それが皇太子殿下の誕生であった。
誰しも喜び、社名にプリンスを冠したという次第だ。

 

ちょっと複雑な系譜を辿っているので省略した紹介になるが、立川飛行機・中島飛行機も関係している。
中島飛行機は、一式戦闘機 「隼」、二式戦闘機 「鍾馗」、四式戦闘機 「疾風」、 一〇〇式重爆撃機 「呑龍」、夜間戦闘機「月光」、 艦上攻撃機「天山」、艦上偵察機「彩雲」などを設計。立川飛行機(立飛企業)は隼の量産を行っていた。
ちなみに中島飛行機は、のちの富士重工、つまりSUBARUの系譜に続く。ようはインプレッサのところです。

中島飛行機東京工場が富士精密工業となり、立川飛行機出身者によりプリンス自動車に。そして日産に合併されていく。

 

 

戦後、つまり我が国が敗戦したのち、戦勝国らは我が国に飛行機の設計開発を禁じました。
では、設計者らはどうしたのか。

スカイラインの生みの親である中川良一氏は、ゼロ戦を作った一人です。
プリンス・スカイラインは、スカイラインシリーズの初代となる自動車で1957年に販売
のちに日産自動車と合併する富士精密工業(プリンス自動車)が開発しました。

中川氏は1926年に東京帝国大学機械工学科を卒業して中島飛行機に入社。戦闘機、「ゼロ戦」用の航空機エンジンの設計主任を務めていました。
中川氏は、プリンス自動車と合併した日産自動車において常務取締役に就任。専務取締役まで務めました。

 

貴重なインタビュー動画。

 

 

 

まさにリアルの風立ちぬであります。

 

※ このあたりは、相当に複雑な離合集散がありますので特記として記しておきます。
ゼロ戦を作ったのは三菱ですし、中島飛行機(隼を作ったところ)は、SUBARU(富士重工)です。

よく考えてください。
日本自動車産業は、本当に戦時中の航空機の開発チームと深い関係があります。
社名だって和的です。TOYOTAやHONDA、MATSUDAはそのまま苗字。
日産自動車は日本の名を冠し、三菱は旧財閥系。SUBARUなんて恰好よくないですか?
いまはTOYOTAの子会社ですが、ダイハツは「大阪の発動機」でダイハツです。

 

 

 

□フェアレディZ

日産のスポーツカーに、Zという車があります。

 

この意味は、Z旗のZだと思っています。

 

戦後においても日本はあぜ道だらけ。
アスファルトの上だけを走行する車両は、なかったようです。

その中で、米国への出荷も狙った新車両がフェアレディZ。
日本の工業は、まだ終わってないぞ、と。
そして戦争には負けたが、開発ならば負けないと言う思いも込められたのでしょう。

当時のアメリカ日産の社長がきっかけで開発が始まったスポーツカー、「開発コード “Z”」のスタッフ達に、社長が奮起を願ってZ旗を送る。
Z旗は、タグボートで曳航してくれという意味らしいですが、Aから始まりZで終わりなので「もう後がないぞ、頑張るぞ」みたいな意味と理解しています。
(うろ覚えで書いている個所が何か所もあるので、詳しい人は補足してください。)

社運を賭けて、ありったけの開発費をぶっこみ、
もう後がないという思いから、Z旗を掲げて設計された車。
それがZでした。

 

こちらも日産の車です。

仏蘭西の国営企業のトップが、日産のトップを務めていることには、私はちょっと納得が行っていなかった。
傾いていたことは事実で、Mazdaだってそうでしたけど、建て直したことには感謝するが、どうしても納得できなかった。

 



□日本の自動車産

このあたりは勝手な妄想になるけれども、戦争で亡くなった戦友たちも思い、
必死の願いを込めて自動車は設計されたのだと思う。

なぜ日本の自動車産業が強かったのかと言えば、他国であれば航空機産業に流れたであろう人材までもが軒並み自動車産業に投入されたからではないでしょうか。
飛行機が禁じられたことで、人材が集中したという可能性。

そして、気合が入っていました。
心は、折れてなかった。

 

ロータリーエンジンだって逸話がある。

Mazdaの本社がある広島は、まさに核爆弾を投下された。
社屋も避難者で溢れ、市役所すらもマツダに避難していたらしい。

当時、誰も実用化できていなかったロータリーエンジン。
みんなを勇気づけようとして開発に挑む。

そして世界に挑戦し、ルマンで優勝を飾る。

 

単に自動車マニアが喜んでいた時代じゃなくて、それは地域の誇りであり、国家の誇りだったのだと思う。

 

命懸けで図面をひいていたんだと、私は思います。
かつて、本当に短い時間ではあるけれど、自動車産業において私も技術者をしていました。

ネットでググればこんな逸話はたくさんあるけれども、会社で先輩たちが得意げに教えてくれた話です。

 

 

□日産の失敗

悪いことも書いておきます。

 

R32型やS13型は成功しました。
ですが、のちのR33や、(六発としては)最終型となるR34型は失敗だとも思うのです。S15も含めて。

私は自分自身がR34に乗っていますし、S15も大好きな車です。
ですが、商業的にはやはり失敗だとも思う。
私たち(運転するのが好きなもの)は、商業的には決してマジョリティではない。
走り屋好みの車に振り、私も含めその界隈からの評価は高いのだけれども、あくまでそれだけというか。

車好きから高評価であったからと言って、商業的にこけてしまっては、やはり(ビジネスとしては)失敗だと言わざるを得ないと思います。
私が大好きなことと、それが成功かどうかは別のことかと。

本当はこのような言葉は書きたくないのですが、
ここを明確に見据えないと、次のことを述べることはできない気がするので、真摯に受け止めて考えたい。

 

S13やR32の成功は、もっとコンパクトだったし、どこかお手軽でした。
やすかったし、頑張れば大学生でも買えるぐらいの。いまでいう軽自動車に、ちょっと毛が生えたぐらいのお手ごろ感。

ちゃらいと言うと怒られそうですが、デートとかに使う、若者の遊び車。
もっとライトな存在で、ガチ系の存在ではなかったと思う。

ユーザーからは、もっと大きくとか、室内空間を広くとか、
そういう声を受けて、取り入れてしまって、全体的にこけたんだと思う。

使用者の声を聴けば、それを開発に役立てても、商業的には成功するとは限らないという事例なのかな、と。
例えば、子供手当で釣って、国民の人気が高かった(当時)としても、民主党政権が国家運営が上手かったかという話しとも似ているように思えて。

 

ゴーンさんは、このあたりはバッサリ行ったと思っていて。

それはそれで、悪いことではないと思うし、必要な処置だったのだと思う。

ちょっとヨーロピアンテイストの、流線型の車体。
お洒落で、恰好もよくて、高そう。高級品みたいな車。
実際に売れているのだろうし、それはそれで、(先ほど、商業的には否定した車好きという話との関連も含め)正解だったんだろう。

 

だけれども。

もっと日産の車って、どこか設計に無駄な部分(もしくは華美)もあって、なんかルーズというか計算とかしてなさそうなとこ、良さでもあったと思う。

どんな車体でも、とりあえずRB26を積んでみるとか。これはGT-Rのエンジンで、そりゃ凄まじい馬力があるのですが、積めるからと言ってステージアにも搭載されていた時代もある。
私はL型は触ったことはないけれども、ブロックには余裕があり、だからボアアップだってできた。

車体に対して、エンジンが勝っているというか。
だからフラフラもするし、それは安全とは逆行するのだろうけれども、それが「体感する速さ」であったり、車に乗る楽しさに繋がったりしてたような気がする。
とりあえず、シルビア系の足回りは、正直あんまりよくはない。(RX7やGT-Rと比較すれば、だけれども。)

あんまり後先を考えてなくて、なんでもかんでも部品の共用ができるような作りだから、
「ちょっと載せてみましたよ!」みたいな車が誕生していったわけで。

ここって、あんまりキチンとし過ぎてしまったら、小さいTOYOTAになってしまう。
リセールバリューが悪くて、だから新車の値引き幅が大きなだけのトヨタなら、それは日産のポジションとは違うと思うんだ。

先ほど、車好きの声を敢えて否定したのは、この話に続くわけだけれども、
「それは日産らしくない」と言いつつ、かと言ってマニアのほうを向いても商業的には失敗したという過去もあるわけで。
まぁ、マツダもオートザムの頃に大失敗している。(クロノスのあたり。デミオが出るまでは地獄だった。私はあの頃、大学生でして、マツダにて洗車係していたので。。。)

 

 

□車が古くならなくなった。
実は、いまのメインカーはスカイラインだけではないのだけれども。

 

事務所としては古い型のデミオ(DY型)に乗っていますし。
でもスポルトで1.5Lありますが。

 

スカイラインもそうだし、ちょっとエアロつけたら現行車と見分けがつかない。
綺麗な状態をキープしているRX-7(FD)なんて、車好きでない限り「新車です」と言ったら信じそう。
FDなんて、1991年の発表だから、実は20年以上も前の車なのだけれども。最終型が2002年なので、ほとんどの個体は20年落ちとなる。

ワックスやコーティングが進化しているのもあるけれども、最近の車は古くならない。

 

私が学生のころは、10年落ちの中古車は、誰が見ても古い車だった。
エアコンがついてないとか、窓がくるくるハンドルだったり、電動ミラーの有無。
デザインだって、角ばったものばかりで、見るからに中古車は古い車だった。

FCは良い車だけれども、FCに乗っていた人が、発表されたFDを見たら
「いいなぁ」と思ったと思うし、自分の乗っている車が「旧型」だと強く認識させられたと思う。

 

では初代フーガ(Y50型)が、そんなに古めかしく見えるかと言えば、ちょっとポリッシャー当ててワックス塗れば、いまでもいけちゃうというのが実際だ。流石に初代のヴィッツは古いけれども、スイフトの一部の型は、どちらが新しいモデルなのか私もわからない。

 

新しく投入された技術が、言うほど、ない。

かつては、コラムシフトからHパターンのMTに。
シートベルトが3点式になったり、エアコンがついたり。
パワーウィンドーだったり、キーレスエントリーだったり。
(私のころは、キーレスを社外でつけるのが流行った時代。まだ中古車にはついてない時代だったから。)

あれからABSが一般化したり、電動格納ミラーだったり、
エアバックが助手席についたりしたけれど、運転してる本人が「私は新しい車に乗っている」とか「俺のは型落ちだ」と認識するほどには、強い価値観を示せていない。

 

先ほど書いた機能は、もとは高級車やスポーツカーに装備されていたもので。
それが一般化していって、新しい価値観になっていくのだけれども。
そこに至るまでには、長い長い開発期間が必要で。

それを実験投入ではないけれども、市販化テストみたいにオプション装備されるのが、
ちょっと華美なモデルだったんだと思う。

そういうのが廃れていってしまった結果、自動車には、新しい価値観というか技術が投入されていない。
ここは、断言してもいいと思う。

 

日産が、かつて有していた、設計の無駄というか謎の華美なSPECだったり。
「こんな機能いるの?」って笑われるようなオプションであったり、そのうちの10個に1個が物になって、自動車全体って進化してきたと思うんだ。

それを無駄として、経営上排除していくと、先細ってしまう。
人口自体も減っているわけだから、顧客だって減少する。若い子たちには、いまの車を買えるほどの(少なくともS13の時代ほどには)手に届く価格帯ではないのだし。

だけれども、新しい技術が誕生し、それが市場として成功していくまでには、
開発に10年、市場に投入してもう10年。都合20年ぐらいは必要だと思っていて。

そういうのを、もうこの業界はずっと「無駄」として排除してしまったんだと思う。
何より、終戦後の技術者に比較すれば、自動車産業自体にも気合が入っていないように感じる。同じ覚悟でやるのは無理だとしても、効率的な経営だけを目指しても、やっぱり楽しいものってできないと思うし。

だから、ではないけれど。
俺は無駄だらけの車に乗っています。

 

 

日産が戻ってくる。

今日はダラダラ書いてしまったので、少しまとめに入りますけれど。

 

日産が、かえってくる。
ゴーン氏にはお礼の思いもあるけれども、経営が日本に戻ってくる。

 

ちょっとワンパクで、時に意味がわからないモデルも出てくる、
元気のよい日産、飾らない日産。

私が知っていた、若い時代に鮮烈に抱いているイメージはこんな感じ。
まったく同じものに戻ってしまっては、また同じ失敗をしてしまうから、それは望まないけれども。

いまほど効率重視ではない、楽しいものを見せてくれるように思う。
ヨーロピアンテイストの恰好いいデザインも好きだけれども、
綺麗に収めるのが日産ではないんだと思う。

 

こういうのって、見た目の数字を負う、株主の意向だけでは通らない部分もあるし、
特に海外の投資家とかを見て動いたら、絶対に出てこないものだと思うけれど、
そういうのが、ちょっと前の状態に戻るのかな、って。

なくなってしまっていた「日産らしさ」だったり、そういう良さが少しでも復活するといいな。

 

自動車産業が、日本の手に戻ってくる。

ゴーン氏は罪を犯したのだろうから、それを批判はするけれども、
感謝の心も忘れずに、その上で「戻ってくる」ことが、ただ嬉しい。

 

他の企業も含めて、基幹産業を「国家が守る」というフラグであれば、私は、もっと嬉しいな。













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